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◆難しい計算より難しい簡単な計算・・・

ずいぶん前から本屋に行くと「脳を鍛える大人の計算ドリル」といった類の本が山積みにされていましたが、今はさらにニンテンドーDSの「脳を鍛える大人のDSトレーニング」が大ヒット。その結果、発案者で仕掛け人の東北大学教授川島隆太さんには年間数億円のロイヤリティーが入ってくることになったのですが、その私財をすべて研究費に投入し次々と加齢医学の研究棟を建設しているとか(H19.7.14朝日新聞be欄)・・・

「脳を鍛える大人の計算ドリル」についてはテレビ番組でもよく紹介されていますが、認知症の方が熱中しているうちに計算力だけでなくもっと広範囲な機能回復につながっていく姿を見ていると、私なんかもボツボツ始めたほうがいいのかななどと思ってしまいます。

それにしても簡単な計算ドリルに没頭すると脳の全体が動員されて活性化するが、難しい数式をとく場合はむしろ脳のほんの一部しか活性化していないというのは不思議というか、面白いですよね。
脳の構造は人間の進化の歴史の集積そのもの。何かをするときに脳のどの部位が活性化するかは進化プロセスの名残だとすると・・・人類がやっと数字を取り扱いその大小比較や加減算をし始めたころはほぼ脳の全域を総動員していた・・・だかやがてその基礎を出発点にさらに高度な数学的操作をするようになると新たな脳内機能を獲得し、逆に脳の負担は軽くなっていったということなのでしょうか?


実はこの不思議についてずっと引っかかっていたのですが・・・最近、電卓やコンピュータの発達の歴史のアナロジーでこの説明がつくんじゃないかなどという妄想を持つに至りました。

たとえば電卓は初期のころはANDやORのランダムロジックを組み合わせた力任せの計算回路で構成されていた。この時代は簡単な計算しかできないのにその回路はやたら複雑で設計には大変な労力が必要だった。
ところがマイコンの発明によりやがて回路はプログラムロジックに置き換わっていった。おかげでプログラムさえ高度にすれば関数電卓といった高度なものもできるようになったのに、逆に電子回路自体は単純な繰り返し作業さえできればOKの簡単なものに置き換えられることになった。

これを人間に置き換えるとプログラムは外部知識、そして電子回路の動きが自前の脳の活動。そして人類はどこかの時点で外部から取り込んだ記憶をベースに機械的に処理するコンピュータにも似た脳内機能を獲得した。つまり人は簡単な計算は本能的に自前の脳だけですべての処理をしようとするが高度な計算となると外部から取り込んだ「知識」と言う名のプログラムを記憶しそれを機械的に逐次処理する単純な脳機能で対応しているってことなのかも。

現代人の脳は自身で考えているというよりは文化や文明として社会的に蓄積されたプログラムを処理することで千変万化の処理をしている。脳の回路自体が自力で千変万化の答えを生み出しているわけじゃない。

・・・こんな風に考えるとたとえ会社で難易度の高い仕事をこなしていたしとしても、(プログラム化された外部知識に従って機械的に動く)マニュアル人間の脳はきっと退化しているんじゃないかなどと改めて思ったりもします。(2007.7.18)
by c_mann3 | 2012-02-20 20:00 | クオリアとか進化論など | Comments(2)

◆言語野の手前の「読字障害」・・・

あかちゃんが見る見るうちに言語能力を開花させていく姿は感動的ですが、言語能力の獲得には思わぬ落とし穴があるとのこと・・・少し前の話になりますが,NHKのドキュメンタリー番組で「読字障害」の話が紹介されていました。

http://http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20081012

一般的な知的能力は並みの人以上に高いのに文字を読むことだけが極端に苦手な人たちが西欧では10人に一人,日本では20人で一人の割合でおられるとのこと。番組の中では日本の若い建築デザイナーと米国の恐竜学者の例が紹介されていましたが,Wikiで調べると著名な芸術家や政治家、学者と山のようにおられるんですよね。
「読字障害」のひとは読字はほとんど拾い読みに近いのですが、まるでそれを補うかのようにそれ以外の知的能力が極めて高く、特に図形や空間の把握能力に優れているとのこと。

人類にとって音声による言語能力は数十万年の歴史を持ち脳内にはそれに伴って進化した言語野の機能を持つが,文字による言語能力はほんの数千年前に獲得し始めた機能・・・そのため脳内では文字を視覚から取り入れ古くからある別目的の機能を流用することで音声に変換し,従来の言語認識の回路に横から合流させるといったやりくりで言語処理をしている・・・ところが一部の人はその音声への変換部が十分ではないとのこと。

音声による言語処理とは異なり文字による言語処理は人類が進化の歴史の中では新しく獲得した機能であり、脳内の準備が完全ではないことによるのだと・・・
だとすると「読字機能」以外でも新しく要求されだした機能ではそこだけポッカリと穴があいたように欠けている人は結構あちらこちらにいるんじゃないか・・・などということが気になり始めました。


◆たとえばビジネスの才能なども・・・

早い話が企業が社員に求めるビジネスの才能などもそうなのかもしれません。

このブログでも別掲記事で話題にしているのですが、ギャラップ社によるとこの才能とは “かかわり合う、影響を与える、努力する、考える”の四つに大別される全34項目にまとめられていて・・・こうしたものは15才ぐらいまでの間に脳内ニューロンに組み込まれた性向といったものであり、訓練で高められるスキルとは違うものなのだと・・・

“訓練で高められるスキルではない”と言われると、34項目もある中では幾つもが欠落していそうな私などは“どうすればいいの?”と思ってしまいますが・・・
数千年の歴史を持つ文字認識機能でさえ一部の人にはその脳内機能が不十分な方がおられるというのなら、せいぜいこの百年程度で言われ始めたに違いない企業人に望まれる機能などというものには十分な脳機能の準備がない人がいても不思議ではないのかもしれませんよね。

とはいうものの・・・普通の人には当たり前の機能で極端な弱点を抱えて生きていくのは大変なこと。文字が読めない子供やスキルセットがそろわない会社員はたいていの場合はやる気がないと解されるか劣等生扱いされて終わってしまう。

「読字障害」によらずこうした研究が進み、人の脳機能には時として思わぬところに落とし穴があること、でも人の能力は多機能であり、落とし穴を補って余りあるところまで別機能で才能を開花させることは可能だといった理解が進むのはいいことですよね。(2008.12.21)
by c_mann3 | 2012-02-18 00:00 | クオリアとか進化論など | Comments(0)

◆発達アンバランス症候群・・・

ひとつ上(にスクロールしたところ)の記事では「読字障害」を話題にし、いろんな機能が人並み以上なのに文字を読むことだけができない人たちがいるといったことを書いていましたが・・・

最近よく言われるようになったアスペルガー症候群を始めいろんなタイプの発達障害を解説した本か出ています。題して「発達障害に気づかない大人たち」、星野仁彦著、祥伝社新書190です。

発達障害というと子供のころから障害が出るものと思われがちですが・・・学業成績がよいとか何かに秀でている子の場合は“ちょっと変わった子”として扱われたままで大人になり、社会に出てうまく社会になじめず、鬱などを併発して初めて障害が顕在化する人も少なくないとのこと。

ところが困ったことに発達障害の専門家は今のところもっぱら児童精神科医。大人になって顕在化することも多いといった視点がなかったため、適切な診断や治療が得られにくい状況にあるとのこと。

この本では発達障害の類型、類型別の症状、対応法といったことが解説されているのですが・・・障害を抱えている人には特異な才能を持っている人も多く、適切な治療やカウンセリング、職業選択等を行えば社会にとっても本人にとっても実り多い人生が期待できることもあり、“発達障害”といった表現を避け、「発達アンバランス症候群」といった認識で取り組むべきだと述べておられます。

後片付けができない、大事なことを先延ばしにする、こだわって熱中する、人付き合いが不器用・・・
読んでいると実は私なども思い当たる節があったりするのですが、「大人の発達障害は治せる」と題した第五章はちょっと気になる程度の人にも参考になりそうです。
“暮らしの中でできる九つの工夫”とか“ライフスタイルの確立”、さらには “認知のくせを自覚しておく”といった日常生活で活用できそうな処方箋が並んでいます。しかもなんとその中で著者ご自身がADHDだったとかでその体験談が紹介されているなど、なかなか味わい深い一冊となっています。

ともあれ“発達障害”として切り捨てられかねない自身の性癖に苦しみながらも、社会生活を営まざるをえない人が想像以上に多いとなると・・・状況、症状の重度にもよるのでしょうがその性癖は“発達障害”というよりは“発達のアンバランス”であり、特徴を生かした特異な才能を開花させていくことは可能だとの認識が必要ですよね。
そしてそのためには・・・まずは「発達アンバランス障害」なのだと自他ともに認識できるといい(実はこれが難しい)のでしょうが、その上で弱点を気にして萎縮しがちな自分自身を勇気付け、弱点をあげつらって排除しようとする社会と戦う、あるいは周りがそれを支援するといったことも重要な気がします。(2010.3.10)
by c_mann3 | 2012-02-16 00:00 | クオリアとか進化論など | Comments(0)

◆自己組織化

一人一人が勝手なことをしていたのではまとまらない・・・
何かを作るとき、設計図無くして形は整わない・・・

秩序や整った形というものは、統制や設計図があって始めて形成されるもの・・・という思い込みに対して、そうとばかりは言えないんじゃないか?と異議を唱える見方のひとつが「自己組織化」ということでしょうか。

「自己組織化」、それは“個が集まって全体として共生しているとき、必ずしも全体を規定する設計図とかルールがなくても、半自律的な個が周辺の状況の中で最小限度の規則にのっとり気ままに動くことで、あたかも全体設計図があるかのごとき秩序だった全体を構成していくこと”・・・ちょっと我流の表現ですが、ほぼこんな意味合いなんでしょうか?

このフレーズから思い浮かぶ事例はいくつか・・・

★葉をすべて落として見事な枝振りを天に向かって広げる落葉樹。この木はおそらく樹木の輪郭設計図にのっとって枝葉を広げたのではない。b0050634_22315923.jpg
一つ一つの小枝は隣あう枝とぶつからないように、それでいて最大の日光を吸収できるように・・・ただそのことのみをルールとして気ままに伸びて行ったに過ぎない。もし全体の設計図なんてものがあるとしたら、あらかじめ(遺伝子かなんかの形で)岩陰用、密集地用、ビルの谷間用などといろんな形の設計図を持っていて使い分けるなんてことになりますが・・・そんなことはありそうにない。

★空飛ぶ雁の群れは幾何学的で見事な編隊飛行をしていますが・・・どれか一羽が仕切っているという風でもない。おそらくは競輪と同じで、一羽一羽がただただ自分の風当たりがミニマムになるようにとの単純な行動原理で仲間の後ろに回っているだけで結果としてあの見事な編隊が生まれているのかもしれません。その証拠によく見ていると一羽が編隊を離脱すると全体が一挙に崩れ・・・しばらくすると再び形が整うといったことが繰り返されています。

何れも外から見るとあまりにも見事な秩序を感じさせてくれるので、そこに全体としての設計意図、何がしかの指揮といったものを感じてしまうのですが、ひょっとしたら違うんじゃないか?といったものです。

・・・実はこんなことを思ったのは前回、赤ちゃんの言語野の話で気ままに分裂増殖していてもおかしくない脳細胞なのに、なぜ言語野と称する場所近辺の細胞のみが言語野として成長するのか・・・もしそれが遺伝子情報によるものだとすると、遺伝子情報はどの程度まで精密でどの程度まで全体を規定する情報なのか???なんてことがきっかけでした。

ひょっとしたら遺伝子情報の指令というのは意外にシンプルで・・・後は「自己組織化」とか次ページに紹介する「オートポイエーシス」といったものにおまかせなんてことなんでしょうか・・・(2005.2.20)
by c_mann3 | 2012-02-14 00:00 | クオリアとか進化論など | Comments(0)

◆ オートポイエーシス

「自己組織化」とよく似た言葉に「自己創出」ってのがあるようですね。別名“オートポイエーシス”、これがまた面白い概念です。

この理論によると・・・AさんとBさんが会話をしているとき、一見お互いが相手の言葉に反応して会話をしだんだんと合意に達しているように見えたとしても・・・実は二人はお互いに、相手の言うことなんかに反応しているわけじゃない・・・じゃ、何だ?と理論は展開されていくことになります。


自己創出理論の特徴のひとつは、《入力と出力の不在》と言われているらしい。もっとも不在というのは言い過ぎのようで、入力や出力がないわけではないが、自身を形造っていく上で取り立てて影響を受けない、勝手気ままに自己を形成していく上でのきっかけ程度の役割しか担っていないと言うことのようですが。

実は、このオートポイエーシスを基軸に生物細胞の挙動から、人の心の動き、社会システムまでを一網打尽に語りつくそうとした壮大な試みの本《基礎情報学》、東大院情報学環教授、西垣通著、NTT出版を読んでしまいました。


で、なんとなくつかめかかったイメージは、こんなものです。

オートポイエーシスの特徴は、今風の社会の中の個人と個人の会話に特徴的に現れているようです。
すなわちAさんとBさんが会話をしているが、Aさんの刺激(S)に反応(R)としてBさんが答えているわけじゃない。AさんもBさんも周りには関係なく心の中にはあられもないことがうたかたのように生起消滅している。もちろんこの生起消滅のきっかけ程度にはAさんの言葉は作用する。そしてあたかもそれへの返事のごとく言葉を発してはいるが、その内容はSR理論で説明できるほどの因果関係はなく、単にその瞬間に想起したことを口に出しているだけ・・・

一見かみ合って会話が弾んでいるように見えることがあっても、それは勝手気ままに自分の気持ちを吐き出しあっているだけの二人が実は、相手の立場を考えたわけでも、相手の影響を受けたわけでもなく、世間の会話ってのはこうした言い回しで、こうした論理で言うべきなんじゃないかという社会性の通念にしたがって語っているだけ。で、二人の通念に共通項があれば、これが観察者にはしばしば会話が成立し、まるで意気投合しているように見える・・・

じゃ、こんな話のどこがオートポイエーシスなのか・・・実はこうして周りとの入出力に取り立てて依存せず、ひたすら想起消滅する思いを自己循環的に再生産し、これが心の中に“ひとつ上の概念の社会通念(と本人が思うもの)”を形成していく・・・この様を自己創出というようです。

わかったようなわからないような話ではありますが・・・そういわれてみると私なんかも、会話はしていても人の意見は聞いていないなぁ・・・相手の話の枝葉をイントロに勝手気ままに自分の話したい話をしてしまうなぁ・・・いつもそうして自分の考えを整理してるんだよなぁ・・・なんてことを思うと、この理論、まんざらでもない、奥の深いものを感じてしまうのですが・・・

とにかく、この《基礎情報学》は一読に値する、不思議な本でした。(2005.2.20)
by c_mann3 | 2012-02-12 00:00 | クオリアとか進化論など | Comments(1)

◆「情報流」の一部としての私たち

前掲の本、《基礎情報学》をお書きになった東大院情報学環教授の西垣通さん、この方は朝日新聞夕刊の文化欄で定期的に情報学の記事を書いておられます。
まったく新しいものの見方を提供してくれていて、きわめて示唆に富むシリーズなんですが・・・掲載が二ヶ月に一回、何日とか何曜日とかいったことが分からないので・・・ついつい見過ごしてしまうのが残念です。

前掲のオートポイエーシスも「基礎情報学」の本を出版されたこともこの文化欄で知ったのですが・・・ついつい見過ごす中で、もうひとつ興味深い記事がありました。

題して“共生システム・・・「情報流」の一部としての私たち”( H15.11.13 朝日新聞夕刊)

あまりにも内容が示唆に富むものなので・・・もしかするとルール違反なのかも知れませんが、1/4程度に勝手にトリミングした形で紹介させてください。()表記部はトリミングした結果読みにくくなったところを私が補ったものです。
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サッカーを観戦していると、いつも不思議な気持ちになる。一流のチームは、しなやかな統一性を保ちながら動く。
(しかし)MFが的確な指令を出したり(はするが)状況は一瞬で変わるから、すべてを意識的に判断する余裕などないはずだ。むしろ暗黙の情報流が旋回集散し、選手たちの体がそのもとで自動的に協調しているような気がしてこないだろうか……。

「無意識に」動く選手

たとえ精神分析(学)が意識下の暗部を指し示したとしても、個々の人問が意識をもち理性にしたがって自由に行動できる、というのは近代主義の大前提だ。
(ところが)われわれの感覚器宮には、光、音、熱など毎秒何百万ビットもの情報が流れ込むがそのうち意識にのぼるものはたかだか数十ビツトだという報告がある。
サッカー選手は「論理的に判断しながら」というより、むしろ「無意識に感じながら」プレーしているのである。生物進化史40億年のなかで、多くの生物は意識無しでも立派に生きているではないか。

「個」という単位の不思議
人間の体は60兆もの細胞からできあがっている。生物学的には、「個人」とは半自律的な細胞群からなる共生体に他ならない。それは複雑な情報処理がおこなわれる「杜会」だとすら言えるのだ。共生というのは生物の本質的活動である。
南方熊楠が研究した粘菌は、ふだんバラバラな単細胞アメーバだが、食物が不足すると互いに寄り集まり、あたかも一個の多細胞生物のような集合体となってそそり立ち、頂点から胞子を放出する。とすれば「個体」とはいったい何だろうか。
社会生物であるハチを眺めてみよう。働きバチ同士が情報を交換し蜜のありか等について巧みなコミュニケーションをおこなっている事実はよく知られている。(ところが)働きバチに生殖機能はない。とすれば、個々のハチは実は「個体」ではなく、女王バチをふくめた群れ全体を「個体」と見なすべきだという説もなりたつ。
(こうしたことを思うと)われわれの杜会や組織は「意識をもった個人の集まり」ではなく、無意識をふくむ複雑精妙なコミュニケーションが実行される「情報システム」と見なしたほうがいい場合もあるのではないか。

「前提」ではなく「課題」
個人(individual)とは、キリスト教思想にもとづく特殊な概念であ(り)自由な「個」を確立することこそ、近代化運動の目標だった。いうまでもなく個人の自由も責任も大切である。(しかし)肝心なことは教条主義におちいらず、新たな科学的知見をふまえて、まず人間という存在の実態を虚心に見つめることだ。そしてそこから、近代的諸概念をとらえ直していくことだ。すると自由も責任も、「前提」というより「課題」として見えてくる。
自分が他者と競争する孤立単位ではなく、つながった情報流の一部だと考えることも一種の処方箋になるような気がする。
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引用は以上ですが、《基礎情報学》の今後の進展が楽しみです。そして「自己組織化」、「オートポイエーシス」、「基礎情報学」といった視点は、別掲《組織心理学の・・・》でも踏まえるべき重要な視点じゃないかと思ったりしているのですが・・・(2005.2.20)
by c_mann3 | 2012-02-10 00:00 | クオリアとか進化論など | Comments(0)

◆西垣通さんの「情報学的転回」

オートポイエーシスを軸に生物細胞から人の心、社会システムまでを一気に語りつくした前掲で紹介の本、「基礎情報学」をお書きになった西垣通さんに新著が出ました。

題して「情報学的転回 IT社会のゆくえ」、春秋社より2005年12月刊。

著者は“第五世代コンピュータの開発”にもかかわっておられたとのこと。このプロジェクト、1980年代に日本の国威をかけてスタートしたものだったのですが・・・あえなく挫折。
コンピュータで人工知能をと英知を結集し、当時言われていた知能言語prologの直接実行マシンの開発に挑戦したが結局実用化には至らなかった。

コンピュータはユダヤ・キリスト教の一神教が持つ普遍主義を具現化したもの・・・それとは似て非なる日本民族が取り組んでも挫折は見えていた。だが、そういった分析や反省はなされないままに・・・日本はアメリカ追従型のIT革命の時代に突入。気がつくと日本人がもっていた非一神教的なよりどころは失われ、心自体が情報システムに踊らされるロボットと化してしまった。

話はこのあたりをスタートに情報論、コミュニケーション論から宗教論と・・・どんどん広がり、西欧型の一神教的な普遍主義の蔓延に対する対抗軸として、仏教やインド哲学をベースにした、新たな普遍思想を構築しなければ世界にも地球にも未来は無い・・・そしてそれができるのが神道や仏教のバックボーンを持ち、それでいてユビキタスに分散したマイコンとWebネットの技術に長けた日本人なのではないのかと。


著者が始めての“語りおろし”風の著作と言うだけあって、語りだすと溢れる思いでもうとまらないといった感じ。ついつい引き込まれ、最後のほうではページをめくるたびに声を出して笑ってしまう始末。むろん、面白くて、うれしくなっての笑いなのですが・・・おっ、この話がそこへ飛ぶか!えっ、その話がここにつながるか、といった感動の連続・・・ぜひお勧めの一冊でした。

実はうれしくなってしまうには私のほうにも理由が・・・“クオリアの風景”とか称しているこのブログ、三つのカテゴリーを同時進行させ、《クオリア・・・》で脳科学や認知科学を、《ユング・・・》で宗教や深層心理を、そして《組織心理・・・》で集団や社会の世相を・・・このスーパートライアングルで何かがつかめないかと思う私にも似たような嗜好性が・・・

もちろん、プロとアマ、比較することなど笑止なのですが・・・似たものを感じてうれしくなるのは読み手の勝手ということでご容赦を。(2006.3.14)
by c_mann3 | 2012-02-08 00:00 | クオリアとか進化論など | Comments(0)

   ・・・次は・・・

      ◆次は「新しいロボットの不思議」について・・・⇒⇒


by C_MANN3 | 2012-02-01 00:00 | クオリアとか進化論など | Comments(0)