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◆創造性:答えの形

創造性とは課題を発見することから始まるプロセスであり、実はこの課題発見が難題なのですが、それをさておいて話を進めますと・・・

課題さえ提示されれば人はそれなりに何がしかの答えを思い浮かべるものです。問題は“なぜか思い浮かべてしまったその答え”が、本当の解なのかどうか、それを効率よく見極めることが実は、創造性のもうひとつのポイントなんだと思います。
脳裏にはっきりした解の形を持っているがゆえに・・・思いついたものをこれは答えではないとリジェクトする・・・それが内なるコンフリクトを高め、いよいよ本格的な探索、思考のプロセスに入っていく・・・これが創造のプロセスの要点であり、このコンフリクトがジェネプロアモデルで言う“産出制約(constraints)”として作用するのかもしれません。

思い起こせば小学校で算数の問題に四苦八苦していたころから・・・だんだんと計算を進めるうちに、“これは違う、きっと間違っている”となぜか思い、元に戻ってやり直すといったことをしてきましたが・・・“これは違う”となぜ思ったのでしょうか。割っても割り切れない、約分しようにもすっきりしない・・・先生がそんな意地悪な問題を出すはずが無い、これはきっとどこかで間違ったに違いない・・・彼はそう思ったのかもしれません。

長じて物理学を志した彼・・・今取り組んでいるテーマが方程式にするとどんどん複雑になってもつれていく・・・ここで彼はまたしても思うに違いありません。“神の造りたもうたこの世の森羅万象・・・そこを支配する法則はきっとシンプルで美しいはずのもの・・・考えを進めるほど複雑になるなんてことは、どこかで道を間違った証拠”と。

・答えはシンプルで美しいもの
・答えはエネルギーミニマムなもの
・答えは普遍性があるもの
・答えは見たり聞いたりした瞬間、脳裏に吸い込まれるように理解できるはずのもの
・・・他にも分野特有のいろいろな拘りがあり、そうしたものも答えの形の現れでしょう。

実は答えの形にこだわる人はそう多くはない。拘らない人たちにとっては“思考のプロセスに落ち度がなければ答えは答え”、“答えなんていろいろあって当たり前”というわけです。

ですが答えの形に拘ることは一見、自由な思考の妨げになるように見えますが・・・これに合わないものをリジェクトし続けることで、やがて思考に道筋ができ、答えにならないものは思い浮かべもしなくなっていく、思いつくもののほとんどがヒットする・・・こうすることで創造の質と生産性を頂点まで高めることができるのだと思います。

・・・とこんな風に思っているのですが・・・実はちょっと気になることも。ここまで磨き抜かれた脳細胞は、チューニングの完了したニューロコンピュータのごとく、反射的に答えを出しているだけ・・・それはもはや創造性とは言わないのかも知れない???

実は特定の畑で創造性を重ねていきますと答えが磨きぬかれ、ついにはそれ以上身動きの取れない状態・・・ある条件下での「最終到達系」に至ってしまいます。
で、さらに前に進むためには、前提や枠組みをいったん捨て、再出発することが必要になる。これは“プロペラ機で最高に磨き上げても時速は数百キロが限度。さらに進めて音速を超えるにはジェット機、そしてさらに上にはロケット”ということを例にしてよく言われている話です。

で、ここでもうひとつの“答えの形”が出てきます。
すなわち・・・“答えはひとつではない。前提を変え更に大きな目標を目指すと、答えも変わる!”(2005.2.6)
by C_MANN3 | 2009-09-20 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

◆創造性:答えの居場所

前掲の記事(ひとつ上にスクロール)で“発見や発明でたどり着いた答えには正解特有の表情がある”といったことを書き連ねて以来ずいぶんと時間が経ってしまいましたが、実はもうひとつ悶々と思っていたことがありました。それは“答えの形”に続く“答えの居場所”についての話・・・


答えにはそれぞれにふさわしい居場所がある。
好きな場所に咲いているように見える花々にも固有の居場所がある。水生植物は水辺にしか咲いていないし、高山では高度によって棲息が許される花の種類が決まっています。
化石は欲しければ特定の年代の地層が露出している場所にいくしかなく、恐竜の骨を捜すならまずジュラ期の地層を探すことが先決。

答えの存在場所自体がある種の構造を持っている・・・そのことを意識すれば答えを探索する効率は一挙に高まる。
それまでに得られている色々な答えの特徴を抽出し、そこから答えの生息する地図を描くことができれば、これから新たに求める答えの居場所はかなりのところまで絞り込むことが可能。

答えの居場所、答の存在の仕方としての構造体・・・例えば周期表もそのひとつ。

★答えの居場所としての「周期表」
少し以前のことになりますが、学習指導要領の改訂で来春から採用される中学校の教科書では、今までは高校で扱っていた《元素の周期表》を扱えるようになったとの報道がありました。

すべての物質の元となるものが原子であり、その原子は山ほど種類があっても実はその中で飛んでいる外殻電子の数で性質が決まり、限られたグループに分類される・・・それが一目瞭然に理解できる周期表を高校を待たずに知ることは悪いことではありません。

ですがこの元素の周期表、せっかく教えるならそれが直接言わんとしている元素自体の話などではなく・・・“やたらいろいろとありランダムに見えて覚えこむしかないかに見える原子が、周期表という切り口で整理するとパッと霧が晴れたように極めて秩序だった世界を構成していることが解る”ことの感動を教えてほしいと思わずにはいられません。

ロシアのメンデレーエフがまだ60個程度しか元素が発見されていなかった段階で、元素とは何なんだろうと悶々と考えながらいろいろと並び替えたり崩したりしているうちに重さの順に並べていくとよく似た性質の元素が周期的に現れることに気がついた(1869)。8個ごとに折り返して縦横の表を作ると同じ列に同じ性質の元素が並び、一挙に意味のありそうな表にたどり着く・・・

こうしてたどり着いた周期表を元に27個の新元素の存在を予言しましたが(1871)、この元素はやがて次々と発見され、発見された物質の性質も予言通りのものでした。
さらに彼は元素に法則性が存在する原因は原子の内部構造にあると考えましたが、このことがやがて原子構造の研究へと発展していくよりどころとなっていきます。

もちろん予言があろうと無かろうといずれ発見はされたのでしょうが・・・別掲の《信じて探す情報検索》の項でも触れているように・・・在ると信じて探すのと、思い入れも絞り込みも無く淡々と探すのでは発見確率がまったく異なることも確かです。

★「周期表」は「周期律表」???
ところで、この周期表・・・最近の教科書では「周期表」と呼ばれいますが、私たちの年代のものは昔「周期律表」と教えられていた気がするのですが・・・

「周期表」では結果として「周期性」が確認されたので淡々と「周期表」といって終わらせているって感じがして、どうもなじめない・・・この表現では、これをモメントに万物の根源に切り込んで行ったメンデレーエフの思い入れは消えてしまう感じがします。

一方において「周期律表」ということになると「周期律は「因果律」、「相関律」、「相似律」とならび、人が森羅万象の解明に取り組む際の基本的な思考ルートのひとつ。この赤い糸を手繰れば必ずや真理に近づいていけるといった情熱や確信の源泉・・・といったことにつながっていく。

学校で教えるなら結果としての事実だけでなく、結果を探り当てた人たちの情熱や確信の源泉を含めて教えて欲しい・・・「周期表」は「周期律表」と表現し、元素の話にあわせて、メンデレーエフの切り口や、因果律以外にも周期律も思考プロセスとして貴重であることなどを熱く語って欲しいと思うのですが・・・
そんなことは受験の役には立たないし、やっていると時間も足らないってことなのでしょうか。

なんかこの「周期律表」には妙に思い入れを感じていて、これを切り口に広がる思いは多々あるのですが・・・それはまた稿を改めて。(2005.11.5)
by C_MANN3 | 2009-09-18 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

◆創造性:図形、図表で考える

私自身、長い生活体験の中で何かを考えるときは、書いたり消したり図形や図表で考えることか性癖のようになってしまっているのですが・・・最近になって図形、図表で考えることを推奨する本がいろいろと目に付くようになりました。

手元にある本もそのひとつです。
題して「できる人は地図思考」、吉田たかよし著。2003年、日経BP社刊。著者は元NHKのアナウンサー、後に医者の資格をとり、代議士公設秘書を務めるといった不思議なキャリアの方です。

図形化のプロセスでは、混沌とした知と情と意のカオスの中からキーを抽出し、関係性を見出し、意味のある構図にレイアウトしていく・・・そこには創造性のほとんどの工程が含まれている。

ですがこの工程は決してストレートには進まない。行きつ戻りつ堂々巡りが繰り返され・・・やがて解脱の瞬間を迎える。そうして仕上がった図表は対象を見る見方を変え、網膜に映る風景を一変させる。
前掲の周期律表や別掲のKJ法もその一例だと思います。

脳生理学的には・・・上記の本にもあるように、図形で考えると脳全体が活動する。ロジカルな思考と直感が同時に活動する。左脳が矛盾を排除し、右脳が越えられそうにない川をジャンプして渡る。渡った後を左脳がブリッジで連結する。

おそらく図形化には二つの役割がある。それを形造っていくプロセスと、結果として表現されたものの効用の世界。前者は創造性プロセスそのものですが、後者は人に新しい視点を与え発想を変えさせるインパクトを持つ。あるいは図表の中でいろいろなものが相対化されることで、これが絶対と譲り合わない不毛の議論を阻止することができる。また新しいものを発見する際の答えの居場所を示す地図として活用できる。

こんな話をすると、OA全盛の昨今、「そんな話ならパワーポイントであっという間に!」という反応になりかねないのですが・・・
この本には「パワーポイント症候群」といった面白い話が出てきます。きれいな図が並んでいるだけではだめ。結果として新しい構図、意外な視点が提示されていなければ意味が無いとのこと。

図形、図表で考える・・・それは新たな構造をつかむこと。このプロセスはいろんなものとつながっている。例えばフランス構造主義等の切り口ともイメージがダブるものを感じます。(2005.11.18)
by c_mann3 | 2009-09-16 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

◆脳を活性化する手書きデッサン

脳を活性化し、無意識を刺激する手書きデッサン・・・

前掲の本「できる人は地図思考」は医学を専攻された方の著作だけに、地図思考と脳活性化の関係を説いた第四章「医学も証明する地図思考のすごさ」が圧巻です。
最新の認知科学や脳科学をベースに図形で思考することが脳のあちらこちらを総動員し活性化するメカニズムがリアルに描かれています。

その中で図や文字を手書きで書くことの効能が取り上げられています。
OAソフトが全盛の現在、ともすると文章はWORDで、図表はパワーポイントで、図面ならCADでと、デッサンの最初の段階から電子メディア上で思考をスタートさせる風潮がありますが、この本を読んでいると少なくとも最初のデッサンの段階は手書きがいいのかもと思ってしまいます。

そういえば著名な画家の展示会でおびただしい数のデッサンが展示されていることがありますが・・・似ているようでいて少しずつ違うデッサンを見ていると、おびただしい試行錯誤を繰り返しながら少しずつ本番の絵画が結晶していくプロセスがうかがえます。

もっとも絵画のデッサンが手書きなのは当たり前なのかもしれませんが・・・いきなりCADの上で思いを練り始めても不思議ではない建築家の方々もデッサンはされるようです。

建築家の安藤忠雄さんの展覧会を拝見したことがありましたが、完成した建築物の写真や図面の周りに、それにまつわるデッサンが並べられていてびっくりしたことがありました。
安藤さんの場合、イメージがレストランやカフェの中で生まれることが多いのか箸袋やペーパーナプキンの切れ端に走り書きされたデッサンが壁一面に張られている。

デッサンは単に絵画の下書きといったものではない。それが絵画であれ建築であれ技術的な発明であれ、書いたり消したりのプロセスを経ることでそれに同調して脳内にもそれと相似の何かが形作られていく・・・それは無意識との会話、創造性のプロセスそのものといった感じがします。


★ところで余談を・・・
実は安藤忠雄さんの大ファンなのですが、彼の造った住まいに住もうとは思わない。ご本人自身が住むということは格闘すること!なんて仰る通りとにかく住みにくそう。むしろ創造性を掻き立てるオフィスなんかに向いているんじゃないかって気がします。安藤さんの建築では水面や光の効果が多用されますが、水面やそれに反射する光の揺らぎは無意識を刺激しイマジネーションを掻き立ててくれそうです。

ある評論家が・・・安藤さんの建築は今使ってどうこうというよりも、やがて人類が滅亡し街が廃墟となった時、うずもれた瓦礫の中で燦然と輝くもの・・・などと評していました。こんなフレーズが建築家への誉め言葉になるのかどうか苦笑しますが、言われてみると地面に半分埋没したような建築も多く、奇妙な説得力があって私は気に入っています。

もしかすると安藤さんは、今日もどこかのレストランで箸袋か何かの切れ端に書いたり消したりのデッサンを繰り返しながら、こころは千年の時空を超えたイマジネーションの世界を遊泳されておられるのかもしれません。(2005.11.18)
by c_mann3 | 2009-09-14 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

◆立花さんの・・・「知」のソフトウェア

立花隆著、“「知」のソフトウェア”、講談社現代新書、初版が1984年。本を買うときは発行日を確認してあまり古い本は買わないようにしているのですが・・・重版発行の日付を新刊発行日と勘違いして、とんでもなく古い本を買ってしまったようです。

ところが読みはじめてみるとチッとも古くない。著者の立花隆さんは田中角栄を追い詰めた人。その後しばらくして書いた本らしく、内容は見えない真実を追究し、何かを浮かび上がらせるための立花流の「知」のソフトアェア。

副題が“情報のインプット&アウトプット”ということなのですが、情報を「脳」という不思議な壷にしこたまインプットし、かき混ぜて寝かせて醗酵させ、やおら取り出しては調理する。この全工程に関する立花さんのノウハウや想いがぎっしりの本でした。

さすがに20年も前となるとインターネットも情報検索もなかった時代で、情報の収集と検索の工程だけはやや時代がかっていますが・・・それ以外の情報や知を醗酵させ、真実に切り込むアプローチや、アウトプットとしての文章にまとめていく工程についてはITやインターネットでカバーできるものではなく、今も昔も変わらない極めて人間的な職人芸であることを実感させてくれます。
いろんなことが書かれていますが、いくつか・・・

◆コンテを持たずに文章を書き始める

文章を書く前にはコンテや構成は考えない場合が多いとか。コンテを練るとその通りの、その程度の文章があっという間にできてしまって終わる。
シナリオ無しで少し書いては横道にそれ、また書いてはそのとき浮かんだ思いで向きを変え・・・こうすることでランダムにインプットし意識と無意識の境界線に沈殿して漂っているもろもろのものが発酵して語りかけてくるのだと。
そしていったん膨らませた文章は終盤で、まるで米を思いっきり削る吟醸仕込みの酒のごとく削れば削るほどこくが出るとも。

◆さらに、なんと“KJ法は役に立たない”と・・・

KJ法は川喜多二郎さん提唱の集団発想法であり、従来一人一人が頭の中であれこれと取り留めなく考えていたプロセスを、断片的な概念をカードに書き机の上に並べてグループでわいわいがやがやとまとめていくといったものなのですが・・・
これは従来個人の頭の中の無形の作業空間で行われていたものを、物としてのカードを使って展開することで作業手順を定型化し、集団作業を可能にしたシステマティクな方法論。

ですがこれについて立花さん曰く・・・この方法が威力を発揮するのは“頭の鈍い人が集団で考えるときだけ”、“普通以上の頭の人が一人で考えるときは時間がかかりすぎて無駄な作業”だと。

ドッキリ表現ですが前後をよく読んでみると立花さん自身、“ものを考えるプロセスでは個人の脳裏でまるでカードをくっつけたり離したりのプロセスを経ている”、ということについて異論を唱えているわけではなく、一人でものを考える場合にまで律儀にカートを作ったり並べたりすることは時間の無駄だということのようてす。

ですが、“頭の鈍い人が集団で考えるときだけ”といったきわどい表現に接すると・・・会社の中などでよく推奨される“わいがや”でものを考えようとするプロセスが、本当にものを考え「知」を生み出していく方法として効率的なものなのかどうかといったことについては改めて考えこんでしまいます。

招集がかかると取り立てて事前準備も自身の構想もない人たちが集まってわいわいがやがや・・・予定時間が来ればホワイトボードの落書きをコピーして終わりといった風景がなくもない。
何かを欠いた集団討議よりは、目的意識のはっきりした個人の“沈思黙考”の方が知的生産性は高いのかもしれませんよね。 (2006.9.17)
by c_mann3 | 2009-09-12 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

◆創造性の源泉・・・

創造性についてはこのブログを書き始めた比較的早い段階で募る思いを一挙に書いて以降、ぱったり間が開いていたのですが、最近感動的な本を発見しました。

題して「サブリミナル・インパクト」、下條信輔著、ちくま新書757です。副題が“情動と潜在認知の時代”とあり、著者は知覚心理学、認知神経科学がご専門のカリフォルニア工科大教授。

この本ではこころの構造を「意識」、「前意識」、「無意識」の三層構造ととらえ「前意識」の挙動を通して現代の諸相を広範囲に解き明かしてくれているのですが、この本の最終章がなんと“創造性と「暗黙知の海」”。

この章では創造性に関する素朴な三つの疑問といった面白い切り口から話が始まります。

 ・なぜ創造的発見は難しいのか
 ・ひとたび発見されると一瞬にしてそれが答えだと感じるのはなぜか
 ・それを人に語ったとき、受け入れられるのはなぜか

それを解き明かすことが創造性の本質を浮かび上がらせることになるが、その答えの鍵は前意識の特質にあるとのこと。「前意識」は意識から入って忘れ去られたものや、環境から直接忍び込んだものの坩堝。そこは自分の領域のようでいて、実は自分も気がついていない環境や社会との共有エリア。

そのためにここから意識の領域にアイディアが浮かび上がってくると突然ひらめいたような気がする一方、そういえばどこかで見たことがある感じがしたり我意を得たりといった納得感があったりもする。だがそれは自分の中から出たのだからあたりまえ・・・

さらに人に話すとその瞬間に「オッそうか!」といった共感が生まれるのも周りの人との共有エリアからの掘り出し物なのだからあたりまえ・・・といったことのようです。

創造性とは前意識の中で自己と周辺が遭遇しスパークしたものが意識に浮かび上がってくるものであり、環境、社会、自分とは異なる専門領域といった広範囲な周辺と接触していることが大事。

で、まずは意識していない「前意識」の領域にしこたま周辺領域の知識や暗黙知を溜め込んでおくことが創造性の第一歩ということなのですが・・・(2009.3.5)
by c_mann3 | 2009-09-10 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

  ・・・次は・・・

      ◆次は「組織と創造性」について・・・⇒⇒


by C_MANN3 | 2009-09-01 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)