◆金融恐慌とユダヤ・キリスト教・・・

百年に一度の恐慌と言われていたはずの経済が二年をまたずに回復の兆しを見せ、蓋を開けてみると米国では多額の公的資金注入でリセットを果たした企業の役員がとんでもない報酬をもらいつづけている・・・そんなニュースに割り切れないものを感じている中でおもしろい本に出会いました。

題して「金融恐慌とユダヤ・キリスト教」、島田裕巳著、文春新書727。宗教学者が書いた経済学の本なのですが、なかなかの説得力です。

この本によると・・・
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、こうした宗教圏の人々には唯一神への信仰があるだけでなく、共通のバイブルである旧約聖書で説かれた原罪意識や終末思想、そこから抜け出すノアの箱舟といったモチーフが無意識の中に潜んでいる。それが経済学の理論構築や運用にも反映されているが同じ物語を信じてはいても各宗教によってその理解は異なる。

例えばキリスト教圏では神は絶対であり、しかも聖と俗が分離している。そこで神の見えざる手”に導かれた自由市場経済といった発想が生まれ、極端な弱肉強食の世界を引き寄せてしまった・・・
俗なる世界で人間がどんなに強欲に動いても絶対的な神様が市場を最適に調整してくれる。その結果、もし神の怒りに触れこの世が終末を迎えても、もう一方で信心に励む聖なる自分?はノアの箱舟に乗りさえすれば救われると思っているふしがあると。

リーマンショックを百年に一度の恐慌と解釈し大騒ぎしたのは無意識に潜む終末思想の現れ・・・しかも資金注入された企業の経営陣がとり続けるとんでもない高額の報酬は「選ばれた自分」に許された当然のノアの箱舟の乗船予約券だと思っているのかも・・・

対してイスラムでは神自体は絶対だとしてもその意向に沿うかどうかは人(法学者)が人間の責任において判断する。したがって完全な神任せの自由市場とはならず、それが利息を取ることや投機的な投資を禁止するイスラム金融の制度につながっていると・・・

ところでこの利息禁止の話ですが、旧約聖書の中では但し書きがあって異教徒から利息を取ることは許されていると・・・で、どこへ行ってもマイノリティなユダヤ教徒は回りの異教徒を相手に遠慮なく金融業に励み、気がつけば世界の金融を支配するまでになっていたなどといった話も・・・

では日本はどうか。神を絶対視することが希薄な日本では市場の最適化を神にゆだねるわけにもいかず、村落共同体的な同調意識が神の見えざる手の代わりを果たしてきた。
したがってイスラムや(一昔前の)日本の資本主義では本質的に大恐慌は起こりにくく格差も広がりにくいはずのもの・・・等々。

経済や金融を切り口にキリスト、ユダヤ、イスラム、仏教、果ては八百万の神までを総なめにしたすごい本ですが、読んでいて中沢新一さんが「対称性人類学」で述べている“キリスト教、資本主義、グローバルスタンダードの▼一神教連合が世界を席巻している”といった話を思い出してしまいました。この中沢さんも宗教学者。宗教学者の視点や切り口にはなかなか味わい深いものがありますよね。

ところで、キリスト教圏では聖と俗が徹底分離といった話については▼こちらにも記事が・・・(2010.1.20)

-------------
◆2010.1.23追記

こんな記事を書いていた矢先の1/21、オバマ大統領が金融規制強化の改革案を発表。銀行がヘッジファンドやデリバティブといった高リスク分野に投資することを禁止するとのことですが・・・もちろんウォール街は猛反発し株価も一斉に下落。
これって米国式金融のイスラム金融ナイズ?新約聖書から旧約聖書への回帰?・・・などと言うと島田さんの本を読んでのかぶれ過ぎってことなんでしょうが、宗教で裏打ちされた無意識に基づく経済行動を規制強化で押さえ込むのは簡単ではないでしょうね。

◆2010.7.16追記

さすがアメリカ。7/16、ニュースによるとついにこの金融規制改革法案が可決され、後は大統領の署名を待つのみに。
80年ぶりの抜本改革とのことですが、これが新たなグローバルスタンダードとなるならまずは一歩前進ですよね。
by c_mann3 | 2015-12-20 00:00 |  ・・・風にまかせて・・・ | Comments(0)
<< ◇ ユーラシア胎動・・・ ◆ロスチャイルド、通貨強奪の歴... >>