◆人は変われる・・・か?

この記事のいくつか上の辺りから・・・「適応 VS 自己実現」、「エリクソン VS ハヴィガースト」といったことを話題にしてきましたが、実はそれ以前に“人は変われるものなのか?”が問題。
そんな中でずばり、「人は変われる」と題した本が出ています。高橋和巳著、三五館。


著者の高橋さんは自己実現を目指して「人は変われる」と・・・
ユングで言うなら「変容」、仏教なら「解脱」、セミなら「脱皮」、ひよこなら「孵化」。人も元来変わる力を備えているはずなんですよね。それが新しい状況への適応であれ、自己の確立につながるものであれ、人は要所要所で何回も変わりつつ進化、前進していくはずのもの・・・

ところが変われないんですよね。変われない、変わりたくない自分がいて・・・思うようにはいかない。
神の摂理のままに生きているセミがいとも簡単に一夜にして脱皮するのに、人にはそれができない。
変わるために苦痛が伴ったり、何かを捨てる必要がある場合は特に困難。それよりなにより・・・「なぜ私が変わらなきゃならないの・・・今のままでどうしていけないの」と思ったり、訴えたり・・・居座りの気持ちからの脱却ができない。

ですが・・・一方において一夜にして変身したり、じっくり時間をかけて生まれ変わったりする人がいることも確か。この本ではそうした“人が変わったり変れなかったりするプロセス”を解説してくれているのですが、読みやすくてなかなか味わいのある本です。


この本によると・・・今までのいろんな発達心理学は大人になるためのプロセスを取り扱ったものが多かった。それはほぼ30才ぐらいまでをかけて身に着ける大人の感覚・・・効率よく生きていくために必要なその社会での共通認識であり、踏み外しがたい客観の世界。
でもその感覚で残りの人生を生き始めてみると何かとうまくいかず、ストレスも発生する・・・そして「何とかしなければ・・・」と思い込むことがさらにストレスを増大させていると。

そうした中で客観の世界に生きようとしていた自分自身の奥底から主観としての思いがわきあがってくる・・・
悶々とした絶望の中である日、「何とかしなければ・・・」といった心境から、「どうしようもない、まっ、それも仕方がないか」へと相転移する瞬間が訪れる。

それは客観的な大人の解釈から、主観を取り入れた“新しい解釈”への転換なのですが、こうした転換を積み重ねることで一生をかけて新しい自分と遭遇し自己実現していくものなのだ・・・といったことのようです。

この本ではマズローの欲求五段階説の五段目である「自己実現」を人生の後半で追求するモデルとしていることもあり、ユングについては言及がないのですが・・・読んでいると妙にユングのイメージにも重なってくるんですよね。

“大人になるために身に着ける客観の世界”といった言い回しはユングのペルソナを思わせますし、“絶望を経て主観と遭遇し相転移にいたる”といった表現はユング風に言うと“退行の果てに自己との融和を果たして変容を遂げる”ということになるのかもしれません。

とはいうものの踏み外すことのできない客観の世界や避けられない運命にどう取り組むかということになるのですが・・・客観も運命もそれとの関わり方や受け止め方は主観によるもの。主観のありようで運命さえ変わる・・・そしてそのためには客観の言葉による再解釈、再理解が必要ということのようです。

ところで“客観の言葉による再解釈”とは客観への認知プロセスを変えていくこと・・・となると「▼今風の認知行動療法」などの世界をも連想させるものがありますが・・・そういえはこの本の著者は脳科学の研究者でありながら精神医学の臨床医でもある方なんですよね。(2009.12.26)
by c_mann3 | 2007-04-08 00:00 | ユングのすそ野の 風景 | Comments(0)
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