カテゴリ:ユングのすそ野の 風景( 93 )

◆◆ユングのすそ野の風景◆◆

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ちょっと変なタイトルで恐縮です。ユングについていろいろと書ければいいのですが・・・いささか力不足。
で、晴れた日には見上げると遥かかなたに霞んで見える巨峰ユングのもと、広大に広がる裾野を散策しながら思う雑感(これもクオリアの一種か)を書き連ねるのも一計ということでこんなタイトルとさせていただきました。

何しろ裾野ですから・・・話題はランダム。この話のどこがユング?と言われそうなものも並ぶことと思いますが・・・すべての道がローマに続くように、心を語ればすべてはユングに通じるということでご容赦を!(2005.2.10開始)
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《このカテゴリーの主要な記事》


      ◆錬金術やグノーシス・・・・・・・・(7件)
      ◆心の流れ、退行・転移等・・・・・(5件)
      ◆サイコイド、布置、能動夢・・・・(5件)
      ◆無意識のうごめき・・・・・・・・(5件)
      ◆個性化の迷路・・・・・・・・・・(8件)
      ◆フロムとユング、アドラー・・・・(7件)
      ◆三大宗教、そしてロシア・・・・・(7件)
      ◆ペルソナと三位一体・・・・・・・(5件)
      ◆イスラームの世界・・・・・・・・(8件)
      ◆ユングと唯識・・・・・・・・・・(6件)
      ◆ヒンドゥーと四住期・・・・・・・(7件)
      ◆多神教、一神教・・・・・・・・・(6件)
      ◆建築とこころ・・・・・・・・・・(2件)
 

 
by C_MANN3 | 2007-12-20 00:00 | ユングのすそ野の 風景 | Comments(2)

◆YAHOO掲示板/心理学/ユング

別の運営会社の話でexciteさんには恐縮ですが・・・

YAHOO掲示板の心理学コーナーで《ユング》と題するトピがあって数年続いており、ちょっとしたきっかけで私も参加させていただくようになりました。
このブログの《ユングのすそ野・・・》では、当面の間そこでいろいろと書き重ねたメッセージを再整理し、リメークしたものを掲載させていただきます。

無論、人様の文章の再掲にならないよう慎重を期しますが、たとえ私自身の文章だとしてもYAHOO掲示板に参加する機会がなければ、ユングについてこんなにいろいろと思ったり、文章を書いたりすることはなかったものと思います。とりわけ、s1208さんから頂戴しつづけた刺激、お導きが支えでした。

また再掲版といっても、元の文章はs1208さんを始めとする方々との会話形式になっているものも多く、自身の文章を抜き取って独立したメッセージにするためにかなりのリメークになっているものもあります。

以上、何かとご了承いただければ幸いです。
また「YAHOO掲示板/ユング」のリンクを張っておきますので、合わせてご参照ください。(2005.2.10)


(2011.2.1追記)・・・と書いていた上記のYAHOO掲示板ですが、消えてしまいました。貴重な記事もぎっしりだったのですが、しばらく書き込まないと消えてしまうんですよね。

で、ちょっと長いタイトルですが新しい掲示板を立上げています。ゼロからの再出発になりますが、よろしければお立ち寄りください。

         YAHOO掲示板/◆ユング、組織心理学、ほか風のふくままに~
by c_mann3 | 2007-10-20 00:00 | ユングのすそ野の 風景 | Comments(0)

◆ユングと錬金術

ユングはなぜ錬金術とかいったいかがわしいものに手を出すのか・・・そう思い本も読まなかったのですが、このたび林さんのユング入門三部作を読み、まったくの食わず嫌いであったと反省しております。

勝手な解釈かもしれませんが、ここにはユングが個性化の向こうに見ている世界、そこに至るプロセスについての思いが凝縮しているのかもしれません。

●個性化の行き着くところ
ただただ黒いだけの素材をすりつぶし、熱を加えながらとろりとろりとかき混ぜて突如現れる「真っ白な状態」、さらに続けると極めてまれにではあるがたどり着く「金色ないし赤い物質」、これを金に見立てて錬金術というようですが・・・

《黒》・・・混沌としているがあらゆるものになりうる可能性を秘めたもの
《白》・・・汚れのない真っ白なもの、善のみを担う神の象徴
《赤》・・・善も悪も兼ね備えた貴な状態。純粋ではなく“黒”も“白”も含んでいながら金色に輝く最高の状態

ということで、それを積極的に目指すかどうかは別にして、無意識を取り込み自我が個性化していく究極の到達点は善も悪も兼ね備えた状態というのがユングの価値観ということなのではないか・・・
途中の純粋善という状態はむしろ不安定な通過点、少なくとも最高の位置づけではないといった感じがします。

●無意識をくみ上げていく手段について
夢のように無意識の側の都合で突然噴出してくるのではなく、もっと安定的に無意識をくみ上げることができる状態としてユングは、錬金術師のように邪念を払いひたすら無心に作業に打ち込む姿に期待を抱いているような気がします。
座禅、瞑想、能動的想像といったものよりは何がしかの作業に打ち込むことで、妙な言い回しかもしれませんが意識がどこかに集中している隙間をついて無意識が浮かび上がってくる・・・そんなイメージなのかもしれません。

神棚に拍手を打って身を清め、ひたすら炎にさらした鋼を鍛え続ける刀鍛冶、念仏を唱えながら黙々と木を刻み続ける仏師、ちょっとした気の緩みが作品の命取りになる、こういった人たちを連想させるものがあります。
何かに一生をささげてしまうこうした人たちにとって、切り捨てるもの、押さえ込んでしまうものには計り知れないものがあり、それを補償しようとする無意識の力もまた強大。
作業の前の祈りの儀式はそうした無意識を鎮めるためのもの・・・顔を出すなとは言わないが爆発だけはやめてくれ・・・じっくりにじみ出てくれるのであればあやしあやしで受けてたつ・・・そうしたプロセスを経てこうした人たちは遂には、意識、無意識を総動員した世界に入っていく・・・・そんな感じがしてなりません。(2005.2.10)
by c_mann3 | 2007-10-18 00:00 | ユングのすそ野の 風景 | Comments(0)

◆エリアーデ、そして錬金術

ミルチア・エリアーデ。ルーマニアの宗教人類学者で小説も書くとか・・・なんとも興味をそそられる人物ですが、びっくりしたのが著作のなかに『鍛冶師と錬金術師』と題した本があると知ったこと。

勝手な想像で錬金術師は“神棚に拍手を打って身を清め、ひたすら炎にさらした鋼を鍛え続ける刀鍛冶を連想”・・・なんて書いているだけにうれしくなってしまいました。
火と鉱物をあつかう古代民俗の鍛冶師は「大地の子(金属)を育成(錬成)する聖なる役職」であり、ここに錬金術師の起源を見る・・・と紹介されています。
ということで、エリアーデを探してうろうろしていて錬金術についてすごくよくまとまっている記事を見つけました。ここの第2章にエリアーデが出てきます。(2005.2.10)

http://www.geocities.jp/alchemy_macrocosm/alchemy/earth/tutorial.html

実はこのサイト、お引越しされたようで一旦つながらなくなっていたのですが・・・下記のコメント欄にあるように、なんとサイトをおつくりになっている方から新しいURLの案内をいただきました。さらに成長を続けるサイトのようで読ませていただくのが楽しみです。(・・・ということだったのですが、すみません。このサイトは再度工事中のようです。)


さらにもうひとつ、下記のサイト(の特に第2章)も圧巻です。

http://inri.client.jp/hexagon/floorA7F/_floorA7F_alchemy.html
by c_mann3 | 2007-10-15 00:00 | ユングのすそ野の 風景 | Comments(2)

◆錬金術・・・間違っていたイメージ

ユングといえば錬金術ってことなんですが・・・実は、勝手に思い込んでいたことが、ちょっと違っていたようです。

錬金術の情景としてなぜか私は、ここのメッセージでも書いているように磁器製の坩堝に鉱石をすりつぶし、高温の炎で溶かせてトロリトロリとかき混ぜる・・・などという冶金実験のようなイメージを抱いていました。
エリアーデが『鍛冶師と錬金術師』とかいう本で、“火と鉱物をあつかう古代民俗の鍛冶師は「大地の子(金属)を育成(錬成)する聖なる役職」であり、ここに錬金術師の起源を見る・・・”などと書いているらしいということもあり益々このイメージを固めていたのですが・・・

実は西洋の錬金術はもっと穏やかで気長なもののようですね。で、私が思っていたイメージはむしろ中国の錬金術(錬丹術)に近いのかも・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★西洋の錬金術

・ガラスの器(ペリカン)を使う。中身、プロセスが見える。
・まず水に溶かしてエキスを抽出。次に緩やかな熱を加えてさらに抽出。
       
★中国の錬金術(錬丹術)

・レンガ、鉄、陶器等の器で7の倍数日間、火にかける。中身が見えない。
・最後にできるものが「丹」・・・飲むと不老長寿。
・心がけが悪いと丹ができずに容器が割れる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

両者を対比するとこんな感じのようなのですが・・・
西洋の方は今で言うビーカーやフラスコを使った化学実験のようでもあり、緩やかな熱を長時間かける点では鳥が卵を温めてじっくり孵化の瞬間を待つインキュベーションといった感じもします。ガラス越しに変化のプロセスが見えているって言うのも心理学を重ねてみる際のポイントなのかもしれません。

対して中国の練丹術は激しい。行う人の心がけが悪いと容器が割れるとは・・・ところで運がよければできるとされる「丹」。色としては赤。西洋の錬金術が最終的に目指す状態が「赤、金色」の状態であることと似ています。もっとも「丹」には今で言う重金属がたっぷり含まれていて、不老長寿をと思って飲むとおそらく死んでしまう。とすると・・・死ぬことによって永遠の生命を得るということなのでしょうか??(2005.2.10)
by c_mann3 | 2007-10-12 00:00 | ユングのすそ野の 風景 | Comments(0)

◆純粋善の危うさ

前掲の錬金術では、まじりっけのない「白い状態」は純粋善、その上の「赤の状態」は悪をも包含した最高善などと書き、ついでに調子に乗って、純粋善は不安定な通過点、少なくとも最高の位置づけではないなどと書きましたが・・・やっぱりこの純粋善、不安定で、しかも何かと危ういものを内包している・・・そんな感じがし始めました。

純白、まじりっけなしの純粋善は目指すことも到達することも大変ではありますが、維持するのはさらに大変、強い意志が必要です。ピュアであるがゆえに人々をひきつけはしますが、ピュアであることが補償としての反撃を強大化させ、それを一途な信念で押さえ込まなければ維持できない・・・
次々に現れる内なる崩壊、他者からの切り崩し、それを抑えて維持するためはいろんなことが必要となるようです。

内なる崩壊を防ぐために戒律を儲け、結束を固めるために組織と儀式を発達させ、力ずくの他者からの切崩しには炎の十字架をも受け入れる無抵抗主義をとるか、さもなくば手段を選ばない聖戦で対抗するしかないが・・・その過程で確実に体質は変化していく。
ニュースで連日報道されるブッシュとビン・ラディンの戦いも、ともすれば鉄壁の一神教となりやすい体質を持ったピュアな集団が今、どちらもが聖戦と称して果てしのない戦いを始めいてる・・・ということなのかも。

こんな話をしていますと、ずいぶん昔のことですが河合隼雄さんがテレビ講座のテキストに、“善の神、悪の神、実はその上にさらに神がいて、それは生命を司どり名をアプラクサスという・・・”といった意味のことを書いておられたような記憶がよみがえります。

今はどこににいるのかもわからないビン・ラディンも、その掃討をきっかけに日々エスカレートし、もしかすると地球の半分近くをも敵にまわしかねない勢いのブッシュも・・・無論、最初は純粋善の代理人として聖戦にかけたのでしょうが、気がつけば少しずつ、一方で純粋善の仮面をかぶりつつ、もう一方で魔神をも指揮する、まるでアプラクサスの神が乗り移ったのではと思わせる形相を呈してきている・・・なんてことを感じるのはカブレすぎということなんでしょうか・・・ ( 2002/11/11記)(2005.2.12載)
by c_mann3 | 2007-10-10 12:00 | ユングのすそ野の 風景 | Comments(0)

◆アプラクサスからグノーシスへ・・《1》

前掲の《純粋善・・・》で遠い昔の記憶を頼りにアプラクサスについて書いていたところ、例によってYAHOO掲示板でs1208さんから・・・

>練金術からグノーシスに来ましたね。 アブラクサスは「死者への七つの語らい」に出てきます。 これは友人向けの短いパンフで、グノーシスの体系を借りてユングの相対的な考えを示したもののようです。(ヤッフェ編、みすず書房「ユング自伝2」の付録に収録)

・・・とご紹介いただきました。手元に「ユング自伝2」が無かったので調べていくと丁寧に解説してくれているHPのサイトを発見。

http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/y1-abrax.html

このサイト、何しろ本格的な解説で難解ですが・・・なぜか気に入って記憶していたフレーズ“善の神、悪の神、実はその上にさらに神がいて、それは生命を司どり名をアプラクサスという・・・”は、あながち間違いじゃなかったようで安心しました。

ところで現実の世界のアプラクサスというと・・・私はなぜか織田信長とか田中角栄を思い浮かべてしまいます。強大な力を持って破壊と創造を行う。特徴は物や自然を破壊するだけでなく、綿々と続いてきた社会的合意、秩序、倫理感といったものを破壊する。その上でそうしたものを壊さなければ成り立たない新しい世界を創造するってことでしょうか。善とか悪とか論評してもしようが無い・・・そういったものを超えた生命がうごめき世界が変わる・・・それがアプラクサスなのかもしれません。

ところで毎日テレビをにぎわしているライブドアの堀江さん・・・ユング的に言うとなんとなくトリックスターを思わせます。彼もまた綿々と続いてきた社会的合意、秩序、倫理感といったものを破壊しつつ何かを目指している・・・こんなことを何回か繰り返し、大成すればトリックスター変じてアプラクサスに至るのかも。
by c_mann3 | 2007-10-08 09:00 | ユングのすそ野の 風景 | Comments(0)

◆アプラクサスからグノーシスへ・・《2》

ところで、前掲ホームページのアプラクサスの解説・・・実はグノーシスに関する膨大なサイトのほんの一部でした。
このサイト、とんでもなく濃密で、しかもどこが入り口でどこにつながっていくのかが解らず迷子になるほどのボリューム・・・で、入り口を二ヶ所リンクさせていただきます。
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/contents.html

http://homepage3.nifty.com/mirandaris/

それにしてもこのサイトは難し~い。一度や二度読んだだけではまず頭に入らない。内容的にも難しく,量的にも膨大。ですがなにやら網羅的、体系的にまとめてくれている感じもあり・・・あちらこちらをひたすら読み返しているとだんだん輪郭が見え始めてくる気はします。

善と悪は一体、空と充満も一体とやたら両義性や矛盾両在性のある話が続き・・・これってもしかして色即是空、空即是色といった中論や唯識の仏教書でみた論理展開とそっくりではと、不思議な感覚に襲われます。

このサイト、ユングも随所に顔を出すのですが、解説にもあるように錬金術から迷路の世界に入ったユングは『太乙金華宗旨』を介して道教に出会い、ついには普遍的無意識に確信を持つに至ったとのこと・・・ユングにとっては大変な心の旅の果てだったとしても結果としてたどり着いた世界は東洋人にとってはなじみのはずの世界。善なる創造神が作った善なる世界といった洗礼を受けてしまったキリスト教徒からみるとグロテスク極まりないグノーシスの世界も本来ならわれわれにとってはデジャビの世界のはず・・・

ところが立派な合理的教育の洗礼を受けてしまった現代の日本人にとっては道教も唯識もグノーシスも、すでに無意識の奥にのみかすかに残る程度のなじみにくい世界であり、祖先から受け継いだ世界を蘇らせるためにはとんでもない修練が必要なのかもしれません。

・・・などとわかった風なことを書く前に私もこのサイトをもっと真剣に味あわなければ東洋人にも戻れない・・・無論もともと西欧人でもないことだし、なんてことを考えさせられます。

それにしてもユングの裾野の広さというか地下茎の広がりというか、いったいどこまで広がっているんでしょうね。
話がいろんなところに飛び火して、そのたびに知識は増えてはいくのですが、思いはもつれていく一方といった感じです。(2005.2.28)
by c_mann3 | 2007-10-06 00:00 | ユングのすそ野の 風景 | Comments(0)

◆錬金術・・・その源流

ユングを表題としたブログを立ち上げて6年も経っているのに「えっ、まだ読んでなかったの」と言われそうですが…昨年末からユング著松田誠思訳、「錬金術と無意識の心理学」を拾い読みし始めています。

しかもいつもの悪い癖でメインの章を素通りし巻末の訳者の解説、“終章 ユングとパラケルスス”が面白くて何回も読みかえしている始末。ですがそこに描かれている医者であり錬金術師でもあるパラケルススなる人物がおもしろい。

このパラケルススによると・・・

人間には二つの光が用意されている。それは神に由来し永遠の真理に導いてくれる「聖霊の光」と、人の心も含めて自然界の事物にあまねく備わっている「自然の光」である。
だが人は本来「聖霊の光」に頼らずとも「自然の光」に導かれて事物の真髄に分け入っていくことで神的な世界に到達できる能力が備わっている。そして分け入っていくプロセスが錬金術そのもなのだと。

古代人は神による「聖霊の光」などは知らなかったが「自然の光」の導きによって事物の真髄に分け入りそれを抽出することで永遠の真理の気配を感じ取ることができた。だが人は神(キリスト)を知って以降、それを崇拝し神の発する「聖霊の光」に頼って真理に近づく道を選んだために、自身の力で事物の真髄に分け入って神聖なるものを掴む力を失ってしまったのだとも。

そしてさらには・・・「私は主のもとにあり、主は私のもとにある。私は医師の仕事の外にあっては主に従い、主はその御業(みわざ)の外にあっては私に従う」とまで・・・

そこまで言ってしまうとパラケルスス、そして錬金術は中世のキリスト社会では異端とされざるを得ず、でも一方において宗教改革やルネッサンスの時代精神とはみごとに共振していたに違いない・・・そんな情景が目に浮かぶようです。


錬金術はグノーシスと同じくギリシャやエジプトといった古代地中海世界に端を発し、イスラム世界を経て中世のヨーロッパに伝わったとのこと。
この解説を読んでいるとユングが錬金術にのめりこんでいった経緯、そして16世紀の不思議な人物パラケルススがユングにとっては重要な先導役になっていた様子、ルネッサンスとともに錬金術が再度花咲き始めた16世紀の時代の雰囲気といったことがすごくよくわかる感じがします。

まずはこの終章でウォーミングアップをして、この本の本文と、以前に一度は読み始めたものの挫折したフォン・フランツの「ユング思想と錬金術」に再度挑戦してみようかなどと思いはじめているのですが・・・(2011.1.16)
by c_mann3 | 2007-10-04 00:00 | ユングのすそ野の 風景 | Comments(0)

  ・・・次は・・・

      ◆次は「心の流れ、退行、転移等」について⇒⇒


by C_MANN3 | 2007-10-01 00:00 | ユングのすそ野の 風景 | Comments(0)