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◆手作り、未検証の「認知バイアス《1》」

新しい「認知バイアス」の発見とか実証とかができるといいんですが・・・そんな境遇にもありませんので、ならばせめてと、自分の経験則をまとめてみました。

経験則から生まれる警句は、ロジック半分、レトリック半分。根拠はあいまいかもしれませんが・・・議論が紛糾しているとき、ボソッとつぶやくだけでも鎮静効果はありそうです。
ということで・・・手作り品、パクリ品、思いつくままに認知バイアスもどきの話を並べてみます。


【① 議論は煮詰めすぎると答えを見失う】
コップに入れた水を前にして、水とは何だと議論が沸騰。熱を入れすぎて、ひょっと気がつくと水は全て蒸発。・・・あの水っていったい何だったんだろう・・・

【② 議論は端から固めていくと身動きが取れなくなる】
四隅がねじ止めされている建付けの悪い蓋を締めていくとき、律儀に端から順番に右回りにとかいって締め上げていくと・・・最後の一個はたいてい穴の位置が合わずに、やり直しとなる。当事者は決まって俺は間違っていない、蓋が悪いんだというが・・・元来こういうものは、四箇所を一斉に少しずつ、だましだまし締めるもの。

【③ 知ろうとする行為自体が対象を歪ませる】
たとえば工場の生産性向上の実験をしていて発見された「ホーソン効果」。実験の中身には関係無く、被験者に選ばれたことだけで生産性があがってしまったという話しです。

【④ 何かに注目すると何かが見えなくなる】
これは一種の不確定性原理と言えなくもない。ものを見ようとしてスポットライトを当てる…すると見ることのできない影ができる。ならばと全方位から照明を当てると今度は陰がなくなることで立体感が掴めなくなってしまう。

【⑤ 市場は黙して語らず、ただ存在するのみ】
客観的市場調査とかいって、無心になって数字を集めて集計しても市場はわからない。答えは知ろうとする人の心の中にある。そしてその心を商品としてぶつけたとき、初めて反応が返ってくる。要するにリスキーなアクションサーベイしかないということかも。

【⑥ 似たもの同士の近親憎悪】
“昔から、他人から見ると似たもの同士なのに、議論を始めると何故か真っ白と真っ黒に分かれて相譲らない近親憎悪の世界。 この原動力は何なのか。「アードラー心理学」なのでしょうか?”

【⑦ 山の両側で意見が真っ二つに】
Aは太陽に向かって進むと山の頂上に向かうという。対してBはそれでは山を下ってしまうという。意見が一見真反対に対立すると、お互いに相手が間違っていると思いこんでしまう。でも、AとBはそれぞれが山の北のふもとと南のふもとに分かれて立っているだけのこと・・・立つ場所によって意見が真反対という現象は山ほどある。

【⑧ 群盲象を評す】
これは手作りではなく、昔の仏教経典か何かに載っているらしいのですが・・・目の見えない方何人かが、象を撫で、鼻を撫でた人は太いホースのようだと言い、耳を撫でた人は大きな扇のようとか言って紛糾するもの。全体の見えない議論では我々もしょっちゅうやっています。

ところで⑦、⑧の話しは、全体の構造が見えず、しかも一人一人の依って立つところが違うところからくるもの。となると余計な議論を避けるためには、全体の構造を明らかにすることに主眼を置く「構造主義」的なアプローチが役に立つのかも…
by c_mann3 | 2010-01-18 00:00 | Comments(0)
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