◆成果主義・・・雑感

少し前のことになりますが・・・著名大企業の52才の人が成果主義の徹底で月収が2万円になったとして裁判所に提訴といったニュースが話題になりました。

行き過ぎた運用によるいろいろな弊害があり、成果主義見直しの本がたくさん出回っています。
見直しブームの火付け役になった感のある本、「内側から見た富士通・・・成果主義の崩壊」(光文社)を書いた富士通人事部の城繁幸さんは、崩壊のまま放っておくわけにも行かなくなったのでしょうか、続編として「日本型成果主義の可能性」(2005、東洋経済新報社)を出版し、これまた話題になっています。

この本、読ませていただくと最初の2/3のあたりまでは再度の制度批判かとも読めなくもない・・・しかもさすがにどの場面もすごいリアリティです。ですがよく読むと・・・それはタイトルの通り、新しい日本型成果主義提言への序章。再度挑戦する会社はこの跌を踏まないようにということのようで・・・著者ご自身、成果主義自体をあきらめているわけではなさそう。

長年の年功序列システムのぬるま湯のなかで、“ぶらさがり”、“紛れ込み”、“のっかかり”の達人たちが成果を出しているふりをしてきたことは確か。こうした人たちを護送船団方式でチーム全体の評価の中に封印してきた面もある。こうしたものを払拭するためには制度の導入自体は避けられないもの・・・ですが、運用が問題。運用するのは人。制度を後戻りさせるというよりは、運用する人の志が変わる必要があるのかもしれません。

制度自体にも相反するもののバランスを見直すなどの手直しは必要・・・
・個人成果からチーム成果へのある程度の重心異動
・目標や役割の階層間ブレイクダウン中心から、個人の自発的な目標設定枠の拡大

ですが、それよりも何よりも制度をとりかこむ人たちの間に信頼感と安心感を取り戻すこと・・・そこを押さえないといくら制度を改良しても効果はない。成果は大勢の人たちの支えあいの上にあるとの自覚を共有するだけでも運用は変わってくる。


◆実は気になっていたことが・・・

成果主義が導入されそうだと話題になり始めた頃・・・実は多くの人たちが喝采と期待を持って迎えた形跡がある。

がんばっているのに報われない自分、そうではない周りの人たちへの苛立ち。成果主義が導入されさえすれば、こうした状況は制度がジャッジしてくれる・・・周りの人たちは必ず淘汰され、自分は報われる。・・・そうした期待を持つ人たちが多かったような気がします。

だがいざ始まってみると違っていた。刃は自分自身に迫ってくる。結局のところ、自分のことも周りのことも見えていなくて、ケシカラニズムに生きていた人たちが少なくなかったのかもしれません。
こうした人たちが制度を受ける側に回れば予想外の結末に唖然とし、扱う側に回ればケシカラニズムで容赦なくジャッジする・・・こうして制度のねらいは捻じ曲がっていく。

制度がある種の集団心理を誘発することはありうる。ですが一方において制度を運用する人の心理が制度の有効性を高めたりないがしろにしたりする面もある。
問題は制度を取り囲む人たちの間でどういう世論が形成されていったかということ。ケシカラニズムの人たちが何かを加速してしまったことはなかったか・・・立案者の高邁な理想がかき消されてしまったことはなかったか・・・思わぬ勢力に道具として利用されてしまったことはなかったか・・・

組織の中では目標設定から成果判定にいたる評価シートは何回となく面談され協議を積み重ねて仕上がっていく・・・その場面場面に立ちあったのは人間。人だから感情に支配されるというのではなく、人だからこそ何かができたはず。

すべてを運用マニュアルに記載することは無理。解釈には文脈理解が必要・・・だがそうした理解のベースとなる信頼感が崩壊し始めた時代に出てきた不運もあるのかもしれない。

こころを込めて仏を彫って欲しいと配った彫刻刀。ですが時代背景の中で、人心がすさみ始めた矢先に配ってしまったタイミングがいかにも悪く、気が付くとこの刀で傷つけあいが始まってしまった・・・そんな感じがしないでもない。

でもやがてほとぼりが冷め落ち着いてみると、やはり仏を彫るには何がしかの彫刻刀が、おそらく必要となる・・・(2006.3.8)
by c_mann3 | 2009-06-06 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)
<< ◆勝組みが踏み固める格差社会   ・・・次は・・・ >>