◆企業の存在意義:手段と目的の循環

企業の目的は“利潤の追求”ではない!と言ってしまうと、じゃあ何だ、ということになりますが・・・これが意外に難問のようです。前述のJ.K.ガルブレイスが「新産業国家」で展開していたテクノクラートの“計画権、執行権の最大化”は、メンバーの行動理念であって企業の目的ではない。ではこのメンバーが最大化された“計画権、執行権”をもってなそうとしたことは何なのか。

自身の地位の保全といってしまえば話はそこで終わってしまう。ガルブレイスは事例として巨大な“軍産共同体”のテクノクラートを問題にしたのですが・・・彼らが目指したものが戦争ではなく、戦争という名の市場確保だったとしたら・・・話は死の商人としての利潤の極大化といったところに帰ってしまう。あるいは戦場でしか確認も消耗もできないハイテク機器の開発競争で勝ち続けることが目的だったとしたら、手段であるはずの技術の自己目的化に同化してしまっているということなんでしょうか。


一方、ホンダの若い人の“青い空を子供に”というのは、今で言う“技術開発を通じての社会貢献”ということでしょうか。これなら企業目的としても納まりがいい・・・。ですが、“技術開発を通じての社会貢献”という企業活動を繰り返し繰り返し行い続けるためにはその開発に成功し、市場と利潤を得、次の開発への原資を確保することが必要です。

開発好きの創業者本田宗一郎氏が「がんばってくれ、これが成功すれば・・・」といったのは、若い人たちには通じなかったのかもしれませんが・・・この循環を続けるためには!といったことだったのかもしれません。


こんなことを考えていきますと・・・
市場とか社会の中で生き続ける企業の手段と目的の循環といった構図が浮かんできます。
市場を確保し利潤を上げることが、経営権(計画権、執行権・・・意味は同じです)の継続につながる。経営権が継続すればこそ企業の目的が追及できる。この循環のどこかにスポットライトを当てて目的と捉えることで、残りはつなぎの手段の地位に後退する。

利潤が目的とするなら、行為は極端な場合“死の商人”でもいい。技術開発が目的なら原資としての利潤は前提条件であり、場合によっては国の予算のぶん取りでもかまわない。何らかの社会貢献が目的なら、技術開発のテーマ選択には制約がかかる。
あるいは組織や従業員の保全こそ大事と捕らえる人には企業の目的は“存続すること”、すなわち循環の継続自体に意義があるということになるのかもしれません。
この“存続すること”というのは一見消極的な感じがしますが、実は企業にとってというだけではなく、いったん出してしまった商品やサービスが安心して利用し続けられるという意味では市場にとっても重要な要件です。


・・・とすると目的と手段は循環していてどのポイントを強調するかは単なる表現の問題となってしまうのですが・・・やっぱり企業は利潤を原資に循環しつつけて当たり前、それは前提条件、ということになると・・・そういう条件を満たしつつ“どういう理念に基づいてどんな商品やサービスを市場に提供するか”、そして“この理念は提供する商品やサービスと整合性があるか”・・・といった話に戻ってしまうのかも。

・・・う~ん・・・とうとう文章までが堂々巡りの循環モードに入ってしまったようです。(2005.2.16)
by C_MANN3 | 2010-10-14 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)
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