【2017/2月読】 題して「物語 チェコの歴史」、薩摩秀登著、中公新書1838、2006年の刊。
9~10世紀の頃、この地にはモラヴィア国が隆盛を極め、東ローマ帝国に懇願し招請した修道士キュリロスが考案したグラゴル文字(これが後にブルガリアにわたってキリル文字となり、広くスラブ正教圏の国々に)で表わしたスラブの言葉で神に祈るキリスト教国を目指していたとか。だがマジャール人の進入を受け、対抗のために東フランク王国と手を組んだものの力及ばすチェコ、ハンガリー、ポーランドの三国に分裂。そのいずれもがラテン・カトリック圏となってしまい、独自の文字を使いスラブ語による典礼を行うキリスト教国へとの夢はついえることに。 そうして生まれたチェコ王国はカレル4世の時代に最盛期を迎えカレルはチェコ王冠諸邦の王、ドイツ王、神聖ローマ帝国皇帝を兼ね、首都プラハは中央ヨーロッパの要となる。ところでチェコの国名“チェコ王冠諸邦”というのは不思議な名称ですが、その心は国王の上に聖バーツラフの王冠を置き、国王もチェコを構成する諸邦の候と共に王冠を支えるということのよう。 同じくこの時代に設けられた制度が“選帝侯”。こちらは神聖ローマ帝国の皇帝がチェコ王を始めとする7名の国王により選定されるということのようであり、諸侯、諸国の主権を強く残したうえで(余計な戦争を避け大人の話し合いで)さらに大きな単位で纏まろうとするこうした制度は今の連邦共和国、EC等にもつながるヨーロッパの生活の知恵なのかもしれません。 ところでルターを先がけること100年の宗教改革の話は・・・1420年ごろプラハ大学の神学部を拠点にヤン・フスなる人物が贅を極める教会に異を唱えた神学論争がその発端。市民や諸侯にその支持が燃え広がり、フス自身は教会により処刑の憂き目にあうのですが、支持者の動きは収まらず何と15年にわたるフス戦争につながっていく。最終的にはカトリック教会のもとに収まってしまうのですが、この運動とフスの歴史は今もチェコの人々の誇りとして語り継がれることに。 ですがその後のチェコはハプスブルク家の率いるオーストリア帝国、オーストリア・ハンガリー帝国の構成国となり、やがてチェコスロバキアとしてソ連邦の影響下に組み込まれるといった激動の時代を経ながらも、その輝きは失われることなく現在のチェコに至る・・・ この本はそうした壮大なチェコの歴史を読みやすい新書版にまとめてくれた感動の一冊です。多少なりともこうした知識を仕込んだうえで訪れていたならば、以前足早に駆け巡りただただ景観に圧倒されるばかりであった中央ヨーロッパの観光旅行も、さらに味わい深かったのかもしれないと思うとちょっと残念です。 それにしてもヨーロッパ史に出てくる地名や人名はややこしい。“チェコ王冠諸邦”はラテン語式に“ボヘミア王冠諸邦”と称されることが多い。また“カレル”は仏語ではシャルル、独語でカール、チェコ語でカレル。よって神聖ローマ帝国の皇帝としてはカール四世と言われることが一般的ですがチェコ語ではカレル四世に。さらにこの四世は皇帝としてであり、チェコ王としてはカレル一世だとか。ついでにシャルルというのはカレルが少年期にパリの宮殿で育ったため、尊敬する育父シャルル王にあやかって名乗ったものとのこと。
by C_MANN3
| 2005-10-16 00:00
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