◆立花さんの・・・「知」のソフトウェア

立花隆著、“「知」のソフトウェア”、講談社現代新書、初版が1984年。本を買うときは発行日を確認してあまり古い本は買わないようにしているのですが・・・重版発行の日付を新刊発行日と勘違いして、とんでもなく古い本を買ってしまったようです。

ところが読みはじめてみるとチッとも古くない。著者の立花隆さんは田中角栄を追い詰めた人。その後しばらくして書いた本らしく、内容は見えない真実を追究し、何かを浮かび上がらせるための立花流の「知」のソフトアェア。

副題が“情報のインプット&アウトプット”ということなのですが、情報を「脳」という不思議な壷にしこたまインプットし、かき混ぜて寝かせて醗酵させ、やおら取り出しては調理する。この全工程に関する立花さんのノウハウや想いがぎっしりの本でした。

さすがに20年も前となるとインターネットも情報検索もなかった時代で、情報の収集と検索の工程だけはやや時代がかっていますが・・・それ以外の情報や知を醗酵させ、真実に切り込むアプローチや、アウトプットとしての文章にまとめていく工程についてはITやインターネットでカバーできるものではなく、今も昔も変わらない極めて人間的な職人芸であることを実感させてくれます。
いろんなことが書かれていますが、いくつか・・・

◆コンテを持たずに文章を書き始める

文章を書く前にはコンテや構成は考えない場合が多いとか。コンテを練るとその通りの、その程度の文章があっという間にできてしまって終わる。
シナリオ無しで少し書いては横道にそれ、また書いてはそのとき浮かんだ思いで向きを変え・・・こうすることでランダムにインプットし意識と無意識の境界線に沈殿して漂っているもろもろのものが発酵して語りかけてくるのだと。
そしていったん膨らませた文章は終盤で、まるで米を思いっきり削る吟醸仕込みの酒のごとく削れば削るほどこくが出るとも。

◆さらに、なんと“KJ法は役に立たない”と・・・

KJ法は川喜多二郎さん提唱の集団発想法であり、従来一人一人が頭の中であれこれと取り留めなく考えていたプロセスを、断片的な概念をカードに書き机の上に並べてグループでわいわいがやがやとまとめていくといったものなのですが・・・
これは従来個人の頭の中の無形の作業空間で行われていたものを、物としてのカードを使って展開することで作業手順を定型化し、集団作業を可能にしたシステマティクな方法論。

ですがこれについて立花さん曰く・・・この方法が威力を発揮するのは“頭の鈍い人が集団で考えるときだけ”、“普通以上の頭の人が一人で考えるときは時間がかかりすぎて無駄な作業”だと。

ドッキリ表現ですが前後をよく読んでみると立花さん自身、“ものを考えるプロセスでは個人の脳裏でまるでカードをくっつけたり離したりのプロセスを経ている”、ということについて異論を唱えているわけではなく、一人でものを考える場合にまで律儀にカートを作ったり並べたりすることは時間の無駄だということのようてす。

ですが、“頭の鈍い人が集団で考えるときだけ”といったきわどい表現に接すると・・・会社の中などでよく推奨される“わいがや”でものを考えようとするプロセスが、本当にものを考え「知」を生み出していく方法として効率的なものなのかどうかといったことについては改めて考えこんでしまいます。

招集がかかると取り立てて事前準備も自身の構想もない人たちが集まってわいわいがやがや・・・予定時間が来ればホワイトボードの落書きをコピーして終わりといった風景がなくもない。
何かを欠いた集団討議よりは、目的意識のはっきりした個人の“沈思黙考”の方が知的生産性は高いのかもしれませんよね。 (2006.9.17)
by c_mann3 | 2009-09-12 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)
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