不思議な響きを持った言葉、“クオリア”・・・
実は、茂木健一郎さんのちくま新書“意識とはなにか―「私」を生成する脳 ”で、初めて出会いました。 この本によると・・・ 機能主義の立場ではつかみ難い“主観的な意識というもの”があるのかないのか、あるとすればそれはどこにあり、一体どんなものなのか・・・ それは、どうやら脳内の前頭葉の辺りにあり、脳の中にある1000億個の神経細胞のそれぞれのシナプスが結び合う関係性の中で浮かび上がってくるクオリア(質感)の集合体が意識の実態・・・これは環境や他者との関係性の中でダイナミックに変化し続ける脳の働きそのものということのようです。 そしてそのクオリアとは、木の葉の隙間からこぼれる木漏れ日のキラキラとした質感、磨かれたガラス容器のクリスタルな質感・・・そうした色彩や形といった情報をベースにはしているがそれを超えてその一瞬に感じる質感を表した言葉なのだと。 多少これを拡大解釈させて頂くと、さっと風が吹き落ち葉が舞う瞬間に“胸中に浮かぶ情感”、テレビで台風や地震のニュースに接して“ふぁっ、と沸きあがる思い”・・・多分こういった外的な刺激を受けた時に付随して巻き起こる情感のひとつひとつもクオリアなのだと思いますが、いまではクオリアという単語自体が私の胸中にひとつの“質感”を持つようになってしまいました。 日々の生活の中で、風が吹いても、雨が降っても、感動しても、うんざりしても・・・その瞬間に「おっ、クオリア」とつぶやいている毎日といったところです。 それにしても、今年は台風、地震と規模の大きい災害が続きますよね・・・(2004.10.23)
by C_MANN3
| 2012-12-18 00:00
|
Comments(2)
はじめまして。嵩駒 羅慧秦と申します。これで「たかごま らゑしん」と読ませています。
ユングの「心理学と錬金術」の検索から飛んできたのですが、「クオリア」の字を見つけ、少し記事を読ませていただいて、記事の組み方など、工夫されているのが凄いと思い、コメントしています。 実は、私も「意識とは何か」で、クオリアに初めて出会いました。それ以来、思考の片隅には、常にその言葉が居座っていて、C_MANN3さんが書かれているように、「クオリアという単語自体が私の胸中にひとつの“質感”を持つように」なってしまった者の一人です。 記事を関連したもの同士つなげてらっしゃるのが、「自分も考えたことだ!」なんて、おこがましくもおもってしまいまして……。(ちなみに、ブログではなく、HPなんですが) 大きな木になった文章の数々、これから少しずつ、拝読させていただこうと思っております。 また、お邪魔いたします。
Commented
by
c_mann3 at 2010-02-01 00:55
羅慧秦さん、コメントありがとうございます。
ちょっとした出来事や、たまたま手にした本に出合った瞬間に浮かび上がるクオリア(ないし心のざわめき)をこつこつ書き出していけば、いずれ自分の心の中の混沌と相似形に枝葉の茂った樹が姿を現すんじゃないか・・・などと思って書き溜めているのですが、ただ今の枝葉はまだ310枚。 日立のコマーシャルに出てくるような茂った樹になるのは一体いつのことやら・・・といった感じです。
|
|
ファン申請 |
||