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◆組織の片隅の風景・・・

ここからは“組織の片隅の風景”といった切り口の記事をいくつか掲載いたします。

とは言ってもここのカテゴリー《組織心理学の風景》全体が“組織の片隅の風景”みたいなものなのですが、以下はちょっとこのカテゴリーの中の章節には割り振りにくい記事を集めた番外編ということで・・・
by c_mann3 | 2008-04-20 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

◆ツーボスシステム・・・とある風景

この上(にスクロールしたところ)の一連の記事で、マトリックス組織とかツーボスシステムについていろいろと書き連ねて以降ずいぶんの年月が経ってしまいましたが、あちらこちらのブログを眺めていてツーボスシテムの真っただ中といった記事を発見しました。

この記事の著者はメーカーで社歴数年の研究開発職の方なのですが、数年かけて仕上げた仕事を引っ提げて次工程の(といってもかなり職能の異なる)職場に単身移動。この記事は一瞬にして身を置くことになったツーボスシステムのはざまでの叫びです。あまりにも臨場感があるのでご本人の了解を得て、以下に転載させていただきます。

◆まずは記事の本文を・・・

7月になったのにまだ長袖。
今年はいつも以上に時間が経つのが早く、今まで感じて続けてきた焦りは諦めに変りつつある。
時々穴でも掘って“王様の耳はロバの耳!!”とか叫びたい。

せっかくいい環境に移れたと喜んでいたけれど、なんとなくその意義が感じられない日々だ。二重管理もいい加減にして欲しい。
前の職場の上司からメールだけで受ける業務。あて先には前の職場の面々しか入っておらず現職場の上司などにはそのメールの存在は知らされていない。
現職場のミーティングで業務の報告をしても“何で君がそんなことやるんだ”と言われ、でも空気を察してくれる今の職場では僕に業務は与えられない。

前の職場から言われる“今君がやってる業務がよく見えないんだよ”という言葉。
そんなもん当たり前だろう?俺はもうあなたの部下ではないんだからと言いたいところだけれど、そんなことを言えばここぞとばかりに元の職場に戻されてしまう。
せっかく頑張って進めた仕事も全部前の上司の承認前で全て止まってしまっていてそこから先には進めない。

やれやれと言われてやったところで誰も判断はしてくれず、やった内容を把握すらしてくれない。代わりにメールで飛んでくる仕事。もうそこに自分自身の正義はない。

自分自身の成長を実感できる瞬間は多々ある。
でも、二つの世界の間が開けば開くほど、僕の心は引き裂かれていく。

恐れていたことは現実になり、悪夢そのものも現実味を帯びだした。
どんなに辛くても今まで目標だけは失わぬようにとやってきたけれど、今は少し真っ直ぐに生きることに疲れている気がする。

今年はしんどくなったらもう休もうと思っている。
例えそれが僕のキャリアに傷をつけることになろうとも、自分自身を傷つけるよりかはよっぽどマシだから。なによりも、そんな背伸びをして育むほどに立派なキャリアなど、こんな無能な組織が僕のために用意してくれている訳などないのだから…。

ただ、そんな割り切り自身が僕を確実に強くしてしまっている。
なかなか、よくできた構図で困ったものだ。

◆そしてこの記事にはどなたかのこんなコメントが・・・

すばらしい!
組織もルールも砕け散ったダイナミックで今風の職場の雰囲気が目に浮かぶようですね。
そんな中であえぎつつも泳ぎながらこんな文章が書けるキミはすばらしい。きっと素敵な組織人として成長する。

二重管理、二重組織・・・そこで泳ぐヒトは普通のヒトの倍の世界を生きている。そしてその二つの組織のカルチャーが異なれば異なるほど、そこに生きるヒトはバイリンガルで立体的な思考力が身につくのですよね。

しんどくなったらもう休もう・・・そう、それでいいから、せっかくの修羅場を楽しみながらがんばってくださいね。

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このコメントが彼の慰めになったのかどうかは不明ですが・・・熾烈な開発競争の中で仕事に合った組織設計などは間に合わず、気が付くとマトリックスにさえなっていないツーボスシステムのはざまで奮戦する人が・・・きっとあちらこちらに発生していそうですよね。(2010.1.10)
by c_mann3 | 2008-04-18 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

◆全てのアイディアが否定されるあなたへ・・・

ちょっと奇妙なタイトルをつけてしまいましたが・・・意味するところは「創造性のテーマと路線の選択」といったことになるのかもしれません。

組織の中でのアイディアは回りに「賛同が得られて」、「実行できて」、「効果が期待されるもの」でなければならない。人はこのパスを通過し成功の実績を重ね、賛同を得られることや達成感の喜びのフィードバックで路線を固めていくはずのもの。この上昇スパイラルに乗ることでその人の創造性は成功する確率がどんどん高くなっていく。

ところが・・・出すアイディア、出すアイディアのすべてが周りからは否定され、下降スパイラルから抜けられない・・・といったことが現実の職場では起こりえます。

いつもいつも否定され続けるのは気の毒と時には「賛同」してみても・・・実行段階で早晩行き詰まるか、仕上がったとしても注目を得られず立ち枯れる。結局、喜びのフィードバックは働かずに終わってしまう。

こうした人を見ていると・・・とりたてて創造性の能力が低いわけではない、むしろ能力も意欲も高いはずの人・・・どうやら、受け入れられない要因にはテーマの選定(目の付け所)とか、人を巻き込めない推進プロセスといったものも絡んでいるようで、少なくともアイディア自体の良否だけではない。

なぜか次々と否定されるアイディアを思い浮かべてしまう自身の創出プロセスを見直さない限り、状況は変わらない。ジェネプロアモデルで言うと・・・プロセスに産出制約の学習効果が働いていない。

思いついては否定されるアイディアの一つ一つをカードに書き、机の上に並べて眺め、浮かびあがってくる共通項、窺い知れる自身の嗜好性、価値観、技術観・・・そういったものを抽出し、その妥当性をチェックする・・・こうしてどんどん自身の見つめなおしと再構築が始まる。

この見つめ直し・・・手っ取り早いのは周りの人との議論と意見の受け入れなのでしょうが・・・こうした人たちはなぜか議論を好まない。
あるいは“嗜好性や価値観といったものは個人的なもので人それぞれ・・・議論の対象にしてもまとまるはずもないし、議論もしたくない・・・とにかくイエスかノーだけを言ってくれればいい”ということなのかもしれません。

結論レベルのノーは単に意見の違いとして脳裏に収納される。対して嗜好性や価値観のレイヤーで議論して負けたとなると、より人格に近いところで傷を負う。そこは正しかったものとして温存しつづけたいということなのでしょうか。

茂木健一郎さんが著書「脳と仮想」で述べられていた「人は傷つけられなければ創造すらできない」・・・この言葉はこんな場面でも当てはまりそうな気がします。創造の有効性を高めるためには、より人格に近いレベルで議論し、自身の人格を傷つけ再構築するプロセスが必要なのかもしれません。

無論、ただ一人のみが注目し話しても通じないほど新しいテーマなのだとすると、周りの賛同を得られることは必須ではない。自身の胸中でことの妥当性をセルフチェックできるなら、人との議論を好まないことも致命傷ではない。
だが賛同も議論もない道はリスキーな茨の道。自身を信じてたった一人の革命の道に出発するのか、自身の内的な態度変容に着手しより確実な方向に軌道修正すべきなのか・・・今、あなたは岐路に立っているのかもしれません。(2005.10.15)
by c_mann3 | 2008-04-16 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

◆その思い出は・・・苦い、甘い?

職を得て企業に入ると人は皆、おびただしい数のプロジェクトやジョブを積み重ねながら10年、20年とキャリアを積み上げていくことになるのですが、その過程ではスキルが磨かれるだけでなく、一つ一つのプロジェクトが独特な感情の色合いを持って記憶されていくことになるようです。

そして今、その一つ一つを振り返ったとき、その思い出は苦いでしょうか?甘いでしょうか? 
 

例えばシステム開発などの職場だったとして・・・あのプロジェクトは大変だったけど使う人からは喜んでもらえ、自分のキャリアアップにもなったと、自信と誇りとして記憶に残っているもの。あるいは作っているときから意にそぐわなかったし、結果としても今ひとつで苦い思い出として残っているもの。人により、ジョブにより心の中に残っているものはそれぞれなのかもしれません。

そんなことは終わってしまった話、どうでもいいことじゃないかと言われそうな気もしますが・・・実はそうでもなくて、今日の仕事にも何かと影響のある話って感じがし始めています。

早い話が“喜び記憶”の作品が今も動いていたとすると嬉しいし、ぼつぼつ今風にバージョンアップの提案をしてみたくなったりするかもしれません。“苦い記憶”の作品なら早くつぶれて消えて欲しいし、バージョンアップなんてタッチもしたくないってことになるのかも。

今日も次々と新しいジョブの話が舞い込んできますが、その都度何がしかの昔を思い出してしまい、のりがよくなったり悪くなったり・・・人はみな、過去を背負って生きているものなのかもしれません。


思い出とは何か・・・精神分析とか深層心理学の巨匠といえばフロイト、ユング、アドラーですが・・・このうちフロイトとアドラーでは思い出の解釈と扱いがまるで違う。
フロイトにとっては思い出は今日うまくいかないことの原因としての心の傷。たいしてアドラーは今日自信を持って生きてけるよりどころとなっている心の支え。ベクトルがまるで逆。

こうした中で気になること・・・
少し大きなプロジェクトなら何人かのチームとして開発することになりますが・・・一人が誇りに思っているプロジェクトが違う人には二度とやりたくないものとして記憶されているなんてことが、何かの会話の弾みに解ってくることがあります。

こうした食い違いは当時の役割や立場が違いからくるのか、心の持ちようも影響しているのか・・・理由は何であれ、記憶のベクトルが今日ののりや挑戦意欲に影響るものだとすると・・・
過去をホジくり返し蒸し返すといった意味ではなく、時々は話し合って過去を再解釈するってことはいいことなのかもしれません。

トラウマに近い記憶を一つでも二つでも今日につながる価値あるものとして再解釈できるなら・・・人はもっと自由に前向きに明日を考えることができる・・・そんな感じもするのですが・・・(2007.4.14)
by c_mann3 | 2008-04-14 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

◆深化する人、進化する人・・・

最近、進化論の本を読み続けているせいなのでしょうか・・・熱心に仕事に没頭している人たちを見渡していますと、人には「深化する人」と「進化する人」があるような気がし始めました。

ひたすらひとつのことに没頭しどんどん深みに入っていく人、一方で激変する環境に対応してどんどんポジションをシフトさせて進化していく人・・・
いずれの生き様も貴重には違いないとしても、果てしなく深化を続ける人の中でいくらかの人は進化することに無関心なことが気にかかります。

“一芸に秀でることは全てに通ずる”・・・こうした言葉があるように元来、深化を極める過程や究極の姿には普遍性があり、進化が必要ならいつでも転用できるスキルが培われているはずなのですが・・・それは、それが必要と認識できる志向性があってのこと。

またスキルにはその環境でなければ身につきにくい固有のものもあり、全てが転用で賄えるものでもない。深化と進化にも固有のスキルはありそう・・・そのポジションで深化のみを追及するならばHow to do で事足りるでしょうが、進化を目指してポジションの見直しを考えるならWhat to do や Where to go を取り扱うスキルも欠かせない。

太陽系の中心でポジションを固定して光り輝く太陽はすばらしい存在でいすが・・・視点を遠くに移したとき、太陽系は銀河系の一部でしかなく、銀河系も大宇宙の中では数々の星雲のひとつ。

刻々変化する環境の中で、果てしない深化に没頭している領域の位置づけを客観視しポジションやウェイトを変化させることは、深化させるべきものの有効性を確保しつづけるためにも避けられない責務。
そのためには自身の視点を自在に移せることが是非とも必要・・・などと思うのですが、深化に没頭する人にこのことを納得してもらうことは意外に難しい。

進化は生存し続けるための大前提。社会の仕組みも市場も技術もが激変する中では個人も組織もが進化が不可欠な今、深化に没頭する人のスキルをいかにして再調整し、そのエネルギーを進化に向けてもらえるかが課題なのかもしれませんね。(2007.2.21)
by c_mann3 | 2008-04-12 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

◆境界線で揺れるヤジロベー・・・

ひとつ上(にスクロールしたところ)の記事で「深化する人、進化する人・・・」などと言った記事を書いていますが、それをYAHOO掲示板でも掲載していたところ、on_the_cornerさんという方からコメントを頂きました。

>半導体業界には、"パラノイアしか生き残れない"という言葉があります。インテル会長のグローブさんの言葉です。

8Bit→16Bit→32Bitと多くの半導体メーカが市場の覇権争いから脱落していったCPUの歴史をみていると、進化する人はさしずめ次々と現れる新マーケットの立ち上がり時期を渡り歩く人、そして深化する人はある領域に拘ってパラノイアする人・・・
そうした中で進化する人がいなければ新しいマーケットには乗り移れないとしても、"パラノイア"がなければ多くの人が群がって熾烈な自由競争をするマーケットでは生き残れない
・・・といった趣旨の味わい深いご意見でした。

◆確かにそんな一面がありますよね・・・
YAHOO、Google、Microsoft・・・時々テレビの特集などで職場の風景が紹介されますが、こうした会社はその風景からして異様。きれいなオープンスペースのオフィスにはつりあわない落書きがあったり、一人一人が奇妙な私物を山のように持ち込んで独特のマニアックな閉鎖空間を作っていたりする・・・

パラノイアな人たちが作った会社だから自然にそうなるのか、務めているうちにそんなふうになってしまう職種なのか・・・でもパラノイアな人たちがわき目も振らずに没頭する世界から次々と時代をブレークスルーするものが生まれてくることも確か。

ただちょっと気になるのは、マニアックな集団をマネージメントし、外界とのわたりをとる人のキャラクターですよね。ある程度はパラノイアでないと集団の内部とはコミュニケートできないでしょうし、一方ある程度はグローバルでないと外界とリンクができそうにない・・・でも中途半端なキャラクターでは迫力に欠けそうですよね。

まっ、そんな最先端の企業はともかくとしても、普通の企業の中でも似たような状況はあるんですよね。
たとえば企業の中で本業とは異なる領域を担う研究部門とか機械メーカーの中の電子化部門といった、その会社の組織の中では周りとはちょっと違う特殊職能のチームに関わっていたりすると・・・

チームの外からはしばしばパラノイアな専門馬鹿呼ばわりされ、そんな時は「こんなに専門性が高くなった世の中では、専門馬鹿じゃなければハンドリングできない仕事だってあるんだ。それが許容できないなら、いったい何のための分業組織だ」などと開き直る一方で・・・
中に向かっては・・・「時には自分の仕事を外から眺めて、周りと通じる言葉でコミュニケートしてほしい」などと・・・

言っていることが矛盾しているなとは思うのですが・・・組織の境界線にいると塀の上のヤジロベーといった感じで心はいつも揺れている。

◆でもやっぱり・・・
深化は必須で避けられない道だとしても、できれば深化に味付けはほしい気がします。深化に進化を絡ませるとか、転用の利く深化の方法とか・・・

実はこの話には、技術者一人一人のライフサイクルの問題が絡んでいるんですよね。昔なら若いころにその道に入り・・・同じ畑でひたすら深化を続ければ、年期とともに味がでてその人の価値もあがり続けるといったことがあったのですが・・・
変化の激しい今の時代では折角のキャリアが生涯に何度もスクラップになってしまう。技術はスクラップになったとしても担う人までスクラップにならなくても済むよう、経験の蓄積をその時々の対象技術としてだけではなく、発想法とか、課題解決法といったメタレベルで蓄積していくことが必要なんでしょうね。それが転進とか進化といったものにつながるんじゃないかと思ったりもするのですが・・・(2009.12.18載)
by c_mann3 | 2008-04-10 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

◆隅々に温存される不適切・・・

いろんな組織が思うように機能しない・・・これは最近よく思うことなのですが、突き詰めて言うと組織の中に不適切なものが温存されてしまうこと、それをもう少しましなものと置換するとか排除するといったことがうまくいかないってことなんですよね。

不適切な人、不適切な仕組み、不適切な目標、不適切な風土・・・いろんな不適切を不適切として認識せしめる価値基準、それを置換したり排除したりする執行力が磁場のように働くことが必要なのですが・・・それがうまくいかない。

不適切なものが常によりましなものに置き換わったり排除されていくなら組織は常に最適性が維持されるはず・・・
たとえばこれが経済事象なら市場原理とか言って神の見えざる手に身をゆだねるいうのもひとつの方法なのでしょうが、組織心理学が扱う世界は価値観ひとつとっても経済価値と言った単一の価値に還元することもままならず、さすがの神様も手の施しようがないってことなんでしょうか。

たとえば企業組織の中の不適切な人・・・目標管理やいろんな角度からの人事評価、それをベースにした昇格昇任、絶えざる組織変更による適正配置を繰り返したとしてもミクロ的には不適切な人はいくらでも温存されてしまうんですよね。
マクロ的なレベルではそれなりに改善されるとしても、組織は職能や職位といったセグメントに分解されて存在しているもの・・・小さなセグメント単位では置換しようにも代わりがいない、排除すると穴が開いてしまうといったことはいくらでも起こりうる。隣のセグメントとの交換といったって無機質な物を交換するような流動性は期待できそうにない。

いや組織だって結局は他の組織との競争原理が働き淘汰される・・・不適切な人材を擁した組織(企業)は市場社会で生き残れないと考えられなくもないですが・・・ミクロの不適切がマクロに作用し淘汰されるというのは幻想。マクロが淘汰されたときその要因と決め付けられるほどの特定のミクロなんてないし、第一組織の全体が淘汰されてしまえばミクロの議論や詮索は起こりようがない。

適切不適切に影響する価値観や目標にしても状況は同じ。不適切な目標や価値観を持った組織や個人は淘汰されるはずなのですが・・・その答えは精密に仕組まれた物理実験のように明確な因果関係がはっきりしたかたちで短時間に出るわけじゃない。結果としての淘汰は長い時間をかけてどれが原因かわからない形で行われる。
だから肝心の優劣の判断が必要とされる瞬間には尺度がなく、大きな声で言った者勝ちか、黙りこくって人の話は聞き流した者勝ちといった状態になりやすいんですよね。(2009.9.30)
by c_mann3 | 2008-04-08 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

  ・・・次は・・・

      ◆次は「可視化、見える化、感じるか」を・・・⇒⇒


by C_MANN3 | 2008-04-01 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)