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◆ハーバーマス・ルーマン論争

このブログで“判断のもつれとヒズミ”といった趣で紹介している一連の記事をYAHOO掲示板にも掲載していたところ、ある人から「ハーバーマス・ルーマン論争」を思わせる・・・とのコメントを頂きました。

日ごろ不勉強ではじめて聞く話だったのですが、調べ始めてみるとどうやら難解な現代思想の真っ只中の領域のようで、いきなり当事者の著作を読んでも歯が立ちそうにない。

でいろいろな解説書を拾い読みすることに・・・
・「現代思想のキーワード」・・・現代思想、臨時増刊号、青土社
・「現代思想の冒険者たちselect“ハーバーマス”」。講談社、2003年刊。

特に後者はハーバーマスを軸に60年代から80年代と続く現代思想の系譜を解説した本ですが、年表、キーワード解説、主だった人の現代思想系統図等の巻末資料も充実。
お陰さまで多少なりとも輪郭が掴めはじめたところによると・・・・

★ルーマンは・・・

社会は果てしなく進化し複雑化を増している。何かを切り捨て思考が及ぶ範囲まで《複雑さの縮減》をしなければ判断はできないし、何らかの制度やルールを作りシステム化することで判断を簡略化しなければこの世は回っていかない。
情報も裏付けを取ることが困難な場合は、とりあえずはそれが真理として受け入れざるを得ない。

★対してハーバーマスは・・・

流布された情報を真実として受け入れ、システムに乗っかって依存してしまうなら、世界は官僚やマスコミに支配される植民地となってしまう。

自身で考えることを放棄しては真の秩序は維持できない。自由で対等な市民が、あらゆる強制力が働かない状態で行なう理想的なコミュニケーション(対話)を通じて形成される世論のみが秩序を構成すると・・・


この論争、戦後ドイツの政治状況の中で戦わされたもののようなのですが・・・IT化が進み、あらゆるものがシステム化されていく今日の状況を思うと、奇妙に新鮮なリアリティを感じてしまいます。

インターネット化が進みあらゆる情報が見えているようでいて、実は多くのものが隠蔽されている。創造性や個性化が求められている一方で、手作りしていたものはレトルト化していく。システム化が進みあらゆるサービスがワンクリックで手に入りつつある。結果としていろいろなものがブラックボックス化し、考えることを放棄してマニュアルに頼る人が増えてくる。

そして何よりコラボ、コラボと言いながら実は人と人がコミュニケーションから何かを生み出していくことが苦手になりつつある現在・・・ハーバーマスとルーマンの論争は、まさに今の状況下で必要なのかもしれません。

◆英国の非成文憲法は・・・

こんなことを思い始めていたとき・・・新聞のコラム欄に茂木健一郎さんのインタビュー記事で、かつて英国に留学していたころ、非成文憲法に英国の深い叡智を感じたという話が掲載されていました(2006.1.30日経)。

正確な引用ではなく我流表現の紹介で恐縮ですが・・・英国憲法は文字で規定されたものがないから、何かあるとゼロベースで討議して決めざるを得ない。どこかの国のように成文憲法に寄りかかり不毛の解釈論議でお茶を濁すこともできない。
いつも同じ答えが出るとは限らない不安定さはあるかもしれないが、その時々で人の英知を集結することにすぐれ、状況変化への対応力にも優れているのかも知れない。・・・とにかく最後は人間の判断を信じている国、英国。

ただ都度討議することで妥当な結果を得るためには一人一人に叡智が求められ、しかも手間と時間が必要・・・これぞまさしく、ハーバーマスの世界なのかもしれません。(2006.2.18)
by c_mann3 | 2009-12-20 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

◆意図、会話、収斂、そして秩序・・・

ハーバーマス・ルーマン論争の論点のひとつは、コミュニケーション(会話)が収斂していくことで自然に秩序が形成されていくものか否かということのようなのですが・・・
秩序形成のメカニズムとしては“自己組織化”とか“オートポイエーシス”といった論点も気になるところです。

組織の中で“ある種の意図をもった人たちが・・・会話や対話を通じて・・・議論を収斂させ・・・結果として秩序が形成されていく・・・そのプロセスで構成員にも態度の変容が起こっていく・・・”などということが成り立つのかどうか。
以下はそうしたことに関わりそうな会話の風景、2題です。


◆対話を避ける会話

オートポイエーシスという言葉に接してはや一年。とくに職場などで会話を重ねる中でますます思いを強くし始めていること・・・それは結局のところ会話は対話になっていないということ。

饒舌にしゃべってはいても巧妙、巧みに自分の匂いを消していく。われ思うゆえに・・・などとは絶対言わない。論拠を自分自身以外のものに摩り替えていく。あるいはその場を支配する何かに合わせて語り込んでいく。

そうかと思うとちょっと大きな会議では、みんなが天井のシャンデリアに向かってしゃべっている御前会議のような風景になることがあります。隣の人に同調を求めているのではない。前の人の意見を受け入れて自身の気持ちを再構築しているわけでもない。結局オートポイエーシス理論で言われる一つ上の階層のシステムのエレメントとしてシャンデリアに向かって発言し自己創出をしているだけ。まさにオートポイエーシスを実感する情景ですが、こんな情景でハーバーマスの理想的な対話なんてものが成り立つのだろうかなどと思ってしまいます。


◆説得にはつながらない会話

職場や家庭でまるで百年戦争のごとく繰り返して語っても通じ合えないことがあります。百年対話を続けてもそれで相手が変わるわけではない。対話によって打ち解けたり通じ合ったりするものでもない。
何らかの事情で受け手の何かが変り互いの心にオーバーラップするものが生まれたとき、そのオーバーラップ分だけ会話が成立する。そしてその領域が少しずつ広がって行ったとしてもそれはこちらの説得の成果などでは決してない。彼自身の都合とペースによる変化の結果次第。その日までは如才なく相槌は打ってもバリアは決してはずれない。

ですが・・・こんな空しい百年会話の中である日突然落雷に打たれたように相手の心に変容が起る一瞬がある。うれしいはずのこの一瞬・・・でもそれが百年の会話の成果ではなく、同じ言葉を他から仕入れたことがきっかけで、しかも始めて耳にしたような感動の表情をされると・・・「昔から言ってたじゃないか」とさらに空しさが倍増したりすることも。


こんなことを書くと「話の持っていき方がまずいんじゃないか」とか「そんな言い方じゃ聴く気がしないんだよ」といった声が聞こえてきそうですが・・・それも変な話。書類不備で中身に関係なく受付却下とは、まるで一昔前の市役所の受付って感じですが・・・ことコミュニケーションに関しては今もそれがまかり通り、しかもその傾向がますます強くなっている感じもします。

説明も無くいきなり怒鳴りつけられたり突然理不尽な壁にさえぎられたりで途方にくれながら色々と思い巡らすことでプロブレムファインディングのトレーニングになっているなんて風景はもう見られない。
コミュニケーションはそれ自体が難しいだけでなく、さらに入り口で「受容」、出口で「変容」と言った難題が横たわっているようです。

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読み返してみるとちょっと悲観的なこの文章・・・もしかして私は通じない会話に疲れているのだろうか・・・などと思わぬこともない。ですが、それでも会話を止めるわけにはいかないこともまた現実・・・今日も明日もたとえ空しくても実らなくても、会話は続きます。

なお、“▼オートポイエーシス”、“▼変容”については別掲記事があります。(2006.5.24)
by c_mann3 | 2009-12-18 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

◆ニクラス・ルーマン・・・

実はこのブログに検索から入ってこられるお客様のキーワードで常に上位を占めているのが「ルーマン、ハーバーマス」。なのに記事はこの上(にスクロールしたところ)のほんの数件のみで、それでは申し訳ないと改めて読み始めたのがこの解説本。

題して「ルーマン・社会システム理論」。ゲオルク・クニール他著、新泉社刊。

難解な本ですが職場や社会の身近な風景に重ねながら何回か読み返しているうちに少しずつ霧が晴れ、よくできているような気もしつつ疑問もなお・・・
すっきりするにはもう少し時間がかかりそうですが、ルーマンは生命システムや人的なシステムにオートポイエース概念を導入した上で、

・こうしたシステムはシステムそれ自体とそれを取り巻く環境としてとらえることができるが・・・
・システムは環境からは何もインプットせず、それ自身で自己参照的に自己を再創出する閉鎖系・・・
・ただ環境を観察はしているし環境との間で構造的にカップリングはしているとも・・・

▼まずは閉鎖系と観察・・・
オートポイエーシスなシステムは環境からは何もインプットしないが、環境を観察し構造的なカップリングをしている・・・これって分かりにくいですよね。

ですがこれを勝手なイメージで例えると・・・街のうわさを観察して独自の文面を編集する新聞社のようなものなのかも?
紙面を埋め尽くす文章の源は自分自身が持っている過去記事や文脈を再生産したものであり、特定の情報源とリンクした記事では無い。うわさを参照しきっかけにはしているが鵜呑みではなく裏をとり、そしてなにより自身の文脈との整合性が前提。こうして文章を自己創出的に再生産するうちに文脈も変化し、結果として世相を反映したものとなるがそれが構造的カップリングということになるんでしょうか。

ほかにも読んでいるといろんなことが脳裏を横切ります。

▼脳と心・・・
ルーマンのオートポイエーシスでは脳神経システムと心的システムについても言及されていますが・・・この二つのシステムの関係を“▼心の哲学の心脳問題”に置換えると・・・両システムの間での因果関係は認めないとなるといわゆる「並行説」?あるいは相関的なカップリングはあるとすると「トークン同一説」??
でも心的システムは一方で社会システムともカップリングしているとなると、いつも脳神経と並行や同一というわけにもいかない・・・となると話は「心の外在説」にも波及する?

▼そしてコミュニケーション・・・
社会システムはいろんなコミュニケーションからなっていて、個々のコミュニケーションは環境にいくつかの心的システムが存在していることを前提としてはいるが、心的システム(意識)同士はコミュニケートしない。コミュニケーションのみがコミュニケートし社会システムを自己創出的に再構成するとのこと。

ここに「ルーマン・ハーバーマス論争」が出てくるのでしょうね・・・
ハーバーマスは心的システムと心的システムが間主観の会話で合意したものが社会システムの秩序となっていくと。これではルーマンとは折り合いがつきそうに無いですよね。

でもこの「ルーマン・ハーバーマス論争」、自分自身の日常に重ねてみるとおもしろい。私の中には何かを求めて執拗に会話を重ねたがるハーバーマスがいる。でも決して実らない会話に疲れ果て、やはり心的(意識)システム同士がコミュニケートするのは無理なのかと思った時ふとルーマンが脳裏をよぎるんですよね。

そしてこの話は会社の中でのA部門のaさんとB部門のbさんの会話を想定するとますますリアルになる。
aさんとbさんの心的(意識)システムがどんなに折り合いをつけようとも、それがAやBで構成される社会(業務)システムに関わるものである限りは「採否は別途あらためて」ということになるんですよね。(2010.2.24)
by c_mann3 | 2009-12-16 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

◆言葉はなぜ通じないのか・・・

この記事はひとつ上(にスクロールしたところ)の記事にも関連した話となりそうなのですが・・・

語っても語っても通じない会話を重ねる閉塞感・・・時折そんな感じもするせいなのか、ふらりと立ち寄った本屋で何気なく目にした本「言葉はなぜ通じないのか」を、タイトルに吸い寄せられるようにして買ってしまいました。

小浜逸郎著、先月出たばかりのPHS新書473。

ソシュール言語学と時枝誠記(始めて聞く名前でしたが・・・)の“言語過程説”の比較分析、そしてハイデカーの「存在と時間」といったものをベースに言語の仕組みや特徴が解きほぐされつつ話は進んでいくのですが、この本によると・・・

言葉は順序だてた説明を文法等の規範体系にのっとり音声で表出するもの。
ですが、会話は多少文法が間違っていたり単語を取り違えていても通じることがある反面、理路整然と万言を費やしても一歩も通じないこともある。どうやら会話は体や心の外に語られるべき客観的な何かがあって、あとはそれを文法に従い論理的に表現しさえすれば通じるといったものではない。

主語を重視し言葉をロゴスの表現と考える西欧。対して述語、形容詞を重視し驚きや感動を軸にイメージの世界を伝達しようとする日本語。
文化によって言葉に対する認識は違っても“会話が通じないときにロゴスをいくら整えても効果は無く、会話には情緒の共有と一致が不可欠”とのこと。

では会話が通じるための条件とは・・・

   ①語り手の迫真性やまじめさ
   ②生活の共有体験からくる信頼性
   ③事実と照らし合わせての納得
   ④聞き手の生活体験からみた、ありえる感じ
   ⑤言葉の働きを信じようとする善意

まずは⑤の言葉への善意・・・言葉を発し、受け入れ、言葉でつながっていこうという言葉への信頼感がなければ、文法を守っていても単語は引き裂かれ、ロジックを守ってはいても文脈は糸の切れた数珠のようにはじけて霧散する。

そして②③④、これは裏を返せばせっかくの事実や経験がどう理解されているかにかかっているということ。しかもそれは客観的というよりは実存的。数十年、夫婦や同僚として同じ風景を見、同じ事実に遭遇した歴史を共有していたとしてもその理解は同じではない。

ですがこの理解の不一致が言葉が通じない理由であるにもかかわらず、これを変えていくのもまた言葉でしかない。

言葉には物事を抽象化し、実体の無いものを実体化し、概念的なものを固定化したり流動化させたりする機能がある。
生活史が認識され記憶されるプロセスに働くのもこうした言葉の作用。そして認識の再編成もまた然りであり、自身の言葉であれ他の言葉であれ、言葉を意識の空間に投げ入れることでのみ変化は起こる。

あきらめずに会話を続けていれば、そのうちにどちらかの心境に変容が起こり、通じ合える(折り合いがつくと言ったほうが近いのかも)こともあるのだと・・・最後は妙な慰められかたをしてフィナーレを迎える不思議な説得力のある本でした。(2007.9.26)
by c_mann3 | 2009-12-14 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

◆組織を変える「仕掛け」・・・

完全なフェースツーフェースでいくら話しても通じないひとつの理由は単に感情的なものだけでなく、人それぞれの企業観や組織観が異なっているにもかかわらず、その折り合いをつけようとしない、つける手立てが不得手といったことにもある。その難題を組織的に解きほぐそうという本が出ています。

題して「組織を変える“仕掛け”」、高間邦男著、光文社新書368。

副題が“正解なき時代のリーダーシップとは”とあり、コンサルタント会社の方がお書きになった本だけに事例も生々しいのですが、それによると・・・

時代は工業化社会からネットワーク社会へと変遷し、組織を取り巻く環境もますますスピード化,複雑化、多様化を強めている。
これに対応するためには整然とした組織で一糸乱れずシンプルな目標を追求する機械論的な組織モデルではなく、得体の知れない環境に柔軟に適応していくための有機的な生物モデルが推奨されたりもしている。

そうしたなかで企業人が持つ組織観も変化が必要なのですが、一番の問題は変化へのキヤッチアップができていないなどといったことではない。
時代変化の過程で次々と生み出されるいろんな組織論やリーダーシップ論が組織の中でそのまま何重にも蓄積されて渦巻いていること、そのなかで一人一人は勝手なタイミングで何がしかの組織観に出会い,学び,かたくなにそれをよりどころとしていて折り合いがつきにくくなっていることが問題。一人一人が自分の見識が正しくて錦の御旗を持っているつもりでいる。それはもうスリコミにも近いものなのかもしれません。

早い話が・・・
“リーダーは明確な方針を示すべきだ”などという若者と、“自主自発を求める”リーダーがいて,それを取り囲む会社の制度的な枠組みが“デシジョン手続きの明確化や個人毎の成果主義”だったりしたら、ちょっと込み入った議論をすると幾重にも亀裂が走り収拾がつきにくいことは確か。なにしろどの立場にもそれを裏付ける理論書や成功事例は山のようにありますよね。

この本では、こんな状況下ではもはや単純なトップダウンやボトムアップでは折り合いがつかないということで、全職制、全階層の全員が一堂に会して折り合い点を探るホールシステムアプローチを勧めているのですが、そこでの議論の進め方は従来のギャップアプローチではなくそこそこの解を積み上げていくポジティブアプローチが適していて、人も組織も理想像に対する弱みを解消よりは強みを持ち寄り強化するのが得策なのだと・・・

とはいうものの結局のところは自身の組織観や認知は色々ある中でのone of themなのだとの自覚に立った上で話し合いの場につくことが大前提。
この本ではその前提を確保しながらもつれを解きほぐし、ホールシステムのミーティングを成功に導くためのいろんな仕掛けや心構えが書かれているのですが、いざ始めようとすると難しそうですよね。だからコンサルタント会社のナビゲーションが必要ということなのかもしれませんが・・・(2008.12.23)
by c_mann3 | 2009-12-12 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

◆感動本!「他人を□□す若者たち」

最近お目にかかった感動の本一冊。ちょっと勘違いを誘発しそうなタイトルだったので、あえて伏字を使いましたがこの本の原題は「他人を見下す若者たち」、講談社現代新書1827です。ですが近頃の若い者は・・・といった論調とはかけ離れた真摯な本です。
著者は名古屋大院教育発達科学の教授の速水敏彦さん。綿密な調査と論考を積み重ね、今に生きる日本人の心象を浮き彫りにしてくれています。

若者のうちから始まるある種の心の傾向が随分以前から見られ、結果として元若者である中高年に至るまで蔓延している。
それは他者蔑視をバネにした自己優越感。周りの人と比べてみるそうでもないことは一目瞭然なのですが・・・こうした人たちは身近な人と交流しない。比較しようにも情報が無く、馬鹿にしたとしてもハネッ返りの無い遠くの人を蔑視する。またそうすることで自分自身には自信が持てないことを覆い隠していく。著者はこうした客観的根拠に乏しい自己有能感を「仮想的有能感」と称していますが、これと自分自身への自信の程を表す「自尊感情」の二つの要素の強弱で四つの組み合わせがあるのだと・・・

全能型・・・仮想的有能感も自尊感情も高い
自尊型・・・仮想的有能感は高くないが自尊感情が高い
萎縮型・・・仮想的有能感も自尊感情も低い
仮想型・・・仮想的有能感が高いのに自尊感情が低い

この類型の世代間分布を色々な調査の結果で分析すると萎縮型、仮想型は若い人に多く、全能型は中高年に多いとのこと。
この本にはそれぞれが巻き起こす世相が余すことなく、くっきりと描かれています。

ところで・・・この本には仮想的有能感尺度を計るテスト問題が掲載されていて、ならば私もとやってみると、なんとかなり強度の全能型。よせばいいのにそれをつい口に出したばかりに、家族中から顰蹙を買ったりあきれられたりすることしきり。もちろん自身のことを全知全能などと思っているつもりはないのですが・・・若者の有能感と同じくその認識にどれだけ客観的な根拠があるものなのか、じっくり自省しなければ・・・私のような年代にはありがちなことといって済ますわけにも行かないですよね。

もっとも一見全能型に見える私にも積年のコンプレックスが潜んでいたりすると・・・実は若者と同じ仮想型だったりするのかも・・・

ですが、仮想的有能感とか全能感がいろいろな世代で蔓延しているとなると・・・これも会社の中の会話がからみにくく成果の乏しいものになっている一因なのではないかと思ったりもします。(2006.6.1)
by c_mann3 | 2009-12-10 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

◆他者蔑視と自己優越感・・・その愛国版

ここ数日、朝日新聞の一面で「愛国を歩く」と題したコラムが連載されていました。愛国心をテーマにした日中韓の若者たちのルポなのですが・・・

日本では今国論を二分、三分している靖国神社を訪れる若者が増えていて、「当然の参拝を他国からとやかく言われる筋合いはない。偉そうに言ったって中国はきっと後数年で経済破綻するに決まっている」と言った意見の若者が多くなっているとか。

他方中国では、日本人に接したことのない若者がインターネットで垣間見る断片的なニュースを肥大解釈し、軍国化する日本への憎悪をたぎらせているとか。こちらも同じく、「もうすぐ中国は日本を追い抜く。そうすればもう日本は二度と中国をキャッチアップできない」と・・・

コラムの一行一行を読んでいると、前掲(ひとつ上にスクロール)の記事で紹介していた本、「他人を見下す若者たち」を思い出してしまいました。


この本のモチーフは日本の若者に蔓延している“他者蔑視をバネにした自己優越感”だったのですが・・・それが今、愛国心の形で海を挟んだ両国の間でエスカレートし始めている。
他者が他国に置き換わり、自身が自国に同化して愛国心の形で表現され始めているのですが・・・構図はこの本に描かれたものとあまりにも相似。

インターネットで全てが分かっているつもりでも実は情報は断片的。もう少し幅広く立体的に情報を取り込み自己と他者を比較するならば、そうではないことが分かるはずの他者への蔑視と自己優越感・・・

あふれる情報の中で実は自分の都合で恐ろしく情報をトリミングし、つまみ食いしているのに・・・“ITを駆使して情報社会に生きている私”に情報の偏りなどあるはずがないと信じている・・・

こんな状態で出口を見出すことは難しい・・・ましてや自身で気づいて出口を見つけることはさらに難しいのかもしれません。(2006.8.25)
by c_mann3 | 2009-12-08 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

  ・・・次は・・・

      ◆次は「創造性の構造」について・・・⇒⇒


by C_MANN3 | 2009-12-01 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)