<   2007年 07月 ( 6 )   > この月の画像一覧

◆サイコイド領域・・・一なる世界

とあるユング心理学のセミナーで、“サイコイド無意識”という聞きなれない話に接する機会がありました。

この無意識は普遍的無意識とはまた別の領域として自己の深層と外界の境界に位置しているようで、そこは 「精神のようでいて、精神でもない」、「自分のようでいて、自分でもない」不鮮明な領域。

共時性とか布置といった力が作用する場でもあり、この領域で何かが起こると人はこの領域の向こう側の世界との間で、いわゆる「一なる世界」“unus mundus”といった感覚を覚えるとのこと。

サイコイド無意識は無意識と外界の境界領域ですが・・・
心と体、天と地、理想と現実、善と悪・・・日ごろは異なるものとして識別されているあらゆる“対”の間にある境界は、もともとあいまいで輪郭の定まらないもの。こうした境界領域を総称して、サイコイド領域というようです。

後は私の勝手な付け足しで、ちょっと話が飛躍してしまうのですが・・・

サイコイド領域がいろいろなものの境界に存在してある種の心理作用を起こすものだとすると・・・普遍的無意識というのは「個人」と「種としての人類一般」とのサイコイド領域に働く心理作用なのかもしれないとか、大自然の中でたたずむ時ふっと感じる“自然に溶け込んで個が消滅してしまうような一体感”は、「個」と「自然ないし宇宙」との間のサイコイド領域に働く心理作用なんじゃないかとか、あるいは突然の稲妻で天と地にブリッジがかかる現象は異質なはずの天と地が「一なる世界」としてつながる瞬間なのかも・・・などといった妄想がわいてきます。

サイコイド・・・とにかくおもしろそうな概念なので、その後も気になりインターネット検索をかけてみたりはするのですが・・・残念なことにほとんど記事が出てきません。(2006.3.1)
by c_mann3 | 2007-07-20 00:00 | ユングのすそ野の 風景 | Comments(0)

◆布置、共時性・・・ひとつの理解

サイコイド領域で作用する布置、共時性の話ですが・・・

共時的な現象は“元型が布置した結果、激しい情動的な緊張が存在する場合に生じるものであり、それは要するに外的事象と内的事象の二重性存在から一なる世界(unus mundus)に変化するということ”だとか・・・
これは例のYAHOO掲示板でshizukafagerさんが紹介しておられたフレーズです。

ちょっと難しくてとっつきにくいのですが・・・じっくり読んでみるとやっぱりこうとしか言いようがない気もしはじめます。
共時性が成立するためには、内的なエネルギーが前提としてあり、それがランダムに動いている外的なものの一瞬を切り取り、あたかも特別な関連があるかのごとく認識する・・・それを“一なる世界に変化する”と称しているのだと思います。

たとえば・・・私なども人生の要所、要所で突然壁に行く手を阻まれたとき、不思議にドンぴしゃりのタイミングで危機突破のアドバイスをしてくれる人に恵まれて道が開ける経験を何度かしていますが・・・その人とは日ごろから親しいといった人でもなく、ちょうどそのタイミングで短い雑談をする機会に恵まれ、その一言が決定的な意味を持つ・・・こうした経験を重ねるうちに、このことを運がよかったとか、ありがたかったなどと思う一方で、もしかすると実はこれが布置、共時性なんじゃないかと思うようになりました。

本当に追い詰められ、心的エネルギーがレーザービームのように何かをサーチしているからこそ、通りすがりの人の何気ない一言をキャッチできる。布置を単なる配置と考えるなら人は常に無数の配置の中にいる、しかしそれは日常、何の意味も持ち得ていない。
共時性の話には“星の配置との同期”とか“むしの知らせ”といった話題が出てきてややこしくなるのですが・・・人であれ、星であれあらゆるものが常に流転して時空間を形造っている中で、ある瞬間を「意味のある偶然」として切り取るためにはやはり心的エネルギーの求め、ないしは心と時空間の呼応が必要といった感じがします。

・・・ですから私には共時性というものは、不思議とか、偶然とか、ましてや念力やオカルトといったイメージはまったく無く、極端な言い方をすると「必然」に近い現象といった感じさえします。

「求めよ、さらば与えられん」・・・共時性というものは、ほとんどこれと同じ意味であり、求めていないときもそれは、私達の周りに常に存在しているものなんだと・・・(2006.3.1)
by c_mann3 | 2007-07-18 00:00 | ユングのすそ野の 風景 | Comments(0)

◆能動夢、能動的想像、覚睡夢・・・

ユング好きなどと言っていながらいわゆる「夢分析」といったものには興味が無い。ところが同じ夢でも「能動夢」となると俄然興味が湧いてくるから不思議です。

「能動夢」・・・意味するところは能動的想像、アクティブ・イマジネーション、覚睡夢、Lucid Dreaming、明晰夢・・・いろんな呼ばれ方をしているものと類似なのでしょうが・・・通常の夢との違いは意識の関わり方。

夢の源である無意識の表層部(意識との境界層)には大別して二つのものが渦巻いている。
ひとつは人の立ち振る舞いの中で、それへの補償として無意識の下層部から湧き上がり意識層に迫ってくる心的なもの。
もうひとつは断片的な知識や思考のカケラであり、毎日おびただしく取り込まれる情報やちょっとした思考のうち、意識の層では保持しきれないものが無意識層に沈み込み流動的な知識として渦巻いている。

もしこの渦巻くものを意識で再び取り込み、その枠組みの中に融合させることができるなら・・・
心的なものは人格統合や個性化の促進につながり、断片的な知識は理系文系の領域を問わずいろいろな創造物が生成される素となるに違いない。

ところでこの無意識の表層部にある種々のものは意識の希薄になったところをめがけて顔を出す。これは例えるなら地殻の薄いところや亀裂をめがけて浮き上がってくる地底のマグマといったところでしょうか。

希薄な意識、そのひとつは睡眠中・・・そこで人は夢を見る。ただこの場合は意識全体が希薄なため、意識はうまく無意識のメッセージをキャッチできず、せっかくのイメージもうたかたのごとく消えていくしかない。

ですがもし幾ばくかの意識を残した状態で夢を見ることができるなら・・・意識と無意識を遭遇させることができる。
ここに覚睡とまではいかなくても半覚睡で夢を見ることの意義がある。

さらに論を進めると・・・意識が無意識をくみ上げる手段は夢に限らない。意識を何かに集中させることで、手薄になったその背後に意識の希薄なスポットを作ることができるなら、そこに無意識が顔を出す可能性がある。そのスポットを積極的に作り出すのが瞑想、錬金術、そして何かに夢中になることや音楽療法などの種々の精神療法といったものなのかもしれません。
   (こうした意味での錬金術についてはこのコーナーにも別掲記事が・・・)
----------------------------
さらに能動夢やアクティブイマジネーションについてはサイト上でもいくつかの記事が・・・

◆まずは大阪大学、老松克博さんの著作「無意識と出会う」。“ユング派のイメージ療法 アクティヴ・イマジネーションの理論と実践1”と副題のついた本の抜粋がネット上に・・・
  http://www.transview.co.jp/21/text.htm#00

◆もうひとつは富山医科薬科大、斎藤さんの「実体験される夢 -意識と無意識の交流形態-」
  http://www.nuis.ac.jp/pda-j/doc/00005/euc.txt 
  ・・・このサイトは現在つながりません・・・

この記事ではいわゆる《夢》と《能動的想像》の中間概念として《実体験される夢 Lucid Dream》が取り上げられています。能動的想像が覚睡中の作業であるのに対してLucid Dreamは、目覚める直前の中間覚醒で作用するものだとか・・・

この二つはいずれも無意識から湧き上がってくる心的なものを扱ったものなのですが、さらに夢全般を包括的に扱った本を発見しました。詳しくは次の記事で・・・
by c_mann3 | 2007-07-16 00:00 | ユングのすそ野の 風景 | Comments(0)

◆ラバージの明晰夢・・・

能動夢の周辺で悶々と思いをはせている中で、おもしろい本に出会いました。題して「明晰夢」、スティーブン・ラバージ著、春秋社1998。
なんと言えばいいのか・・・この本では感動的なまでに包括的に夢を解きほぐしてくれています。

明晰夢(LUCID DREAMING)、意味するところは・・・能動夢や能動的想像、アクティブ・イマジネーション等とよく似ているのでしょうが、この本の特徴は夢の解釈や夢を見る技法といったことよりも、夢そのものの神経生理学的な裏づけを重視して書かれていることにあります。

スタンフォード大学の夢研究室で、脳波、眼球運動、筋電図、能の各部位の活性度といったデータを採りながら夢を見ているタイミング、期間、内容を実証的に確認する中で浮かび上がってきた知見が満載。
この本は明晰夢自体が主題の本のはずなのですが、おもしろいことにこの明晰夢を手段として使って夢の解明を行っていること。
明晰夢とは、当人が夢を見ていると自覚しコントロールできる形での夢のことなのですが・・・ある程度訓練するとかなり自在に夢を操作できる(らしい・・・)。で、夢の中で数を数えてもらったり歌を歌ってもらったり、そしてその都度眼球運動のサインを出してもらって外部から観測する。

従来の夢が目覚めた後の本人しかわからない記憶を頼りに議論するしかなかったのに比べるとこの方法なら格段に実証性がますことは確かです。

◆明晰夢と創造性・・・

実は私が能動夢や明晰夢に期待しているものは、心的なものよりも創造性の源泉・・・
ところがうれしいことにこの本では、わざわざ“明晰夢を応用する”と題した章を設け、明晰夢と“意思決定”や“創造的な問題解決”の関わりについて言及してくれています。

そして創造性の事例はなんとメンデレーエフの周期律表。日夜続く研究に疲れ果てて床に就いたある日、彼は「夢の中で全ての元素がぴったり収まっている表を見た」のだと。そしてそれを書きとめたのだが、後々訂正が必要だったのはほんの一ヶ所だけだったとか・・・
    (なお、メンデレーエフの周期律表については▼別掲記事の中でも・・・)

◆さらには胸にグサリとくるこんなフレーズも・・・

実は夢を見るのは人間だけじゃない。人類の祖先である哺乳類はその進化の歴史の中で1億3千年前には既に睡眠の一区間を割き夢を見るという機能を獲得していた。そしてその間は筋肉が弛緩するという外敵に対して無防備な状態(REM睡眠期)を作ってまで見る夢の主要な機能は、脳幹の指令により大脳神経ネットワークの要不要の再編成を一日に一回行なうことで脳を常に最適な状態に保つことにあった。

言ってみればパソコンハードディスクのデフラグのような再編成であり、その過程ではいろんなイメージが現われては消えることを繰り返えす中で必要なものだけが都合よく再収納されていく。
そのイメージフラッシュの大半は意味不明のランダムなものなのだが、その中のごく一部が前頭葉の合理化努力によって意味あるものとして解釈され夢となる。

夢の断片にいろんな解釈を当てはめたり、夢は抑圧されたものの発露だとか、願望充足だとかいろんな思いを重ね合わせるのは勝手だが・・・夢本来の機能はそうしたこととは関係なく哺乳類全般に共通する脳再編成の生理的プロセスなんだと・・・

なんかユングもフロイトも吹っ飛びそうな話ですが、これって夢理解の際には踏まえておくべき重要な側面なのかもしれませんよね。(2007.8.15)
by c_mann3 | 2007-07-14 00:00 | ユングのすそ野の 風景 | Comments(0)

◆こころの三層構造・・・

ここしばらく文化人類学や進化論の本を乱読しているのですが、表現はともあれフロイトやユングが開拓した「無意識」の位置づけに関わる話が随所に出てきます。

例えばスティーブン・ピンカーの「人間の本性を考える」・・・この本では人の心はどこまでが生得的でどこからが生まれて以降の学習や、思考によって築かれたものなのかといったことが書かれているのですが・・・読み進めるうちにいろんな雑感が沸いてきます。

どうやらユングの言う普遍的無意識などはDNAに記述され太古の昔から人類が引き継いできた生得的なもの。そうして人が成長するに伴い知識として外部から取り入れ脳内で発酵させ自分のものと思っている数々のものは実は文化的遺伝子として人の体外で発達させながら歴史として引き継いできたもの・・・ユングの言うペルソナと人類の知的遺産を足したものに相当するのでしょうが、これって意外に普遍性のあるものなんですよね。普遍的意識といってもいいのかもしれません。

こうした進化論やユングをミックスして浮かび上がってくる勝手なイメージを図にしてみました。いわば「こころの三層構造」といったところなのですが・・・人の心の構造は基底部に普遍的無意識、外延部に普遍的意識をもち、その間に挟まれるようにして自我がある。二つの世界の境界にあるため自我は無意識と意識の双方の世界に関わっている。
b0050634_038876.jpg

ふたつの巨大な普遍的勢力に取り囲まれた小さな自我・・・こんな自我が安定した存在感を確保することは至難の業。例えて言うと巨大な大国にはさまれた小さな国が存在意義を示すためには北朝鮮のように荒れ狂って意地をはるか、両大国と積極的に相互交流を深めて共存共栄の道を探っていくかの何れかなんですよね。

ですが、意地を張ったむき出しの自我では結局まわりとの距離を広げるだけ。他者との連帯は普遍的なものを通して成り立っているもの・・・自我のエネルギーは普遍的なものへと浄化されてこそ役に立つものなのかもしれません。

実はそうして生き続ける自我には、自身のためではなくもうひとつの大きな役割がある・・・体外で進化を続ける普遍の世界を徐々に進化させていく源は一人ひとりの自我なんですよね。DNAを書き換えることができないように普遍的無意識を都合よく書き換えることはできませんが・・・もうひとつの普遍的な世界は実は何世代もの自我の思いと主張によって磨き上げられたもの。

そう思うと・・・なんとなく、個を超えた自我の役割といったものが浮かび上がってくる・・・・なんてことを思ったりもします。 (2007.2.20)
by c_mann3 | 2007-07-12 00:00 | ユングのすそ野の 風景 | Comments(0)

  ・・・次は・・・

      ◆ 次は「無意識と意識」について・・・⇒⇒


by C_MANN3 | 2007-07-01 00:00 | ユングのすそ野の 風景 | Comments(0)