◆◆「個性化」の迷路◆◆

林道義さんのホームページで「ユングの心的エネルギー論」を読ませていただき、すごく分りやすくてよかったこともあり林さんのユング入門書三部作に目を通しました。
おかげさまで“今頃になって何を言ってるんだ”といわれそうですが、ずっと気になっていた疑問がひとつ晴れました。

実は自我が無意識を取り込み統合化を図ることをユング心理学では「個性化」と言うようですが、この表現が今までどうもシックリなじめませんでした。
自我は本来、我を主張している分、個性化とはニュアンスが違うにしても強いて言えば個性的。だからこそ、普遍的無意識を含む無意識を取り入れていくことで「我」が抜け、透明で普遍的なものに近づいていく。それが自己実現とか、自己超越なんだと思っていた私にとっては「個性化」という表現は真反対に近いイメージでした。

ところが林さんによると・・・
自我はそれほど「我」を張れていない。最初はむしろ世間体、習慣、普遍的意識を色濃く反映してスタートするもの。それが四十歳ごろから自身に目覚め始め、補償としての無意識を取り込み始めることでやっと自我の「個性化」が始まる・・・ということのようです。

う~ん、そういうことか。人は我を張ってスタートし、四十にしてその至らなさが気になりだし、やっと世間を気にし始める・・・しかしそれは個性をオブラートで包み始めること・・・などと思っていた私の見当違いのようでした。
ひとつには勉強不足、もうひとつはユングをきれいに理解するためには、何よりもまず自分のひずみを考慮に入れなければ・・・と思った一幕でした。

ところで林さんは個性化の究極の姿は論語で言う“七十にして己の欲するところに従えども矩を越えず”の状態である・・・と。
実は私も期せずして究極の姿をこの論語と同じだと思ってきましたので、うれしい限りなのですが、四十代の云々は「個性化」だとしても、究極の“己の欲するところに従えども矩を越えず”というのはほとんど透明人間、やっぱり「自己超越」のほうが言葉としてはしっくり・・・などと、またまた我を張ってしまうと元の木阿弥なのかも・・・(2005.8.25)
by C_MANN3 | 2007-04-20 00:00 | ユングのすそ野の 風景 | Comments(0)
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