◆2003年のイラク・・・つかの間の解放区

ますます混迷の度を深める中東情勢ですが・・・ブッシュがイラクに侵攻して間もないころ、YAHOO掲示板にこんな駄文を書いておりました。

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(以下は2003/ 4/13 記)タイトルは「カオスからコスモスへ、道は遠く」です。

イラクもどうやらミサイルや武器弾薬を撒き散らす形の戦争はほぼ終結といったところなんでしょうか。
前回の湾岸戦争のときもそうだったのですが・・・ジハードとか言う以上、ベトナム並みの長期戦になるのかと思いきや、あっさり片がつくのが不思議です。
振り返ってみるとあらためてベトナムの人々のピュアーな意思、持続力に敬意の念を感じます。


どうやらバクダッドでは当たりかまわずの略奪が行われているようです。こんな風景を見ていてフッと、「アラビアのロレンス」を思い出してしまいました。

英国人のロレンスがあっちこっちの部族の首長を口説いて対トルコのゲリラ戦を戦い、敵を殲滅はしたものの戦利品が無いと荒れ狂い、そのあたりのものをてあたりしだい略奪するとさっさと解散して国許に帰ってしまう部族たち・・・もしかしたら抽象的なもののために戦うことは不得手な人たちなのかもしれない・・・なんてことを思ったりもします。b0050634_139436.jpg

さらには遂にアカバを陥落させたものの電気も水道も麻痺したまま、都市機能をオペレーションすると言ったことには頓着なく、戦後処理の会議では居並ぶ欧州の強国の前で団結して駆け引きをするといった気持ちはかけらも無く部族の首長同士がののしりあう姿・・・
一体何のための、誰のための戦いだったのか・・・互いにののしりあうアラブ人たちの奇妙な活力、対して憔悴しきったロレンスの表情・・・印象的な映画でした。

もしかしたら人類は一様にコスモスを求めているわけではなく、カオスをまるで空気のように受け入れて呼吸のできる人たちもいるのかもしれません。
イスラムのコーランは法と秩序の体系といわれますが、カオスの中に活力を求めるこうした人たちの世界でコスモスを築くためには宗教はコーランにならざるを得ず、また大多数がカオスを求める中では一部の人たちが逆に超コスモスと言えなくもない「原理主義」に走ることもまた必然的な帰結なのかもしれない・・・などという感じもするのですが・・・

それにしてもソ連邦が崩壊すると一挙に噴出した民族紛争もそうですが、それが政治思想であれ、宗教であれ、圧制であれ・・・何かの強制力があってのコスモス、それがはずれると一挙にカオスの世界に入り・・・一人一人が自然発生的に連携しコスモスを形成していくなどということは望むべくも無く、次のコスモスは次の強制的支配力の形成を待つのみといったことを繰り返す人類の歴史って・・・一体何なんでしょうか。

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以上が、当時の毎日のニュースを眺めていての感想文といったものだったのですが、まず最初の数行の斜体表記部は、まったくの的はずれだったようでお恥ずかしい限りです。

ただ、最初の徹底的な空爆が一段落し、フセインの軍隊は霧散、未だ米英の地上部隊は都心には進駐せずといったほんの数日間のこの風景は、今にして思うとイラクの人たちにとってはカオスと言うよりはつかの間の「解放区」だったのかもしれません。まるで台風の目に入ったような・・・暴風雨が収まり出現した一瞬の青空・・・ですがそれはほんのつかの間。やがて以前にもまして強烈な逆風の世界に突入していくことになります。

そして新たな暴風雨の中で立ち上がるジハードが嵐をさらに強力で持続的なものに変えていった。ですが、イラクのジハードは原因ではなく、状況へのリアクションといった感じがします。

そしてアラビアのロレンスになぞらえて言うなら・・・ロレンスが半ば厭世気分で“アラブのことはアラブの好きにしてもらうしかない”と憔悴しきって祖国に引き揚げたように・・・ブッシュもまた何も得られぬままに祖国に引き揚げていただくしかないのかもしれませんね。(2006.8.20)
by c_mann3 | 2006-10-20 00:00 | ユングのすそ野の 風景 | Comments(0)
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