◆意図、会話、収斂、そして秩序・・・

ハーバーマス・ルーマン論争の論点のひとつは、コミュニケーション(会話)が収斂していくことで自然に秩序が形成されていくものか否かということのようなのですが・・・
秩序形成のメカニズムとしては“自己組織化”とか“オートポイエーシス”といった論点も気になるところです。

組織の中で“ある種の意図をもった人たちが・・・会話や対話を通じて・・・議論を収斂させ・・・結果として秩序が形成されていく・・・そのプロセスで構成員にも態度の変容が起こっていく・・・”などということが成り立つのかどうか。
以下はそうしたことに関わりそうな会話の風景、2題です。


◆対話を避ける会話

オートポイエーシスという言葉に接してはや一年。とくに職場などで会話を重ねる中でますます思いを強くし始めていること・・・それは結局のところ会話は対話になっていないということ。

饒舌にしゃべってはいても巧妙、巧みに自分の匂いを消していく。われ思うゆえに・・・などとは絶対言わない。論拠を自分自身以外のものに摩り替えていく。あるいはその場を支配する何かに合わせて語り込んでいく。

そうかと思うとちょっと大きな会議では、みんなが天井のシャンデリアに向かってしゃべっている御前会議のような風景になることがあります。隣の人に同調を求めているのではない。前の人の意見を受け入れて自身の気持ちを再構築しているわけでもない。結局オートポイエーシス理論で言われる一つ上の階層のシステムのエレメントとしてシャンデリアに向かって発言し自己創出をしているだけ。まさにオートポイエーシスを実感する情景ですが、こんな情景でハーバーマスの理想的な対話なんてものが成り立つのだろうかなどと思ってしまいます。


◆説得にはつながらない会話

職場や家庭でまるで百年戦争のごとく繰り返して語っても通じ合えないことがあります。百年対話を続けてもそれで相手が変わるわけではない。対話によって打ち解けたり通じ合ったりするものでもない。
何らかの事情で受け手の何かが変り互いの心にオーバーラップするものが生まれたとき、そのオーバーラップ分だけ会話が成立する。そしてその領域が少しずつ広がって行ったとしてもそれはこちらの説得の成果などでは決してない。彼自身の都合とペースによる変化の結果次第。その日までは如才なく相槌は打ってもバリアは決してはずれない。

ですが・・・こんな空しい百年会話の中である日突然落雷に打たれたように相手の心に変容が起る一瞬がある。うれしいはずのこの一瞬・・・でもそれが百年の会話の成果ではなく、同じ言葉を他から仕入れたことがきっかけで、しかも始めて耳にしたような感動の表情をされると・・・「昔から言ってたじゃないか」とさらに空しさが倍増したりすることも。


こんなことを書くと「話の持っていき方がまずいんじゃないか」とか「そんな言い方じゃ聴く気がしないんだよ」といった声が聞こえてきそうですが・・・それも変な話。書類不備で中身に関係なく受付却下とは、まるで一昔前の市役所の受付って感じですが・・・ことコミュニケーションに関しては今もそれがまかり通り、しかもその傾向がますます強くなっている感じもします。

説明も無くいきなり怒鳴りつけられたり突然理不尽な壁にさえぎられたりで途方にくれながら色々と思い巡らすことでプロブレムファインディングのトレーニングになっているなんて風景はもう見られない。
コミュニケーションはそれ自体が難しいだけでなく、さらに入り口で「受容」、出口で「変容」と言った難題が横たわっているようです。

--------
読み返してみるとちょっと悲観的なこの文章・・・もしかして私は通じない会話に疲れているのだろうか・・・などと思わぬこともない。ですが、それでも会話を止めるわけにはいかないこともまた現実・・・今日も明日もたとえ空しくても実らなくても、会話は続きます。

なお、“▼オートポイエーシス”、“▼変容”については別掲記事があります。(2006.5.24)
by c_mann3 | 2009-12-18 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)
<< ◆ハーバーマス・ルーマン論争 ◆ニクラス・ルーマン・・・ >>