◆言葉はなぜ通じないのか・・・

この記事はひとつ上(にスクロールしたところ)の記事にも関連した話となりそうなのですが・・・

語っても語っても通じない会話を重ねる閉塞感・・・時折そんな感じもするせいなのか、ふらりと立ち寄った本屋で何気なく目にした本「言葉はなぜ通じないのか」を、タイトルに吸い寄せられるようにして買ってしまいました。

小浜逸郎著、先月出たばかりのPHS新書473。

ソシュール言語学と時枝誠記(始めて聞く名前でしたが・・・)の“言語過程説”の比較分析、そしてハイデカーの「存在と時間」といったものをベースに言語の仕組みや特徴が解きほぐされつつ話は進んでいくのですが、この本によると・・・

言葉は順序だてた説明を文法等の規範体系にのっとり音声で表出するもの。
ですが、会話は多少文法が間違っていたり単語を取り違えていても通じることがある反面、理路整然と万言を費やしても一歩も通じないこともある。どうやら会話は体や心の外に語られるべき客観的な何かがあって、あとはそれを文法に従い論理的に表現しさえすれば通じるといったものではない。

主語を重視し言葉をロゴスの表現と考える西欧。対して述語、形容詞を重視し驚きや感動を軸にイメージの世界を伝達しようとする日本語。
文化によって言葉に対する認識は違っても“会話が通じないときにロゴスをいくら整えても効果は無く、会話には情緒の共有と一致が不可欠”とのこと。

では会話が通じるための条件とは・・・

   ①語り手の迫真性やまじめさ
   ②生活の共有体験からくる信頼性
   ③事実と照らし合わせての納得
   ④聞き手の生活体験からみた、ありえる感じ
   ⑤言葉の働きを信じようとする善意

まずは⑤の言葉への善意・・・言葉を発し、受け入れ、言葉でつながっていこうという言葉への信頼感がなければ、文法を守っていても単語は引き裂かれ、ロジックを守ってはいても文脈は糸の切れた数珠のようにはじけて霧散する。

そして②③④、これは裏を返せばせっかくの事実や経験がどう理解されているかにかかっているということ。しかもそれは客観的というよりは実存的。数十年、夫婦や同僚として同じ風景を見、同じ事実に遭遇した歴史を共有していたとしてもその理解は同じではない。

ですがこの理解の不一致が言葉が通じない理由であるにもかかわらず、これを変えていくのもまた言葉でしかない。

言葉には物事を抽象化し、実体の無いものを実体化し、概念的なものを固定化したり流動化させたりする機能がある。
生活史が認識され記憶されるプロセスに働くのもこうした言葉の作用。そして認識の再編成もまた然りであり、自身の言葉であれ他の言葉であれ、言葉を意識の空間に投げ入れることでのみ変化は起こる。

あきらめずに会話を続けていれば、そのうちにどちらかの心境に変容が起こり、通じ合える(折り合いがつくと言ったほうが近いのかも)こともあるのだと・・・最後は妙な慰められかたをしてフィナーレを迎える不思議な説得力のある本でした。(2007.9.26)
by c_mann3 | 2009-12-14 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)
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