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◇なぜ豊かな国と貧しい国が生まれたのか

◆なぜ豊かな国と貧しい国が生まれたのか H28/7読

ロバート・C・アレン著、NTT出版、2016年の刊。
この本の原題は“グローバル・エコノミック・ヒストリー”、それは歴史の事象を西欧中心史観や一国史観から脱却した視点で見直すことで新たな歴史観を得ることにあると。この本ではその中の争点の一つ、イギリスの産業革命とそれに続いた一連の国々の経済成長の様子が、成功の一般モデルの模索と共に分析されていて味わい深い一冊となっています。

イギリスの産業革命、それは到達した結果がドラスティックなものであったため、後に産業革命とよばれるようになったものではあるが、近年の新たな視点で資料の掘り起こし当時の社会状況や経済成長率の推定を重ねていくと、その実態はもっと緩やかで長期にわたる変化であった。長いプレ工業化社会を経て、技術的にも大発明というよりは職人的な技術改良を積み上げて段階的に工業化が進展したものであり、経済成長率も2%程度の穏やかなもの。
だがその到達点が他国に対して圧倒的に優位な地位であったために、他の周辺国は一斉にその後を追い始める。まずはドイツとアメリカが成功し、続いて帝政ロシアと明治期の日本が一定の成功を収めるに至る。だがその道筋は先行するイギリスの答えを見た上でのキャッチアップ型の産業化であり、機械や技術を導入し制度をまねても条件が整わない国では成功には繋がらなかった。
そこでこの成功、不成功の分析から導き出されたのが以下のキャッチアップの標準モデル。
 ①内国関税の廃止、インフラ建設、国内市場の統一
 ②幼稚産業の保護と対外関税の創設
 ③通貨の安定と産業資金供給の銀行設立
 ④工業労働者育成のための普通教育の普及
そして戦後にこのモデルをさらに徹底した経済成長のモデルが誕生した。それは“ビッグプッシュ型”の近代産業化であり、旧ソ連と日本がこの典型として年率6%を超える成長を五年、十年と続け、世界の先進工業国に躍り出ることとなった。
だがそれにも限界はあった。キャッチアップ型では、キャッチアップを成し遂げもはや目の前に追従するモデルが無くなってしまうと、後は自力で独自に成長のスタイルを模索することになるが、キャッチアップ後は世界の技術フロンティアの拡大スピードに合わせた成長しかできない。そしてそれはせいぜい年率1~2%なのだと・・・

ビッグプッシュ型の特徴は、イギリスが民間活力による自然発生的な模索過程であったのに対して徹底して官主導であること。官が指導モデルを見失い民間の活力に身をゆだねはじめると、その成長率はかつてのイギリスの産業革命時代のそれに回帰してしまうということなのかもしれませんね。
ですがそれよりも気掛かりなのはこれからキャッチアップしようとする国々。先進国がグローバルスタンダードを押し付けてくる現代にあっては四つの条件の、特に②などは確保することが難しそうな気がします。
by C_MANN3 | 2005-10-28 12:00 | Comments(0)
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