◆トロツキーと唯識

以前、▼アドラーの記事の中で話題にしていたトロツキーと唯識の話ですが・・・

果てしなく広がる田園地帯で、もし自分の区画だけ害虫駆除をしたとすると・・・仕事が終わり帰路につくころには、おそらく回りの畑から越境してきた害虫であっという間に元の木阿弥・・・

トロツキーの「永久革命論」は、ロシアの革命が起爆剤となって全世界に革命の輪が広がるといった楽観的な未来観であったと同時に、後進国ロシアで一国のみが革命に成功したとしても、それを維持するためには世界中の国々での革命成就を支援し、連帯しなければ、周りの国からの不浄なものの侵食であっという間にもとの木阿弥という危機感も併せ持ったものではなかったか・・・

それは唯識で言われるように、不浄の種子がぎっしり詰まった阿頼耶識を、「多聞薫習」、「瞑想」で浄なる種子に置き換えていく果てしないプロセスが、気を緩めると一瞬にして回りの不浄なものでふただび覆い尽くされてしまうといった情景と重なります。

トロツキーはこのプロセスに「永久」という形容をしましたが、唯識ではこのプロセスを完成させ菩薩となるには数カルバの時間が必要と言います。
このカルバという単位、実は43億年という気の遠くなるような期間で、しかもそれは徹底的な破壊と創造のサイクルであるマヌ期を14回繰り返したもの・・・ということは単に時間がかかるというだけでなく行きつ戻りつの紆余曲折を経てたどり着くということのようで・・・

なんてことを言われると最終革命を成就することも、浄なる種子で阿頼耶識を満たして涅槃に至ることも・・・気の遠くなるような時間軸の上での話しのようです。

革命雑感のついでにもうひとつ・・・文化大革命について・・・
トロツキーが外からの不浄の侵食による革命の崩壊を危惧したのに対して、毛沢東は放っておくと内なる世界で人民の上下の分離分裂が芽生えやがては元の木阿弥になると危惧したということかも・・・ここでも果てしなく執拗な下放、同化の努力を続けなければいずれ・・・といった話になってしまうのが・・・不思議ですよね。

ユングのエナンティオドロミアや、阿頼耶識は心の中を表現したもののはずですが、人類の歴史や世界を思うときのモデルとしても最高!の概念ですね。(2005.2.25)
by c_mann3 | 2006-08-12 00:00 | ユングのすそ野の 風景 | Comments(0)
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