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◆◆質的研究法・・・◆◆

「質的研究法」・・・心理学とか、民俗学等のフィールドワークの領域で質的研究法と称されるアプローチが注目されているようです。
不思議な響きを持った言葉なのですが・・・「量的」に対する「質的」、「定量的分析」に対して「定性的分析」ということなんでしょうか。
通常は、まず定性的な分析の段階があり、やがて定量的、数理的な分析が可能となって精緻なものとなっていくはずのものなのですが・・・あえて「質的研究法」と旗印をあげるということは、定量的分析への単なる通過点といった姿勢以上に、もっと強い、安易な定量的、数理的アプローチへのアンチテーゼといったニュアンスを感じます。

コンピュータの発達と相まって統計的な手法とかシミュレーションとかが容易に利用できる現在、何かにアプローチしようとするとき、大量のサンプルから主観を排すると称して機械的にデータを収集し、処理はコンピュータにまかせて「データをもって語らしめる」ことで一件落着といったことが多いような印象はあります。

ですが・・・例えば心理学的に分析したい課題を前にして、何をしたい、どうもっていきたいという戦略は「質的」なものです。それを前提に高速処理するものが「量的数理処理」であるはずです。
誤解を恐れずに言うとアルゴリズムの決まった「量的数理処理」に乗っかった瞬間、乗せたその人の心理学的見識や知性は休憩に入ります。でひたすら間違いのない処理を機械的に進め、計算結果が出たところで再び“その答えを受け入れるか?違和感はないか?条件を変えた再計算は、処理自体の変更は不要か?”といった、すぐれて心理学的感性の要求される本来の仕事に戻るはずのもの。この行為をなおざりにしてジョブは完了しないはず・・・そしてこの部分を鍛えるのが質的研究法・・・そう考えると質的研究法の存在意義が安易な数理処理への警鐘として浮かび上がってくる・・・とまでいうと考えすぎ、言い過ぎってことになるんでしょうか。

よく似た話に「意思決定」とか「課題解決」の世界で数理的アプローチに対して議論される「ヒューリスティクス」というのがありますよね。これは人としての知力、感性が強く必要とされるアプローチであり、量的研究法が身動き取れない場面でもそれなりに効果を発揮するにもかかわらず、もともと感性的なものを前提にしていることもあって説明しにくい、教えにくい、アカデミックな扱いをしてもらえない、でも大事。・・・なんとなく質的研究法によく似ている感じがします。(2005.3.21)
by c_mann3 | 2011-10-20 00:00 | クオリアとか進化論など | Comments(0)

◆「質的研究法」、そういえば・・・

●そういえば、昔、2~30年も前のことになりますが・・・

ひょっと立ち寄った本屋で「なんとか心理学学会誌」のバックナンバーをおいているところがあって、ぱらぱらめくってみたのですが・・・唖然として本棚に返してしまったことがありました。

応用だったか、教育だったかそんな名前の付いた心理学会の会誌か機関誌だったようなのですが、どの論文も前書きと後書きの数行以外はぎっしりと統計検定の表が並び、なぜか決まったようにパーセンタイルのグラフがついていて・・・これのどこが心理学かとガックリした記憶があります。

掘り下げ、構造を浮かび上がらせ、新たな知見を立体的につかむことが研究の目的だとすると・・・数理的であることは手段に過ぎない。手段がいくら緻密でも・・・などとは思いますが、昔と違って最近は良い方向に向かっているんでしょうか。
「質的研究法」って言葉に新鮮な魅力を感じるってのも変な話ですよね。

●そういえば、ピアジェは・・・

心理学の掲示板などで「アンケートに協力お願い」と言ったコメントがよく出てきますが、おそらく仮説もフレームも持たずにアンケートを集めて分析とは名ばかりの集計をして終わり。
心理学は統計学でも数学でもないですよね。必須のツールではあってもそのもの自体ではない。
統計処理するために無理やり数を集める。それに一番手っ取り早いのがメールで集めるアンケートって事なんでしょうが・・・数ではなく、たとえ一個の観察対象でも徹底的に掘り起こすって訓練も必要ですよね。

ピアジェが自分の子供たった一人を観察しただけで発達心理学の体系を作ってしまったという話を聞いたことがありますが、私はありえる話、おもしろい逸話だと思っています。

もっとも、ならば私もとわが子を見つめてはみたのですが・・・わかったことは“やっぱりピアジェにはなれない”ということだけでした。
もしかして「質的研究法」とかの素養があればもう少し何かが得られたのかも・・・

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(以下、2005.3.21追記)
ピアジェについて上記のような思い出話を書いていたのですが・・・学術的にもピアジェと質的研究法の関連に言及しているものがあるようです。
以下は、岡山大学のサイトですが、ここの末尾に関連した記載が見られます。ただし引用でオリジナルは「現場心理学の発想」、やまだようこ著、新曜社1997のようです。

http://www.okayama-u.ac.jp/user/le/psycho/member/hase/education/2003/_3seminar/observasion4.html
 この記事には現在リンクがつながりません。 

by c_mann3 | 2011-10-18 00:00 | クオリアとか進化論など | Comments(0)

◆質的研究法・・・いろんなサイトが

どうやら「質的研究法」という言葉の響きに日ごろの悶々とした思いが反応してしまい、思いっきり感情移入をしてしまって勝手なことを書き連ねているかもしれないと、いろいろ裏づけを探していて、いくつかのホームページに出会いました。

●まずは北海道のお医者さんらしい方のサイトですが・・・
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/4688/

題して「質的研究の広場」、穏やかですが熱のこもった文体で、質的研究の背景、主観と客観の関係、方法論の枠組み、さらに研究の実際といったことが解説されていてすごく参考になりました。
・質的研究は客観を否定しているのではなく、主観の重要性を主張し、積極的に活用している。
・主観的でない客観なんてそうそうはお目にかかれない。客観は主観の延長線上に見え隠れするもの。
・調査者の理論的感受性が大事。サンプリングデータは集めて一斉に分析ではなく、集まるにつれて分析を重ね理論的飽和状態へと接近していくもの

・・・といった味わい深いフレーズが満載のお勧めサイトです。


●もうひとつ、これは早稲田大学の方のサイト・・・
http://chiharu.cside4.jp/research/paper/2001/okamoto-kaken01.html

実はこのサイト、現在つながりません。ですが感動的な内容だったので、手元のコピーをベースに要旨を紹介させていただきますと・・・

このサイトの主張はストレートで、ある意味過激です。(以下、箇条書き部は、原文のまま無断転載)
まず、質的研究法には次の3つの側面があると解説し・・・
 1) 仮説検証の前段階としての、仮説発見のための方法
 2) 仮説検証において、量的研究法ではとらえきれない部分を補うもの
 3) そもそも仮説検証(実証主義)を超えた研究のためのひとつの方法とあり

3)の仮説検証を超えた研究については・・・
 ・科学の方法論とは、世界の構成の仕方である。そこでは仮説検証は絶対ではない。
 ・複数の世界の構成の仕方があるときに、その有用性によって支持の多寡が決まる。
 ・仮説検証は、理論の有用性を訴えるときに、表現力を与えるためのレトリックになりうる。

と解説されているんですが・・・“実証主義で積み上げたロジックも結局はレトリックの一種”とも読める表現に出くわすと、思わず拍手!うれしくなってしまいまいました。


●さらにもうひとつのおもしろいサイトを・・・山口大学教育学部、関口研究室のホームページ「数学教育のための質的研究法講座」です。
http://web.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~ysekigch/qualmtd.html

“グラウンデッド・セオリー・アプローチ”の解説とか、参考になるものが多いのですが・・・おもしろいのは“各論編:質的研究論文の評価”の部分です。これを読むと質的研究の輪郭が浮かび上がってきますが、こんな資料があるってことは・・・質的研究というのは研究の“質”をそろえるのが大変ということなのかも・・・ (2007.5.12 リンクアドレス変更)
by c_mann3 | 2011-10-18 00:00 | クオリアとか進化論など | Comments(0)

◆質的研究法・・・ついに学会が

質的研究法・・・素人がいろいろと雑感を述べてきましたが、昨年学会が発足したようです。「日本質的心理学会」、第1回の発足大会は9月11日に京都でということで概要は下記のサイトです。
http://www.educ.kyoto-u.ac.jp/develop/QP1.htm
 このサイトには現在リンクがつながりません。 

学会名の頭の「日」を取ると「本質的心理学会」・・・なんてことを思うと、思わず成果を期待したくなりますよね。

ところでこの大会のシンポジューム招待講演では「質的研究の方法論」と題して川喜田二郎さんのKJ法が演題となったようです。

KJ法・・・これって、フィールドワークの領域から出てきた手法なので質的研究の話によく出てきますよね。ですがかなり以前からいろいろな企業で集団発想法の一種としても信奉者の多い手法です。

KJ法はどう見ても定量的でもないし、決まった手順を踏むと決まった答えが出るという意味での論理性もないですよね。

この方法は事実を文章で(定性的に)書き連ねたカードを無心にくっつけたり離したり・・・そうしてなんとなく出来上がったカードの島にこれまた心の中から湧き上がるフレーズでラベルをつけ・・・それをまたくっつけたり離したりしてさらに大きな島にラベルをつけ・・・
こんなプロセスを経て、カードの集合体が持つ構造がだんだん浮かび上がってくる、ということなんでしょうが・・・
集団でやらずにこれを一人でやると(私なんかいつも一人でやってますが)、ひたすら書いたり消したり・・・落書きの世界なんですよね。

KJ法がある種、質的研究の本質に近いとすると・・・やっぱり質的研究は、定性的で、試行錯誤的で、モデル構築の前段階に強く、非論理的でエモーショナルな手法ってことになる感じですね。

“KJ法はどう見ても落書きごっこ”ってことがよくわかるホームページを見つけました。

http://www2.bii.ne.jp/~manda39/2tieF/4aideaF/kj.html#kjAn
このサイトには現在リンクがつながりません。 

書いたり消したり・・・無心に繰り返される落書きの世界。やっぱりこの辺りが質的研究法の本質なのかもしれません。(2005.3.21)
by c_mann3 | 2011-10-14 00:00 | クオリアとか進化論など | Comments(0)

   ・・・・・・ End ・・・・・・・・    

これで、《クオリアとか進化論など》のコーナーは終了です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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by c_mann3 | 2011-10-01 00:00 | クオリアとか進化論など | Comments(0)