マルチメディアの時代となり映像や音をふんだんに取り入れた情報が受け手のロゴスを通り越して直接感性領域を揺さぶり始めた一方で、いろんなロゴスの断片もまたあふれるように流通するようになり、ロゴスを生み出す元であるはずの感性的なものは逆に細りつつある・・・・
先日検索サイトの利用度ランキングが発表され、googleがダントツ一位だったそうですが、ここしばらくはいろんなものが益々googleに集中していくことになるんでしょうか。 キーワードを入れてアクションを起こさないと反応しないとはいえ、検索データベースがここまで巨大化し、検索技術も進化してくると、人の思考プロセスへの影響は侮れないですよね。量の巨大化が質的な変化の効果を持ち始めるってことでしょうか。 何か新しいものを創造したり企画したりといった場面では従来は博識の人、顔が広くてたくさんの情報源を持った人といった人たちが重宝されてきましたが、ここまで検索が発達してくるとこうした人たちの存在感はあせてきますよね。単に広く知識を集めるだけなら、インターネット検索はもうすでに文殊の知恵もブレンストーミングも超えてしまっている。 ここまで瞬時にいろんな情報が取り出せるようになると、クリックするたびに現れる情報の洪水の中で、一見よさそうな情報を「まだ答えではない」と切り口を変えて再度クリックを繰り返えしたり、これがファイナルと取り込んだりといった嗅覚的、感覚的な判断が益々重要になる感じがします。 ところがこうした嗅覚的、感覚的な能力は実はずいぶん以前から退化し始めているんですよね。広く情報を集め、ロジカルにシンキングしようという風潮とITの発達がこの退化を加速しています。ITの発達で人に残された人固有の役割が益々感性的なものに絞り込まれつつあるのに、そのITの発達によって退化し始めているのは皮肉です。 先日の朝日新聞でも紹介されていましたが、KDDIが数千人の携帯を使って一人一人の考えていることや今いる場所、今しようとしていることといった生活情報を収集し、それをベースに究極的には「ちょうど今それが欲しかった」と思わせるような情報を提供する試験を始めるとか。 検索結果に違和感があったり不足感があればこそ、「いや、まだ他にも何かあるぞ」といった嗅覚も必要となり、磨かれもしますが・・・それなりに満足できる情報が人を取り囲こむとなると、よほどの目的意識や価値観や情報の選択眼を持った人以外は嗅覚が益々退化しそうな感じもします。 これと類似のことを連想させる話になるのでしょうが・・・ソニーがデジカメでスマイルシャッターとかいうのを出したとか。カメラがオートフォーカスになりぶれ防止がつき、画質が極端によくなったおかげで画角も構図もとりあえずは撮ってしまった後でいかようにもトリミングできるようになった今、最後に人の感性が生きるのはシャッターチャンスのみだと思っていたら、なんと画像処理で、にっこり笑った瞬間に自動的にシャッターが下りるとか・・・ 単に便利な道具、馬鹿とはさみは使いようなどと思っていたITやコンピュータは今巨大なモンスターとなって人を取り囲みつつある。包囲された人の近未来はもしかすると“感性の領域は渡すまじと奮戦する人”と“あっさりロゴスの領域も感性の領域も明け渡してしまう人”に二分されていくのかもしれない・・・これも西垣通さんが13年前に抱き、益々現実味を帯びてきた危惧のひとつなのかもしれません。(2007.10.16)
by c_mann3
| 2008-10-08 00:00
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