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◆Google・・・そして「ウェブ進化論」

たまたま新聞で見かけた「Googleデスクトップ検索」とやらを自宅のパソコンに入れてみました。それから延々二時間ほど、ガリガリゴリゴリ勝手に動いていたパソコンがとんでもないことに。ためしに何気ないキーワードを入れて検索をすると、完全に忘却の彼方に忘れていた5~7年前の文章や資料がぞろぞろ現れる。

すごいっ!パソコンって一回掴んだ知識は絶対忘れないんだ・・・と感動する一方、なんか変なものが出てきそうでちょっと恐怖さえ感じてしまう。きっとこの恐怖は、せっかく忘れることで幸せに今を生きているひとが催眠術でもかけらて、とんでもない胸の奥底を暴かれるイメージなのかも知れません。

それにしてもこんな強烈なソフトを無償で配信するGoogleって会社はどんな会社?・・・なんてことを思っていた矢先、とんでもない本を発見しました。


★題して「ウェブ進化論」、梅田望夫さん著、ちくま新書582ですが、それによると・・・

インターネットの「あちら側」で今、恐ろしい事態が進行しているようです。
著者はインターネットをはさんで世界を「あちら側」と「こちら側」に区分することで21世紀のIT世界を展望しているのですが・・・

「こちら側」の世界は日夜ソフトやハードの開発に明け暮れ、それを物として売ることで利益をあげる20世紀型のビジネスモデルの世界。
他方、「あちら側」の世界はハードの販売にはまったく興味を示さず、ソフトは作ってもソフトは売らず、インターネットのあちら側においたままにしてネット経由で誰でもいつでも無償で使ってくださいというもの。

それでどうして儲けるの?と聞くのは旧人類。この方法で儲かりすぎて成長が止まらなくなっている会社の代表格がアメリカの検索会社Googleやamazon.comなど。

Googleの企業理念は「増殖する地球上の膨大な情報をすべて整理し尽くす」ことであり、それにより「知の世界の秩序の再編成」を目指すとのこと。

たとえば膨大な開発投資をし軍事秘密としてきた衛星写真をgoogleは昨年世界中の地図会社に応用ソフト込みで公開してしまった・・・そして今私たちはそれを無償で見ることができる。

こんな話を次々と積み重ねながらこの先十年で、「あちら側」の企業は「こちら側」の社会や企業群が培ってきた技術価値や権威や秩序を崩壊させるパワーを秘めている・・・

説得力のある「あちら側」の会社の成功の秘密や今後の社会の行く末が満載の感動的な本でした。(2006.5.26)
by C_MANN3 | 2008-10-20 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(2)

◆Wiki とマス・コラボレーション

インターネットの世界では次々新しいものが出現しびっくりさせられますが、Wikiなんかも本当に不思議な存在です。

ネット上で自然発生的に知識が生成されていく・・・スパムやウイルスのようにネット上の妨害勢力がはびこる一方で、性善説を大前提にしたWikiのようなものも現れる。
善と悪が同居しせめぎあいながら進化を続ける社会の縮図のような風景がネット上でも再現されている感じです。

このWikiは前掲の本、梅田望夫さん著「ウェブ進化論」でもマス・コラボレーションを担うものとして取り上げられていて・・・

Wikiの代表格は世界中の無名の人達が寄ってたかって編集している百科事典Wikipedia。今やWikipediaは最も権威のある百科事典ブリタニカの十倍の語彙数を誇り、主要な単語に関しては正確度も遜色がないとか・・・その一方で誰が書いたか判らない記事なんて信頼性の保証が無いと権威筋からは嫌悪と憎悪の対象とか。

あらためてWikipediaを眺めていると・・・自然発生的に知識が生成されてくる背後にはいったいどんなシステムソフトや運営の仕組みが潜んでいるのかが気になります。

編集方針の項を覗いてみると、いろいろある中で・・・

・ウィキペディアはフリーのウェブサイトでもプロバイダー
でも ありません
・ウィキペディアは戦いの場ではありません
・ウィキペディアは無政府主義の実験ではありません
・ウィキペディアは民主主義の実験ではありません

などといった項目もあり、理念としてはよくわかるのですが、これではシステムのからくりを想像しようとすると益々わからなくなってしまいます。

管理者も立候補制、編集方針や運営規約なども自然に形成される仕組みのようで・・・運営事務局があるのかないのか?あってもほとんど表に出ない。こうした人と意見の集まりを制御するシステムソフトってどんなものなんでしょうね。ブログなんかとはまったく異質な、人と意見の果てしない絡み合いと収斂、新陳代謝をハンドリングするシステム・・・

Wikiの情報には保証がないとは言われますが、一方において投稿規定や査読委員会といったものが確立されているはずの旧来の学会誌などで研究論文の捏造が相次いでいる・・・こんなことを思い合わせると、いろいろと考えさせられるって感じですよね。

最近益々気になり始めたのですが・・・玉石混交の知や情報が渦巻くネット社会の中では、我々の取り込む知や情報の確度や確信はいったい何に由来することになるのでしょうか。

Wikipediaをターゲットにした実験では、意図的に間違った文章を掲載するとあっという間に修正されてしまったとか。ですが一方でマイナーな単語では修正されずに放置されるとも・・・
となるとやはりWikiは情報であって知としての確度は保障されない、それは取り込む人の責任ということになるのでしょうか。だとすると一人一人の知の確度への確信の源泉はいずこにと言った話に戻ってしまいますよね。
by c_mann3 | 2008-10-18 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

◆シンドラーの不思議

6/3日のシンドラーエレベータの事故の話が大きく波紋を広げています。
海外のメーカといえばオーチス程度しか知らなかったのですが・・・シンドラーという会社があり、何と世界第二位のメーカーだったとは。

今回の事故の原因は制御ソフトの欠陥とか独立系のメンテナンス会社への情報公開不足といったことが言われていますが・・・それ以上に衝撃的だったのが、事故が発生してほんの数日の間に日本各地はおろか世界各国の事故情報が一挙に浮かび上がってきたことでした。

このことはたった数日で世界中の関連情報を収集するマスコミのすごさと理解すべきなのでしょうが・・・何とも変な感じにとらわれてしまいます。
この事故があろうと無かろうと、情報は存在していたはず。しかもとりたてて隠蔽されていたわけでもなく公開された情報が世界中にあったにもかかわらす、きっかけが無ければ浮かび上がってこなかった情報。

こうした事件にはいつも、もう少し早く情報が顕在化していれば悲劇は防げたのかもしれないといった悔いの念が付きまとっています。

きっかけがないと作動しないマスコミという情報システム・・・犬に教えられれば大判小判をざっくざく掘り当てる花咲かじいさんもココほれワンワンと泣き叫ぶ犬がいなければ、ただ無目的にあたりかまわず堀り続けることは困難ということなのでしょうか。


広大な情報の荒野から、情報の側から話しかけてくる《自動課題提示システム》なんてものでもあればいいのですが・・・

前掲の本、梅田望夫さん著「ウェブ進化論」にこんな話が出てきます。
検索エンジンはいかに強力でも、問題意識、目的を持った人がキーワードをセットして始めて動く、使う人の能動性を前提にしたメディア。対してテレビや新聞はその本質が受動性にある。黙って座っていれば次々と大事な情報、面白い情報がやってくる・・・で、検索エンジンの次の課題は受動性を取り込むことだとか。

せっかく梅田さんに持ち上げられたマスコミメディアもきっかけがないと作動しないでは、話がややこしくなるのですが・・・

この本では新たな検索システムの可能性として「言葉の組み合わせ」に代わるインプットとして「リアルタイム性」を活用するアイディアが出てきます。言ってみればアクセス頻度や出現頻度といった積分型の検索システムに対してリアルタイムの変化を検出する微分型のシステムかも。

ですが微分情報はノイジー・・・「テキストマイニング」みたいなものでセレクトをかけることも必要か・・・などと素人があらぬことを思ってみたりもします。

ところでこの「テキストマイニング」は、大規模なテキストデータの「鉱脈」から「採掘(mining)」によって有用な知識を獲得する技術だとか・・・そうそう簡単には行かないとしても、興味をそそる技術ですよね。(2006.6.20)
by c_mann3 | 2008-10-16 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

◆グーグルを超える「次世代ウェブ」

本屋の新書コーナーに積み上げられた本の中で、帯広告に「Web3.0・・・」などと書いたものを発見し、ドッキリしたついでに買ってしまいました。

題して「次世代ウェブ」、副題が“グーグルの次のモデル”。佐々木俊尚著、光文社新書285

Web2.0でさえ未消化なのに世間はもう3.0なのか・・・などとため息交じりで読み始めてみるとこの本、Web3.0と言うよりはじっくり練りこまれたWeb2.0の分析書といった感じの味わい深い本でした。

以前読んで感動した梅田望夫さんの「ウェブ進化論」がグーグルやアマゾンを中心にアメリカで巻き起こっているあちらのWeb2.0の世界を描いたものだったのに対して、今回の「次世代ウェブ」は綿密なインタビューをベースに日本のIT事を分析したもの。

曰く・・・
実はWeb2.0という言葉がまだ一般的でなかったころから日本でも数々のベンチャーの試行錯誤の結果、独自にWeb2.0の世界に到達していた・・・

アマゾン型の巨大な倉庫を持ったモデルだけがロングテールではない。地方の小さな商店をつなぐことで倉庫を超分散させた裏表二重のロングテールのモデルだってある・・・

検索性能が向上し連動広告が発達すると中抜き現象が起き、やっと築き上げたポータルサイトビジネスが壊滅する可能性も・・・

アクセス数やリンク数を重視したグーグル型の検索の次に来るものはコミュニティのささやきや個人の瞬間的な事情を反映したものになりそうだが、それは今はやりのSNSを進化させる程度で到達できるものなのかどうか・・・等々。


◆この本を読み進めていくと・・・Webの世界が単なる情報テクノロジーというよりは社会心理学や進化論の壮大な実験場と化している様がひしひしと伝わってきます。

ところで・・・全ての情報がGoogleに集中し、何もかもがGoogle世界政府に飲み込まれそうな中で、わが日本はどこまで勝負できるのか。

その勝負のひとつはデータベースの大きさ。データは実は今のようなWeb上のコンテンツだけとは限らない。ICタグ、ETC、携帯からもコンテンツは発生しつづけている。こうした所に介在する組み込み系の技術を始めとする広義のITテクノロジー自体では日本は遅れてはいない。

そうしたテクノロジーで吸い上げた膨大なデータベースから知を抽出していく社会レベルでのナレッジマネジメントを構想し、情報と人の渦巻く大海の中で粘り強く試行錯誤を重ねていく中からも新しい世界が生まれるかもしれない。問題は日本がそうしたベンチャーを輩出できるかどうかにかかっているといったことのようです。(2007.3.5)
by c_mann3 | 2008-10-14 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

◆「ウェブ時代をゆく」・・・

以前にここの数個上の記事で梅田望夫さんの「ウェブ進化論」を取り上げていたのですが、その続編と銘打った本が出ています。

題して「ウェブ時代をゆく」、ちくま新書687。副題は「いかに働き、いかに学ぶか」。
前回の本がWebを軸に社会がどう変わりつつあるかといったことが中心だったのに対して、今回はgoogleやWebがますます進化し勢いを増す新しい社会の中で「個人」がどう立ち上がっていくかに焦点が当てられています。

果てしなく膨張するWebやITを単なる便利なものとして、受身の消費者の立場で接している限りはそれほどの未来は無い。自身も情報の発信者、創造者としてアクティブに取りくんで行って初めて新しいフロンティアが開けるのだということなのですが・・・

基本は“好きなことに思いっきり集中する”こと。今やWebやgoogleのおかげで、昔のように情報やチャンスの多い都会や大組織に属さなくても好きで好きで集中できる分野ならネット上にできた「学習の高速道路」をつっ走って一定のところまでは一挙に到達する。
だが万人に開かれた高速道路である限りやがてはその先に大渋滞の世界が待ち構えている。そこを強行突破して頂点を極めるか・・・はたまた高速道路を降りてさらに孤独な獣道に分け入っていくか・・・

そして獣道を歩みきるには、
・「好き」を見つけて持続的な勤勉さでそれを育てきる
・長期的には「なりたい自分」を模索しつつ、まずは「なれる自分になること」を積み重ねる
・そうすることでWebの世界の一角で個を確立し、リアルな世界とつないでいく等々・・・

“好きなことにまい進しながら生きていける程度の糧を得る”知的で自由な人生を手に入れるための手立てが次々と語られていくのですが・・・読んでいると光明が見えるようでいて実行するには厳しいような、楽観的な未来が広がっているようでいて目の前はシリアスなような・・・

この本は本来才能を秘めた若い方に送られたメッセージなのでしょうが・・・妙に説得力があり読みやすく書かれていて、やがて組織を離れフリーターにならざるを得ない私のような年配のものにも、明日の自分の姿に思いをはせながら読むなら味わい深い本といった感じもします。(2007.12.31)
by C_MANN3 | 2008-10-12 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

◆13年前の「マルチメディア」・・・

会社の図書室の片隅で眠っていた古い本を読んでいます。

西垣通著「マルチメディア」、岩波新書339、1994年刊。西垣さんといえばこのブログでもいくつかの記事で話題にさせていただいているのですが、軽妙なタッチの文章で独自の情報論を展開されていて、私などは大のファン。

実際に読み始めてみると、マルチメディアのITテクノロジーとしての側面よりも、人とメディアの関わりを主題にしたもの。グーテンベルクの印刷技術にも匹敵する情報技術の変革であるマルチメディアが社会や“種としてのヒト”にどう作用していくかに力点をおいた著作のため、古くなった本といった感じは微塵もない。

この本によると・・・人は本来、五感を総動員した感覚的な世界からロゴスを生み出していくことに長けていたはずなのだが、活字メディアの時代になって、活字で表現されたロゴスを起点にさらにロゴスを再創出するといったことが多くなり、その分、感覚的な世界が後退してしまった。
そこに現れたマルチメディアの時代では、テキスト以外にも映像や音を一緒にハンドリングできるため、本来は再び感覚的な世界が復権しうる可能性を秘めたもの。

だが音や映像といった感覚的なものも単にそれに浮かれていると、人は効率的に商業生産された感覚的なものをただ消費するだけの存在となり、ロゴスも感性力もが弱体化してしまう・・・
マルチメディアは人が再び感覚的な世界とロゴス的な世界を縦横に行きかうことができるようになるプラットホームとなってこそ意義のあるものなのだということのようです。

13年たった今、ヒトや社会がITやマルチメディアを手に入れることで利便性や娯楽性が格段に進化したことは確かですが、より感性レベルでの情報処理ができ、コラボレーションで知の創造を加速できるはずといった夢は今もなお霧の中なのかもしれません。(2007.10.12)
by c_mann3 | 2008-10-10 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

◆包囲される人の感性領域・・・

マルチメディアの時代となり映像や音をふんだんに取り入れた情報が受け手のロゴスを通り越して直接感性領域を揺さぶり始めた一方で、いろんなロゴスの断片もまたあふれるように流通するようになり、ロゴスを生み出す元であるはずの感性的なものは逆に細りつつある・・・・

先日検索サイトの利用度ランキングが発表され、googleがダントツ一位だったそうですが、ここしばらくはいろんなものが益々googleに集中していくことになるんでしょうか。

キーワードを入れてアクションを起こさないと反応しないとはいえ、検索データベースがここまで巨大化し、検索技術も進化してくると、人の思考プロセスへの影響は侮れないですよね。量の巨大化が質的な変化の効果を持ち始めるってことでしょうか。

何か新しいものを創造したり企画したりといった場面では従来は博識の人、顔が広くてたくさんの情報源を持った人といった人たちが重宝されてきましたが、ここまで検索が発達してくるとこうした人たちの存在感はあせてきますよね。単に広く知識を集めるだけなら、インターネット検索はもうすでに文殊の知恵もブレンストーミングも超えてしまっている。

ここまで瞬時にいろんな情報が取り出せるようになると、クリックするたびに現れる情報の洪水の中で、一見よさそうな情報を「まだ答えではない」と切り口を変えて再度クリックを繰り返えしたり、これがファイナルと取り込んだりといった嗅覚的、感覚的な判断が益々重要になる感じがします。

ところがこうした嗅覚的、感覚的な能力は実はずいぶん以前から退化し始めているんですよね。広く情報を集め、ロジカルにシンキングしようという風潮とITの発達がこの退化を加速しています。ITの発達で人に残された人固有の役割が益々感性的なものに絞り込まれつつあるのに、そのITの発達によって退化し始めているのは皮肉です。


先日の朝日新聞でも紹介されていましたが、KDDIが数千人の携帯を使って一人一人の考えていることや今いる場所、今しようとしていることといった生活情報を収集し、それをベースに究極的には「ちょうど今それが欲しかった」と思わせるような情報を提供する試験を始めるとか。

検索結果に違和感があったり不足感があればこそ、「いや、まだ他にも何かあるぞ」といった嗅覚も必要となり、磨かれもしますが・・・それなりに満足できる情報が人を取り囲こむとなると、よほどの目的意識や価値観や情報の選択眼を持った人以外は嗅覚が益々退化しそうな感じもします。

これと類似のことを連想させる話になるのでしょうが・・・ソニーがデジカメでスマイルシャッターとかいうのを出したとか。カメラがオートフォーカスになりぶれ防止がつき、画質が極端によくなったおかげで画角も構図もとりあえずは撮ってしまった後でいかようにもトリミングできるようになった今、最後に人の感性が生きるのはシャッターチャンスのみだと思っていたら、なんと画像処理で、にっこり笑った瞬間に自動的にシャッターが下りるとか・・・


単に便利な道具、馬鹿とはさみは使いようなどと思っていたITやコンピュータは今巨大なモンスターとなって人を取り囲みつつある。包囲された人の近未来はもしかすると“感性の領域は渡すまじと奮戦する人”と“あっさりロゴスの領域も感性の領域も明け渡してしまう人”に二分されていくのかもしれない・・・これも西垣通さんが13年前に抱き、益々現実味を帯びてきた危惧のひとつなのかもしれません。(2007.10.16)
by c_mann3 | 2008-10-08 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

◆40年前の「マクルーハン」・・・

ところで・・・西垣通さんの「マルチメディア」を読んでいてなんとなく数十年前に一世を風靡した“マクルーハンの世界”を思い出していたのですが、読み進めるうちにやはり何ヶ所かこの名前が出てきました。

マクルーハン・・・武村健一さんがテレビやラジオでさかんに解説されていた情景とともに鮮明の脳裏に焼きついているのですが・・・本としては1967年刊の「人間拡張の原理~メディアの理解~」が代表作。

ただ街中の話題としては一過性のブームとして終わり・・・その後耳にすることも無かったのですが、最近になっていろんな本を読むたびに“これって昔のマクルーハンに似てる”と思い出すことが多くなったような気がします。たとえば少し前にこのコーナーで記事にしていた▼「アフォーダンスの心理学」などは人間拡張の原理そのものですよね。

現代に生きる我々は本当にいろんなもので本来の人間機能を拡張した中で生きている。例えばメディアは表現やコミュニケーションの道具ですが、言ってみればヒトの口や目や耳や皮膚感覚の拡張でもある。企業組織や社会は一人一人では達成できないことを成し遂げるヒトパワーの拡張とも言える。

ですがこの理論、「人間拡張の原理」と銘されているため、主体を持った人間が機能を拡張はしてもなお主体は人間にあるといったニュアンスを持ってしまいますが・・・実際はその拡張手段の反作用を受けていて、メディアに踊らされ、組織に翻弄され、主体を見失いつつある・・・そこがポイントということなのかもしれませんね。(2007.10.12)
by c_mann3 | 2008-10-06 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

  ・・・次は・・・

      ◆次は「iPhon、グーグル」等について⇒⇒


by C_MANN3 | 2008-10-01 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)