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◆◆知的生産のもつれとヒズミ◆◆

物を作る製造現場の「生産コスト」は極限まで低減され、海外生産と対抗してしのぎを削る時代となっていますが・・・スタッフが担う知的生産現場の例えば「デシジョンコスト(勝手に作った言葉ですが・・・意思決定や意見調整に費やす人的コストといった意味です)」についてはどの程度の進展があるのでしょうか。延々と会議や書類作りが続くデシジョンプロセスは、それを経なくとも“ちょっとしたリーダーシップや決断で一挙に片がついてしまう”といったことがありえます。これをコストと考えると生産性は一挙に百倍、千倍に向上したのと同じことです。

一方、知的生産の品質・・・それは知的生産の結果としてなされた企画やデシジョンがもたらす結果の妥当性ということになるんでしょうか・・・真っ当なプロセスを経て決定されたはずのものが、いざ実行してみると思わぬ結果を招いていく・・・よくある風景です。

知的生産の生産性と品質に影を落とすもの・・・それは議論のもつれ、意思決定のひずみ。ということで、しばらくはこのあたりの記事を書き連ねたいと思います。(2005.5.24)
by c_mann3 | 2010-02-20 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

◆知的生産、その生産性と品質

それなりに情報を集め、管理職が自己の責任においてもんもんと孤独な意思決定をし、決まったことを職務権限に基づき指令するとそれは必ず実行される・・・後は良くても悪くても結果責任を取ればよい。なんてことで仕事が進むのであればそれはそれですっきりするのですが・・・今のご時世、そうは行かない。
有効な展開をするためには関係者の合意形成が欠かせない。それ以前に決定の内容自体を安定した有意義なものとするためにも意思決定は孤独に勝手にというわけにはいかず、意思決定と合意形成が一体となったプロセスにそれなりの工夫がいる。

もちろんこの分野でも研究はいろいろと進んでいるわけですが、現実の企業組織での意思決定現場ではこうしたが成果がどの程度意識され反映されいるのだろうか・・・なんてことを思いながら、たまたま手元にあったハーバードビジネスレビュー(2002/1月号)の意思決定特集をながめていると、いろんな理論がわかりやすく紹介されているなかで、意思決定をする上でキーとなるいくつかの“対概念”がうかびあがってきます。

例えば・・・

●「演繹合理主義的アプローチ」と「経験合理主義的アプローチ」

意思決定に際しては、目的を明確に定義し、あらゆる選択肢を網羅し、評価の基準、尺度をはっきりさえすれば安定した合理的な意思決定ができるとする「演繹合理主義的アプローチ」。いわゆる数理科学的な意思決定論はこの代表格でしょう。
対して、人が取り扱う以上、すべての選択肢を網羅するなんてことは期待できないし、目的でさえそれほど明確には定義できない・・・合理性といってもいわゆる限定合理性が限度。その中で人は経験合理主義的なアプローチをしているのが実態であり、そこではヒューリスティックス的な手法が活躍している。
ところがヒューリスティックなアプローチではそのプロセスでいろんな形での「認知バイアス」がかかり決定をゆがめていく。しかし認知心理学などで明らかになっているバイアスの種類やかかり方を自覚し、意識的に逆バイアスをかけることで妥当性は高めうるとの期待がある。

●「イベント重視」と「プロセス重視」

イベント重視というのは、意思決定では“決定機関による決定会議”自体が大事ということ。その瞬間まではできるだけ秘密裏に準備し、一挙に決定機関を通し後は決まったことだからと押し切る日本型、本会議で決闘さながらの激論をし採決をとる英国型、形はいろいろでも決定の重要局面をイベントに求めるタイプ。
対してプロセス重視型は、決定のプロセスを公開し、議論を少しずつ修練させていき、本会議が始まるときはすでに合意形成も終わり形式的な手続きだけが残っている。

他にも「探求型」と「主張型」アプローチの対比等、いろいろ紹介されていますが・・・
実際の意思決定現場ではこうした対概念のウエイトが、場としての組織風土や登場人物のキャラクターとの兼ね合いで右に揺れたり左にねじれたり・・・結果としていろんな悲喜こもごものドラマや“もつれ”を生んでいるといった感じがしています。


・・・ということで次ページからは、会話や議論のもつれ、結果としての意思決定のヒズミと言ったことについての記事をいくつか・・・(2005.5.24)
by c_mann3 | 2010-02-18 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

◆ひずみ:マクナマラの数理学的意思決定

論理的、数理的な思考をすることで思い込みや誤謬を排した正しい結論が期待できるはずなのですが・・・


マクナラマ、この方は、近代アメリカにおいてもっとも「正しく思考し・・・」かつ、実行に移すことができた人かもしれません。
ハーバードビジネススクール出身、フォードの社長を経て、ケネディ政権の国防長官としてベトナム戦争を統括、その後世界銀行総裁となった輝かしい経歴の方です。
ORの専門家として経営、軍事戦略に直感、山勘を廃し、数理科学的な手法を導入することで、一時代を画した方ですが、さすがに要所、要所に味わい深いエピソードを残しています。

● まずはフォード社長時代
「晴れた日にはGMが見える」・・・だったと思うのですが・・・と題したフォードのドキュメンタリー小説で紹介されている彼の商品企画の指示は、全長**m、重量**トン、**馬力のエンジンを積んだトラックを年間***万台の規模で生産販売のこと、これでシェアは**%のはず!・・・といったもの。デザインコンセプトも、商品戦略もノーコメント。おそらくあらゆるデータを投入し、ORで最適計算を行った結果の指示だったのでしょうが・・・受け取った開発部門は???
いろんな場面でこうしたことが続き、フォードは低迷の時期を余儀なくされていきます。

● やがて国防長官としてベトナム戦争を統括
ORはもともと軍事戦略の世界を対象に生まれたものです。水を得た魚とばかりに威力を発揮。すべてが数値化され、地上軍は一人がマシンガンの弾3000発と等価、部隊は初期人員と損耗率のパラメータに集約され、巨大コンピュータで処理されることで資源投入計画として吐き出される。そこにあるのは数字の羅列、ですが現実の現場は後に“地獄の黙示録”と題されるほどの修羅場が延々と続く世界。戦争が終結しても後遺症は今なお残ります。

● そして晩年
回顧録でなんと“ベトナム戦争は間違いだった。すべきではなかった。”と発言し、ベトナムの戦歴のつわもの達を唖然とさせ、米国の軍人遺族の団体を激怒させたのはついこの間のことでした。

彼は真摯に勉学に励み、結果を請われその成果である数理科学的手法を経営、軍事の世界に駆使して直感、思い込みを廃し、正しく思考し、それを行動に移す権力の座に着いた稀有の人材でした。ですがその彼が残したものは累々とした犠牲・・・そして後遺症・・・

「正しく思考すること・・・」、そのよりどころとして誤謬の入りにくい数理科学的な手続き、そして論理性を重んじること・・・それっていったい何なのですか???(2005.5.24)
by c_mann3 | 2010-02-16 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

◆もつれ:マクナマラ、もうひとつの逸話

実は、20代のころの私は「数理科学的意思決定論」にあこがれる、純朴な若者でした。
いろんな人のとんでもない直感、山勘で大事なことが決まっていくことを目の当たりにし、そこから抜け出し合理的に意思決定をするために、数理科学的であることに光明を見出そうとしていたのかもしれません。

ですから、以下に紹介する“もうひとつのエピソード”を耳にしたときも思ったことは“なるほど、面白い”といったものでした・・・・ですが、それから10年、20年・・・ここに数理科学的な意思決定論を扱う際のとんでもない思い違いがあると・・・だんだん思うようになったという次第です。

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それは・・・国防長官マクナマラが毎年国防予算の会議で繰り返される将軍たちの勝手な自己主張、分捕り合戦の議論に手を焼いたのかどうか、何と過去数年間の予算決定で議論された因子を分析することでそれと決定結果の間の回帰式を作り、“将軍がいなくても将軍と同等の高度な意思決定は可能”とばかりに数式主導で予算配分をしたとか、しようとしたとかいった内容のエピソードでした。

思い入れの塊のような居並ぶ将軍を数式で黙らせるマクナマラ!さすが、かっこいい・・・と当時は思ったのですが・・・これって人の議論の回避、人そのものでなければできない心の中に少しずつ芽生える状況変化への思いといった情報のそぎ落としってことなんですよね。

数理科学的であることを指向する人のすべてがそうだとは言いませんが、そうした人たちの心のどこかに、面倒な議論を避け、機械的で効率的に解を求める、そしてそれを科学的合理性のある手法なんだと言って終わらせてしまう何かを感じることがあります。
意思決定のプロセスは数式、結果は決定機関で“これが合理的な最適解なんだ”と押し切って強制執行に入っていく・・・これって一歩間違えば、数式独裁主義?
そういえは“科学的社会主義”とかを標榜し、国家計画局ゴスプランが人、物、金のすべてを最適決定していた一党独裁の超大国は崩壊したんですよね。

・・・じゃー立派な人たちが議論を尽くすと数理科学的よりは安全確実か?・・・これがまた、実は一筋縄ではいかない。という話は、数個先の「集団的浅慮」のページで。(2005.5.24)
by c_mann3 | 2010-02-14 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

◆マクナマラについて・・・追記

初めてお読みいただく方は、二つほど上の記事からお目通しいただきたいのですが・・・

(以下は2003/7/ 6記)
今日付けの朝日新聞書評欄でマクナマラを見つけました。

彼が“ベトナム戦争はすべきではなかった”と言ったという話・・・実は私は彼がベトナムを訪れ、かつてのベトナムの将軍たちと歴史検証の討議をするテレビのドキュメンタリー番組を見た印象で書いていたのですが・・・

ご自身が一連の歴史検証の経緯と討議内容を本にまとめておられるようです。
題して、「果てしなき論争(ベトナム戦争の悲劇を繰り返さないために)」、共同通信社。Robert S. McNamara著。書評欄によると概要は・・・

★一貫して自らに理がると過信し、誤った情報、誤った計算、誤った判断によって決定をゆがめ、平和的解決の機会を逃し続けた。
★誤解、無理解の螺旋階段を幾度となく転げ落ちたがゆえに悲劇は繰り返された。
★マクナマラ曰く。「私が大変悲劇的だと思うのは両者が歩み寄り不可能なものではなかったという事実・・・ それぞれの条件を紙に書いて比べてみると歩み寄りが可能だったことに気づかずにはおれません。 ・・・ですが、どちらもこれが相手の最低条件だとは、理解しなかったし、信じなかった」

当事者がここまで率直にあっさりと非を認めるのもすごいですが・・・これを糧として今日も繰り返されている“同じ間違いの意思決定、合意形成”を軌道修正するメカニズムを形成できるかどうか、それが問題です。

こんな本が日本でも米国でも本屋でうずたかく積み上げられ話題になっている同じ空の下で、今日もいろんなことが決まっていく。日本ではほとんど何の混乱もなく、自衛隊をイラクに派遣する特別措置法案が衆院を通過しました。(2005.3.7)
by c_mann3 | 2010-02-12 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

◆ミスリード・・・

ベトナム戦争のマクナマラ、イラク戦争のブッシュ・・・・

ミスリードする人が馬鹿や阿呆なら反論、異論もまとまるのでしょうが・・・困ったことにマクナマラにしろ、ブッシュにしろ、生まれて以来勉学に励み、思惟を重ね、人格を磨き・・・乞われて推されて人を動かす地位に着き、最善の知性や信念でリードしてミスをする。

しかも米国ほどの大国が一人や二人の思いで動くはずもなく・・・だとすると彼らの主張は回りの人たちの集団の思いとして合意され,支持されて時代をとんでもない方向に導いていく・・・しかも、そうそうたるメンバーによって。

ですが、国家レベルのミスリードは犠牲も大きいですが、変な話・・・話題にもなり、分析もされ、糾弾もされる。
ところがこれと類似のミスリード、それによりねじれていく人生というものは、誰の目にも触れず、話題にさえならない形で会社の中、家庭の中で無数に起こっている。しかもその当事者はマクナマラやブッシュにひけをとらないほどの知性、人格の持ち主であることも少なくない。
もしかしたら・・・被害はこちらのほうが深刻なのかもしれません。

こんなことを考えると知識そのものの確かさといったことではなく、知識を取り扱う「人」と知識とのかかわり、異論、賛同を唱える人とのかかわりといったことにどうしても興味が行ってしまいます。

それにしても・・・マクナマラのような人たちの経歴や、遍歴を見ていますと・・・“人”と“その人が身につけてしまった知識や信念”と“社会”が織り成す相互作用、それによって捩れたり解きほぐれたりを繰り返す歴史といったことを感じますよね。
そして歴史が語りかけるもの・・・それは人が身につける知性への責任といったことなのかもしれません。 (2005.3.7)
by c_mann3 | 2010-02-10 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

◆もつれ:悪魔の代理人、仮想敵の攻撃

「集団的浅慮(group think)」という現象が問題視されているように、集団で行う意思決定でいかにして安定性、有効性を確保するかは、組織心理学の重要課題です。

「集団的浅慮」とは、たとえば、ベトナム戦争での北爆決定のように極めて優秀なはずの集団が全会一致でとんでもない決定をしてしまうことを称した言葉ですが・・・これ避ける方策としていろいろなことが提案され、実験確認がなされているようです。

で、その中で興味をひくのが、「悪魔の代理人(devil's advocate approach)」と、「仮想敵からの攻撃(potenntial enemy approach)」というものです。

まず「悪魔の代理人」・・・これは、いったん合意が得られた段階で、一人の「悪魔の代理人」を選定し、この人がなんだかんだと異論、反論をぶつける形での再討議をするといったやり方です。悪魔役は輪番制で選ぶとあります。

「仮想敵からの攻撃」・・・これは、合意が得られた段階で、全員がそのチームと敵対する仮想集団になったつもりで、先ほど自分達が作った合意を攻撃、再吟味するものです。

いずれの方法も集団が妙にまとまってしまって議論の非論理性や非倫理性に目をつぶる、異論を出すことを自制する、見せ掛けの全員一致を正しさの拠りどころにしてしまうといったことを打破するために、集団の中に一定のコンフリクトを作り出そうとしていることが特徴です。

企業組織に身をおいて、いろんな意思決定場面を見てきた経験に照らしても、いずれも“なるほどそれもいいのかも”と思い当たることが多いものですが・・・運営を誤ると将来に向けての協力体制やチームの凝集性を損なうとも・・・

こうした後遺症を残さないためにいろいろ工夫することがポイントで、「悪魔の代理人」では輪番制をとる、「仮想敵からの攻撃」では全員が仮想敵になるというのもこのための配慮なのでしょうか。

ところでこの悪魔の代理人、こうした理論を踏まえて意図的に演じるからこそ効果があるのでしょうが・・・現実の集団では、なぜかいつも決まった人が異論を唱える、強圧的なリーダーシップを発揮する人がいる・・・そしてその役割関係が時間とともに定着し、チームの凝集性というよりはあきらめ意識が蔓延するといったことになりやすい感じもします。
つまり悪魔の代理人ならぬ、悪魔そのものの出現ですよね。

安定した集団の意思決定を行うためには、こういったことをコントロールする、できるといった配慮が大事なようです。(2005.2.24)
 
by c_mann3 | 2010-02-08 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

  ・・・次は・・・

      ◆次は「認知バイアス」等について・・・⇒⇒


by C_MANN3 | 2010-02-01 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)