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◆◆企業の存在意義◆◆

米国流に言うと株主利益、日本では利潤追求、これが企業の目的、存在意義ということになっていますよね。

ですが、ちょっと横道にそれて・・・

企業人は常にこれを念頭に行動し、あらゆるデシジョンはこの目的の最大達成をめざして行われる。こんな風に教えられてきたはずなのに、
・・・そうじゃない!企業人はそんなことを第一目的には行動していない、という衝撃的な本に出会ったのは30年前でした。
J.K ガルブレイスが、1967年、「新産業国家」の中で展開していたものは、米国の大企業はテクノクラートが支配しており、彼らは常に自分の支配権(独自の計画立案執行権)が持続的に最大になることを目指す。利潤低下は株主の介入を招き、自分の支配権が損なわれるため、条件として守るものであって目的ではない・・・といったことでした。
実はこの本は巨大な産軍複合体等を分析した本で言いたいことはもっと他にもあったようですが、私にとってはその後、企業の行動目的といったことに興味を持つ強烈なきっかけになりました。

で、本題に戻して・・・

いわゆる創業者といわれる人たちの創業目的って、決して利潤追求じゃないですよね。
松下、ソニー、ホンダ、それぞれではあるが、少なくとも利潤追求は第一目的ではない。
その創業目的が行動指針として、いかに社員に共有されているかが、結果としての利益率や成長に影響する、そういう感じがします。

またしても“プロジェクトX”ネタで恐縮ですが・・・
米国でマスキー法が審議され、ビッグスリーがクリーンエンジンは技術的に不可能と突っ張っていたころ・・・ホンダでは研究所の若い人たちが小さな子供のいる家庭生活を放棄し、ほとんど連日止まりこみの状態でがんばっていました。
そこで所員を集めて檄を飛ばした本田宗一郎氏。感謝、激励、いろいろ込めてのことだったのでしょうが、「がんばってくれ、これで会社は飛躍する」と・・・ところが若い人たちの反応は・・・「おやじにそんな風に言ってほしくなかった。われわれは会社のためじゃなく、子供たちに青い空を取り戻すためにやっているんだ」。この話をきっかけにプロジェクトは成功するが、宗一郎氏は研究所に近寄らなくなり、やがて引退を発表。

こんなエピソードを聞きますと、“企業の目的が利潤の追求で、それは社員にも社会にも同意されている”ということが、どこまで実態としての意味を持っているのか疑問を感じてしまいます。
長引く景気低迷の中で「利潤追求説」はリアリティがあるようにも見えますが、本当のところ、実態として追求されている目的は何なのでしょうか・・・(2005.2.16)
by C_MANN3 | 2010-10-20 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

◆企業の存在意義:創世記神話

松下、ソニー、ホンダ、それぞれではあるが、いわゆる創業者といわれる人たちの創業目的は、決して利潤追求じゃない・・・
こうした会社の話を聞いていると、なぜか「創世記神話」といった言葉を思い浮かべてしまうのですが、これって「アドラー心理学」で言う「早期回想」なのかもしれません。

「早期回想」、それは自覚し思い出せる最も古い部類の思い出。今の何がしかの障害の原因究明といった見方ではなく、今生きている自分の心の支えになっているバックボーンといった観点での思い出ということのようですね。しかもそれは必ずしも事実である必要はなく、そう自覚していることがポイントとアドラー心理学では言われているようです。

ということで以下は勝手な連想ですが、アドラーの個人心理学を集団、社会心理に置き換えてみますと・・・

どの民族にも何がしかの「創世記神話」というものがありますよね。それが史実に基づくかどうかは別として、ことあるたびに話題になり、語り継がれ、時には民族の心の支えになったりもする創世記神話。またソニーやホンダに見られる「創業時代の神話や語り草」といったものは、今日もなお、会社の行動に強く作用し未来形成のバックボーンとなっているといった感じがありますが、もしかしたらこれが「早期回想」の意味や、価値というものではと思ったりしました。

繰り返し語り継ぎ、心の中で反芻するうちにどんどん洗練され、美化され、メッセージ性を強め、生きる指針として強く作用し始める・・・この言葉にはそんなニュアンスも含まれているような気がするのですが・・・(2005.2.16)
by C_MANN3 | 2010-10-18 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

◆企業の存在意義:そのアイデンティティ

企業は何のために存在し、何を目指しているのか。

所詮は金のため、いや自己実現の場、社会貢献、そんなことより職場が楽しくなくてはと、意見はいろいろ。
いろんな意見の社員を抱えた企業は、意識、無意識にいろんな気持ちを抱えこみ、統制がとれているようでそうでもない個人に似ています。

いろんな気持ちが渦巻いているから(企業ではいろんな社員の気持ちが集まっているから)、ふだんは良くても何かのきっかけでとんでもない揉め事を起こす、その場その場でいろんな面が出て周りを戸惑わせる。
だからこそ安定した自我、アイデンティティの確立が必要ということになります。

しっかりしたアイデンティティには個人も企業も他とは違う独自性、そこから生まれる自負心、と同時に周りとも共有できる普遍性、昨日も明日も、場面が変わっても変わらない安定性、そう自分で思えて回りからも同じように理解されてコミュニケートできる共感性といったいろんな成分が必要です。

そして確立したアイデンティティをミッションとして共有することで行動のよりどころとするのがいわゆるミッション・マネージメントということになります。

 “ここはどんな会社で何をしようとしているのか、また将来どんな会社になりたいのかといったことや、会社として背負うと決意した使命、夢、価値観などを明文化し、内外に示す。
そうすることで何か判断に困った時や迷った時には、いつもこのミッションに戻り、正しい判断と行動ができる。
外に向かっても宣言することで社会もそうした期待を持つし、それを裏切れない。”

これがミッション・マネージメントの姿ということですが、だとしたら企業としてのアイデンティティの中核に何をおくか、
結局まとまりが良いのは「創世記神話」から取ったモチーフとか、社会的使命といったことになるようです。

ここに「利潤追求」がでてこないのは、実はこれが日常の行動指針、迷ったときの判断材料としては使いにくいからではないでしょうか。
“今度の新製品のデザインをどの案にしようか”、“今日届いたクレームにどう対応しようか”、いろんな場面を想定したときとっさの判断材料としては役に立たない、下手をすると長期的に見ると逆効果の行動を誘発する可能性すらある・・・ということなんだと思います。(2005.2.16)
by C_MANN3 | 2010-10-16 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

◆企業の存在意義:手段と目的の循環

企業の目的は“利潤の追求”ではない!と言ってしまうと、じゃあ何だ、ということになりますが・・・これが意外に難問のようです。前述のJ.K.ガルブレイスが「新産業国家」で展開していたテクノクラートの“計画権、執行権の最大化”は、メンバーの行動理念であって企業の目的ではない。ではこのメンバーが最大化された“計画権、執行権”をもってなそうとしたことは何なのか。

自身の地位の保全といってしまえば話はそこで終わってしまう。ガルブレイスは事例として巨大な“軍産共同体”のテクノクラートを問題にしたのですが・・・彼らが目指したものが戦争ではなく、戦争という名の市場確保だったとしたら・・・話は死の商人としての利潤の極大化といったところに帰ってしまう。あるいは戦場でしか確認も消耗もできないハイテク機器の開発競争で勝ち続けることが目的だったとしたら、手段であるはずの技術の自己目的化に同化してしまっているということなんでしょうか。


一方、ホンダの若い人の“青い空を子供に”というのは、今で言う“技術開発を通じての社会貢献”ということでしょうか。これなら企業目的としても納まりがいい・・・。ですが、“技術開発を通じての社会貢献”という企業活動を繰り返し繰り返し行い続けるためにはその開発に成功し、市場と利潤を得、次の開発への原資を確保することが必要です。

開発好きの創業者本田宗一郎氏が「がんばってくれ、これが成功すれば・・・」といったのは、若い人たちには通じなかったのかもしれませんが・・・この循環を続けるためには!といったことだったのかもしれません。


こんなことを考えていきますと・・・
市場とか社会の中で生き続ける企業の手段と目的の循環といった構図が浮かんできます。
市場を確保し利潤を上げることが、経営権(計画権、執行権・・・意味は同じです)の継続につながる。経営権が継続すればこそ企業の目的が追及できる。この循環のどこかにスポットライトを当てて目的と捉えることで、残りはつなぎの手段の地位に後退する。

利潤が目的とするなら、行為は極端な場合“死の商人”でもいい。技術開発が目的なら原資としての利潤は前提条件であり、場合によっては国の予算のぶん取りでもかまわない。何らかの社会貢献が目的なら、技術開発のテーマ選択には制約がかかる。
あるいは組織や従業員の保全こそ大事と捕らえる人には企業の目的は“存続すること”、すなわち循環の継続自体に意義があるということになるのかもしれません。
この“存続すること”というのは一見消極的な感じがしますが、実は企業にとってというだけではなく、いったん出してしまった商品やサービスが安心して利用し続けられるという意味では市場にとっても重要な要件です。


・・・とすると目的と手段は循環していてどのポイントを強調するかは単なる表現の問題となってしまうのですが・・・やっぱり企業は利潤を原資に循環しつつけて当たり前、それは前提条件、ということになると・・・そういう条件を満たしつつ“どういう理念に基づいてどんな商品やサービスを市場に提供するか”、そして“この理念は提供する商品やサービスと整合性があるか”・・・といった話に戻ってしまうのかも。

・・・う~ん・・・とうとう文章までが堂々巡りの循環モードに入ってしまったようです。(2005.2.16)
by C_MANN3 | 2010-10-14 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

◆企業の存在意義:日本型経営の源流

企業の目的、それは利潤追求か否か・・・なんてことを大上段に振りかざし「企業の存在意義:手段と目的の循環」と言ったメッセージを書いたばっかりに、文章も思いも出口のない循環プロセスに入ってしまいましたが・・・
企業理念にかかわる新旧二つの本を紹介することで循環プロセスから抜け出したいと思います。

●日本型経営の源流

ここに一冊の本があります。とんでもなく古い本ですが・・・
「日本型経営の源流」、森川英正著、1973年、東洋経済新報社刊。副題は“経営ナショナリズムの企業理念”です。

曰く、企業活動と、利潤追求は同義である。したがって企業の活動目的が利潤追求であるというのは、“同義反復”であり、論理として意味をなさない!ということで明治、大正、昭和と続く企業の群像を経営理念のケーススタディとして分析した本です。

江戸期、幕末と財を成した人たちが家業から出発して、経営ナショナリズム、技術ナショナリズムに燃え産業自立の国益志向へと大きく舵を切っていくプロセス・・・川上から川下へ、あるいはその逆へと一気通貫を目指して進む多角化の道・・・その過程のどの部分を見てもリスキー極まりない茨の道。官営払い下げ、国家保護というと聞こえはいいが、火をつけるだけつけておいて後は押し付けられ、一歩間違うと列強諸国の進入に押しつぶされて私財を失うかもしれない中で奮戦するしかない。

明治に始まったこの風景は敗戦の荒野を挟んで百年にわたって続きます。
そして到達したGDP世界第二位の地位。貿易が自由化されればビッグスリーや巨人IBMの前にひとたまりも無いといわれていたはずの、自動車産業もコンピュータ産業もいざふたを開けてみると強かに健在。
追いつき追い越せでついに世界の頂点に立ち経営ナショナリズムが意味を失ったとき、実はもうひとつの基調低音として流れていた経営家族主義が受け皿になれればまだしも良かったのですが・・・
公害問題に見られたように閉鎖的な企業内家族主義への不信が高まる中でそれもままならず・・・、この本は昭和40年代のそうした理念喪失の中で書かれた篤き本でした。

財閥というと政商がらみの利権と利益の権化、従う従業員は滅私奉公・・・といったステレオタイプのイメージでは捉えきれない企業人の世界が余すことなく描かれた一冊です。

経営者といわず、従業員といわず・・・この先人たちを茨の道に駆り立てた動因はいったい何なのでしょうか・・・

三井財閥が鉄鋼に進出する際、MIT帰りの団琢磨が三井総領家を口説いたせりふがすごい。「鉄は苦しい事業だが、あなたの子孫が鉄で苦しむのはいいことだ。国家的に有用で困難な事業をやっていないと人間は馬鹿になる」・・・と。
少なくとも、単なる営利目的にはほど遠い世界であったことは確かです。(2005.2.16)
by C_MANN3 | 2010-10-12 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(5)

◆企業の存在意義:日本の優秀企業研究

前掲の「日本型経営の源流」から30年、バブルがはじけ、延々と続く低迷と閉塞感の中で、なぜか超然と輝くいくつかの「日本の優秀企業」。その特徴を綿密なインタビューで抽出した味わい深い本がベストセラーになっています。

●日本の優秀企業研究

題して「日本の優秀企業研究」、新原浩朗著、2003年、日本経済新聞社刊。副題は“企業経営の原点 6つの条件”です。

収益性・安全性・成長性を尺度として選びぬいた「優秀企業」10社の特質を聞き取りやアンケートで抽出し、優秀企業の6条件としてまとめたものですが、結果はがっくり来るほど当たり前、それで居て奇妙に新鮮な響きを帯びています。

曰く、優秀企業の特徴は「自分たちが分かる事業を、やたら広げずに、愚直に、まじめに自分たちの頭できちんと考え抜き、情熱をもって取り組んでいる企業」であり、「ITやバイオなど先端業界」で「国際競争にさらされる分野」に偏在しているわけでも、米国式の経営手法を導入している企業に限られるわけでもない・・・というものです。

抽出された六つの条件は列記すると・・・
 ①分からないことは分けること
 ②自分の頭で考えて考えて考え抜くこと
 ③客観的に眺め不合理な点を見つけられること
 ④危機を持って企業のチャンスに転化すること
 ⑤身の丈にあった成長を図り、事業リスクを直視すること
 ⑥世のため人のためという自発性の企業文化を埋め込んでいること

ということなんですが、企業目的が利潤追求か否かという点については、上記⑥の章できっぱりと、
「目的が継続的社会貢献、手段が(そのために必要な)利益」と書かれていて、こんなフレーズを読んでいると“なるほど!”と賛同したくなるとともに、30年前に書かれた「日本型経営の源流」にオーバーラップするものを感じてしまいます。

もうひとつ、著者は「米国式」経営の「形」を導入することは必須ではないし、わが国でいわゆる「米国式」といわれているものは実際の米国の優秀企業の像とは異っている。米国優秀企業の像も、むしろこの本で抽出した日本の優秀企業の像に近いのではないかとも述べておられます。

実は私もよく似た印象を持っているのですが・・・

(以下は蛇足で)私がひょっと思いついた台詞で、よく口にするのですが誰からも相手にしてもらえない冗談をひとつ・・・
“もしかしたら成果主義とか金銭的インセンティブといった米国流の経営手法というのは、日本の企業力をじりじりと弱らせるためにCIAかどこかが巧妙に仕組んでいろんなチャンネルで流している近代経営理論を装ったプロパガンダじゃないか???”などと思うことがあるんですが・・・(2005.2.16)
by C_MANN3 | 2010-10-10 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)

  ・・・次は・・・

      ◆次は「会社はだれのものか」等について・・・⇒⇒


by C_MANN3 | 2010-10-01 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)