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◆ユングと錬金術

【2005.2.10記】 ユングはなぜ錬金術とかいったいかがわしいものに手を出すのか・・・そう思い本も読まなかったのですが、このたび林さんのユング入門三部作を読み、まったくの食わず嫌いであったと反省しております。

勝手な解釈かもしれませんが、ここにはユングが個性化の向こうに見ている世界、そこに至るプロセスについての思いが凝縮しているのかもしれません。

●個性化の行き着くところ
ただただ黒いだけの素材をすりつぶし、熱を加えながらとろりとろりとかき混ぜて突如現れる「真っ白な状態」、さらに続けると極めてまれにではあるがたどり着く「金色ないし赤い物質」、これを金に見立てて錬金術というようですが・・・

《黒》・・・混沌としているがあらゆるものになりうる可能性を秘めたもの
《白》・・・汚れのない真っ白なもの、善のみを担う神の象徴
《赤》・・・善も悪も兼ね備えた貴な状態。純粋ではなく“黒”も“白”も含んでいながら金色に輝く最高の状態

ということで、それを積極的に目指すかどうかは別にして、無意識を取り込み自我が個性化していく究極の到達点は善も悪も兼ね備えた状態というのがユングの価値観ということなのではないか・・・
途中の純粋善という状態はむしろ不安定な通過点、少なくとも最高の位置づけではないといった感じがします。

●無意識をくみ上げていく手段について
夢のように無意識の側の都合で突然噴出してくるのではなく、もっと安定的に無意識をくみ上げることができる状態としてユングは、錬金術師のように邪念を払いひたすら無心に作業に打ち込む姿に期待を抱いているような気がします。
座禅、瞑想、能動的想像といったものよりは何がしかの作業に打ち込むことで、妙な言い回しかもしれませんが意識がどこかに集中している隙間をついて無意識が浮かび上がってくる・・・そんなイメージなのかもしれません。

神棚に拍手を打って身を清め、ひたすら炎にさらした鋼を鍛え続ける刀鍛冶、念仏を唱えながら黙々と木を刻み続ける仏師、ちょっとした気の緩みが作品の命取りになる、こういった人たちを連想させるものがあります。
何かに一生をささげてしまうこうした人たちにとって、切り捨てるもの、押さえ込んでしまうものには計り知れないものがあり、それを補償しようとする無意識の力もまた強大。
作業の前の祈りの儀式はそうした無意識を鎮めるためのもの・・・顔を出すなとは言わないが爆発だけはやめてくれ・・・じっくりにじみ出てくれるのであればあやしあやしで受けてたつ・・・そうしたプロセスを経てこうした人たちは遂には、意識、無意識を総動員した世界に入っていく・・・・そんな感じがしてなりません。(2005.2.10)
by c_mann3 | 2007-10-18 00:00 | Comments(0)
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