「ほっ」と。キャンペーン

<   2011年 12月 ( 6 )   > この月の画像一覧

◆粘菌ロボットの不思議・・・

いくつか上(にスクロールしたところ)の“「情報流」の一部としての私たち”と題した記事で粘菌の不思議な生態を話題にしていましたが、先日のNHKのサイエンス・ゼロでまさにこれを思わせる「粘菌ロボット」が紹介されていましたね。

動物とも植物とも云いがたい単細胞生物「粘菌」の挙動をシミュレートしたロボットを作って群れで動かす。一つ一つのロボットにはきわめてシンプルな数個の機能しか持たせていないのですが、それが群れとなったとき、まるで群れ全体がひとつの生き物のように動き始めるんてすよね。

多分一つ一つのロボットに組み込まれたロジックは・・・
①足元にブレーキをかけて踏ん張り6本の腕を広げて周りのロボットを押す。
②ブレーキをはずして周りから押されるがままに場所を変える。
③この二つの動作を周期的に繰り返すが赤外線を受けるとこの繰返し周期を変化させる・・・

他にもう一つ二つあるのかもしれませんが、いずれにせよほんの数個のロジックだけを持ったロボットを群れさせて赤外線を当てると群れ全体が塊となってその方向に動き出す。どんな形の障害物を置いても群れ全体がその輪郭を自在に変化させ潜り抜けていく。

それだけでも感動的ですが、なんと群れの中に故障したロボットを沢山混ぜておいてもお構いなしに動き続ける・・・

コメンテータが「まるで会社の組織を思わせますよね」といって笑っておられましたが・・・まさにそのとおりなのかもしれません。
組織を動かすためには指揮やリーダーシップが大事だとか、情報共有だとか言われてはいますが、そんなことにはお構いなしに群れとして動いている面があることは確か。だとすると組織で群れている個に組み込まれていて作用しあっている最低限度のロジックって何なんでしょうね。(2008.7.18)
by C_MANN3 | 2011-12-20 00:00 | クオリアとか進化論など | Comments(0)

◆二足歩行ロボットの不思議・・・

粘菌ロボットの不思議・・・
粘菌といえば、粘菌ロボットが群れて動く話だけではなくて・・・粘菌は迷路の中で最短距離を結ぶように自分の形を変えていくというのもあるんですよね。
どうやら単細胞の体内を流れる細胞質の流れ自体が情報源になっていて自己調節されていくようなのですが・・・
少なくとも流行の最適経路問題の解法のような面倒な計算をしている風ではない。なんかもっと簡単なアルゴリズムが働いている。

http://www.nhk.or.jp/zero/contents/dsp210.html

テレビのそんな番組を見ていてふっと思ったのですが・・・

長い間、難しい機構や方程式を駆使しても歩けなかった二足歩行ロボットが、ある日突然歩き出し、今や歩くどころか踊ったりおどけたり、見ていて気持ち悪いぐらいに進歩しましたよね。

これも以前テレビで紹介されていたのですが・・・大きな黒板の隅から隅までぎっしり書かれた方程式をプログラムしても歩けない日が続くなかで、だれかがポツリと「人間って一歩一歩くときにいちいちこんな面倒な情報処理なんかしていないんじゃないの」とつぶやいたとか・・・
その呟きがきっかけとなってロボットは一挙に歩けるようになったのだと。

この話って面白いですよね。
多くの技術者はやたら高度な技術や複雑な方程式を駆使したがりますが・・・技術を如何に使わずに目的を達成するかが最高の技術者の腕の見せ所のはず。それを教えてくれるのが粘菌のようなシンプルな生物なのかもしれませんよね。(2008.7.18)

----------------
[2008.10.13追記]粘菌の迷路探索にノーベール賞が・・・

今朝の朝日新聞の“ひと”欄ですが・・・粘菌の迷路探索を成功させた中垣俊之さん(北海道大学)がイグ・ノーベル賞に輝いたと紹介されていました。おもわずニンマリ・・・なんか本物のノーベル賞よりも気持ちをほのぼのとさせてくれる、いいニュースです。
これはノーベル賞のパロディ版ということなのですが、パロディというのは元来閉塞状態からの突破力を秘めたもの・・・この先が楽しみです。
by C_MANN3 | 2011-12-18 00:00 | クオリアとか進化論など | Comments(0)

◆構造主義・・・雑感

中沢新一さんの「対称性人類学」を読み面白かったこともあり・・・人類学といえばレヴィ=ストロースの構造主義・・・という短絡的な発想で久しぶりに構造主義の本を読みたくなってしまいました。

まずは数十年前に読んで感動した記憶のある本、「ピアジェとレヴィ=ストロース」、ハワード・ガードナー著1975年版を引っ張り出して眺めてはみたのですが・・・細かい字で怪しげな内容がぎっしりと詰まった本で、もう一度読もうとすると今の私にはちょっと視力と根気が心配。やっぱり本は若いうちに読みこんでおくことが必要なんでしょうね。

二十代の多感な時期に感動して読み、以来構造主義のファンになったつもりだったのに読み返してみると中身はまったく記憶から消えてしまっている。
もっとも知識は意識の領域から消えてしまったとしても、それは無意識の奥底に沈殿し何かに思いをはせる際のシェマとしては作用しているはず・・・

----------

で、混沌とした事象の特質を分解し縦軸、横軸をうまく選んでスプレッドシート状にあらわすと混沌の中に潜む共通項(ないし構造)が見えてくる・・・その一例が元素の周期表・・・それは仕事でものを考えるときはいつも図表を作ることからはじめる私の発想と類似・・・などという不遜な理由でファンになってはいたのですが、実は肝心の構造主義の構造って何だ?ってことはよくわからないままでした。

早い話が、どこかの現代思想の解説本でフロイトが構造主義者に区分されていたりするのを見るとますますわからなくなってしまう。

この本、「ピアジェとレヴィ=ストロース」は紛れもなく構造主義を紹介したはずのものなのですが・・・
レヴィ=ストロースが世界を時間の履歴を消去し共時的に理解しようとする構造主義者だとすると、ピアジェは時間軸上の発達過程を扱う構造主義者。勝手な別表現をするとこの二人はシステム指向とプロセス指向といった感じでベクトルがまったく異なる気がするのですが、どちらも構造主義者ということになっている。

とにかく構造主義の輪郭ってわかりにくいですよね。

ところが最近見つけた本、橋爪大三郎さん著、講談社現代新書の「はじめての構造主義」を読んでいて何となく理解できるような気がし始めました。この本はレヴィ=ストロースが構造主義を生み出すに至った過程が軽妙に解説されていて・・・構造主義はヤコーブソン経由のソシュール言語学やモースの贈与論をベースにし、さらには絵画の遠近法とか射影幾何学、位相幾何学といった数学の世界ともつながっている思想なのだとのことです。

遠近法は風景をきわめて正確に描写できるにもかかわらず、描く人の立ち位置で絵が異なってしまう。これが神の目線といった絶対的なものを突き崩す作用をもつことで一人ひとりの個の確立につながっていく。一方において立ち位置を変えると描かれている絵そのものは種々変わるにもかかわらず、いかなる場合でもその風景が持つ固有の特質は保持されており、それが「構造」なのだと・・・

あらゆるものを相対化し絶対的なものを崩壊させる一方で、その背景には普遍的な構造が潜んでいるとの思想は何となくユングの普遍的無意識を連想させるものがあり・・・神話分析と相性がいいといったことにもつながっていくのかもしれませんね。(2007.2.10)

----------

◆[2009.11.4追記]
今朝の新聞によると101才の誕生日を目前にして、レヴィ=ストロースさんがお亡くなりになったとのこと。最後までご健康で頭脳明晰のままだったそうですが、さすがですよね。

◆[2010.7.31追記]
レヴィ=ストロースさんの代表作のひとつ▼「野生の思考」についての別掲記事を設けました。
by c_mann3 | 2011-12-16 00:00 | クオリアとか進化論など | Comments(0)

◆主義主張や知識素の球面配置

“知識素の球面配置”・・・何やら怪しげなタイトルですが、実は以前からこのタイトルで記事を書きたくて・・・でもあまりにも荒唐無稽な思いなので躊躇していました。
ところが前掲の本「はじめての構造主義」を読んでいると・・・言語学では「音素」、神話論では「神話素」などと「素」という表現が頻繁に出てくることもあり、だったら私も思い切って書いてみるか、ということで以下は妄想にも似た雑感です。

---------------

「知識素」、こんな言葉があるのかどうか・・・自然界に存在する物質をどんどん分解していくと「元素」となり、逆にその組合わせでいろんな物質が出来ていますよね。そしてこの元素を巧妙に配置したものが高校物理の教科書に出てくる「周期表」。これとのアナロジーで人間が想起しうる知識をどんどん整理、分解していくと最後は「知識素」ということになるんじゃないか・・・

古今東西、幾多の賢人たちがおびただしい数の理論、教義の体系を生み出し、それを継承して現代にいたっているわけですが、そうしたものを全て並べてその論理を要素に分解していくと恐らく知識素といったものにたどり着く。

その上でこうした「素」をどう配置するか。例えば資本主義と社会主義・・・普通は右翼から左翼に向かう一直線上の両極に配置されるのでしょうが、真の社会主義は高度に発達した資本主義の向こうでしか花開かないなんていう言い回しがあることを思うと、直線状ではなく円環上に配置したくなってしまいます。
そしてこれを東西軸だとすると、民族や宗教が絡んだ今風のイラク問題等は、また次元の違う南北軸・・・こうして東西にも南北にも円環があるとすると主義主張を配置した空間はもはや円ではなく球。

またものを考える際によりどころとする論理にも・・・因果律、相関律、因果性の無い相関、意味のある偶然、共時性、排中率、中庸、両具性・・・いろんな概念がありますが、これらの概念の内あるものは類似性があり、あるものは対立的。
古代のギリシャ、インド、中国から始まり、人類の思索の中でおびただしい「知識素」が想起されてきたわけですが、これを整理し配置していくと円環を通り越してきっと球形になる。

物理の世界で元素をある種の規則で配列すると縦横に意味のある類似性が見えてくる・・・それがメンデレーエフの「周期表」ですが・・・「知識素」もまたある種の配列をすると何かが見えてくる可能性がある。そしてその「知識の周期表」は、種としての人間の体内に潜む「知の構造」をあらわしたものになるのかも・・・と思うのですが、これってやっぱり妄想に近いのかも・・・(2007.2.14)
by c_mann3 | 2011-12-14 00:00 | クオリアとか進化論など | Comments(0)

◆知の一網打尽

構造主義・・・本を拾い読みすること半分、沈思黙考すること半分。以下はそうした中で少しずつ胸中で結晶し始めたイメージです。当たらずといえども遠からずであればいいのですが・・・

--------
例えば神話。世界中からそれを集めると似ているようでいてディテールはそれぞれ異なる。そこに統一性を見出すことは難しく、だったらせめて何種類かにカテゴライズしようとしても随所に例外が発見されて山に乗り上げる。人の心を含めた森羅万象を説明しようとする種々の「知」についても状況は同じ。

結局のところ・・・ディテールにこだわっていては一歩も前には進まない。

ならばとその世界に切り込む構造主義は・・・物語や論理のディテールや文脈を一旦無視、テキストを解体し「素」に還元することで、その「素」の中に存在する共通項や対立項を抽出する。こうして抽出されたいくつかの対立項を座標軸とする空間上に、一旦は解体されたテキストを再度配置する。こうすることで全てを含めた空間を統合的に一望する視点を手に入れることができる。もっともこの統合は一体化とは異なり全てを相対化した上で眺望するといった意味での統合。

こうして、全てがある一点から始まるといった意味での一神教の世界は解体される。だったらよりどころを失った迷える子羊はばらばらに離散するか?あるいは主を失った個々のものは個を主張する新たな主となりうるか?・・・結果はそのいずれでもなく全ては相対化され、統合空間の中で、ある種の秩序の元に居並ぶメンバーとなる。

ニーチェが神の死を宣言して以降、人はそれに代わる知の神を求めてきた。そして出現した全ての源となるはずの種々の知の体系・・・だがそれらはあえなく破綻。そうした中で出現した構造主義により、全ての源となることは放棄したとしても、全てを眺望する視点が掴めそうだということは大きな希望。

◆統合心理学・・・
ケン・ウィルバーの春秋社刊「統合心理学への道」もそうした営みのひとつなのかもしれません。
この本、朝日新聞の書評欄で知って以来すごく興味を持っているのですが・・・まだ読んでいない。しかも例によって書評欄にリンクを張りたいのですが古すぎてちょっと無理。で、手元のコピーから2004年06月20日掲載の天外伺朗さんによる書評を抜粋すると・・・

>彼は、ありとあらゆる学問を四つの象限からなるマップ上にからめ取ってしまった。もう形容する言葉もない。

>四つの象限とは、個の内面(意識)と外面(物質、身体、神経生理……)、集団の内面(文化、世界観、倫理……)と外面(社会制度、コミュニケーション形式……)であり、それらが相互に関連する階層的な発達構造になっている。このすべてを配慮した学問を、彼は「統合」と呼ぶ。

>本書は、心理学に多くのページ数をさいているが、基本的には哲学、芸術論、人類学、社会学、経済学、自然科学などがすべて、ひっくり返ってしまう予兆を示した本だ。

>世界中の学問や宗教を、すべてこの四象限上に配すれば、対立するさまざまな信念の立脚点が明らかになり、宥和(ゆうわ)の方向へ向かえるかもしれない。

◆そしてもうひとつ、「哲学的世界定位」・・・

ちょっと古い本ですが、タイトルからしてこの本にも類似の匂いが漂っている。ヤスパース著、創文社から1964年の刊。
「哲学的世界定位」・・・若かりしころ、このタイトルの響きに魅せられて買い込んで以来、今だに手放せずにいるのですが・・・この本もまた、再度読み返そうとすると分厚くてちょっと腰が引けるのが情けない限りです。(2007.2.18)
by c_mann3 | 2011-12-12 00:00 | クオリアとか進化論など | Comments(0)

   ・・・次は・・・

      ◆次は「質的研究法」について・・・⇒⇒


by C_MANN3 | 2011-12-01 00:00 | クオリアとか進化論など | Comments(0)