◆Wiki とマス・コラボレーション

インターネットの世界では次々新しいものが出現しびっくりさせられますが、Wikiなんかも本当に不思議な存在です。

ネット上で自然発生的に知識が生成されていく・・・スパムやウイルスのようにネット上の妨害勢力がはびこる一方で、性善説を大前提にしたWikiのようなものも現れる。
善と悪が同居しせめぎあいながら進化を続ける社会の縮図のような風景がネット上でも再現されている感じです。

このWikiは前掲の本、梅田望夫さん著「ウェブ進化論」でもマス・コラボレーションを担うものとして取り上げられていて・・・

Wikiの代表格は世界中の無名の人達が寄ってたかって編集している百科事典Wikipedia。今やWikipediaは最も権威のある百科事典ブリタニカの十倍の語彙数を誇り、主要な単語に関しては正確度も遜色がないとか・・・その一方で誰が書いたか判らない記事なんて信頼性の保証が無いと権威筋からは嫌悪と憎悪の対象とか。

あらためてWikipediaを眺めていると・・・自然発生的に知識が生成されてくる背後にはいったいどんなシステムソフトや運営の仕組みが潜んでいるのかが気になります。

編集方針の項を覗いてみると、いろいろある中で・・・

・ウィキペディアはフリーのウェブサイトでもプロバイダー
でも ありません
・ウィキペディアは戦いの場ではありません
・ウィキペディアは無政府主義の実験ではありません
・ウィキペディアは民主主義の実験ではありません

などといった項目もあり、理念としてはよくわかるのですが、これではシステムのからくりを想像しようとすると益々わからなくなってしまいます。

管理者も立候補制、編集方針や運営規約なども自然に形成される仕組みのようで・・・運営事務局があるのかないのか?あってもほとんど表に出ない。こうした人と意見の集まりを制御するシステムソフトってどんなものなんでしょうね。ブログなんかとはまったく異質な、人と意見の果てしない絡み合いと収斂、新陳代謝をハンドリングするシステム・・・

Wikiの情報には保証がないとは言われますが、一方において投稿規定や査読委員会といったものが確立されているはずの旧来の学会誌などで研究論文の捏造が相次いでいる・・・こんなことを思い合わせると、いろいろと考えさせられるって感じですよね。

最近益々気になり始めたのですが・・・玉石混交の知や情報が渦巻くネット社会の中では、我々の取り込む知や情報の確度や確信はいったい何に由来することになるのでしょうか。

Wikipediaをターゲットにした実験では、意図的に間違った文章を掲載するとあっという間に修正されてしまったとか。ですが一方でマイナーな単語では修正されずに放置されるとも・・・
となるとやはりWikiは情報であって知としての確度は保障されない、それは取り込む人の責任ということになるのでしょうか。だとすると一人一人の知の確度への確信の源泉はいずこにと言った話に戻ってしまいますよね。
by c_mann3 | 2008-10-18 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)
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