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◆ピンカー著、「人間の本性を考える」

認知、進化心理学、果ては脳科学・・・不確かな知識を省みず雑感を書き連ねているのですが、こうしたテーマに踏み込む以上、スティーブン・ピンカー(ハーバード大)の著作は避けて通れない。
ということで、遅まきながら「人間の本性を考える」、日本放送出版協会刊を読み始めました。

副題は・・・心は「空白の石版」か。
人は身体的な特徴はともかくとして、心や知能は白紙の状態で生まれ、その後の環境や学習で全てが決まる・・・遺伝否定のこの思想は不合理な差別撤廃に大きな役割を果たした一方で、教育過信の源ともなった。ですが、実は心や知能をつかさどる脳の機能の大半は遺伝的資質によって胎児の段階から方向付けられているのだと・・・

ただし、それはAさんよりBさんが資質に恵まれているとか、アーリア人がユダヤ人より優れているといった類の話ではなく、種としての霊長類人類が抜きがたい特徴として持つ特質の領域の話。
それは人類が石器時代に環境を生き抜くために進化適応した資質であり、今もそれを色濃く引きずっている。その後の人類は自身を進化させることを止め、外部に制度や文化や科学的な思考方式を発達させることで、生き延びて余りある現代を築き上げてきた。人はその現代に生物学的な遺伝子DNAと文化的遺伝子「ミーム」の合わせ技で適応し生きているということなのでしょうが、この二重構造が現代に生きる人類にいろんな悲喜劇をもたらしている。

例えば高度な数式を駆使し高度な最適判断ができる人類も、時間を限って結論を急がせるとトタンに直感に頼って乱暴な選択をする。崇高な倫理観を持つに至っているはずの人類が制度や文化のタガが外れた状態ではとんでもない殺戮の世界に突っ込んでいく。それは高度な教育と教養を身につけたはずの現代人が垣間見せる石器時代のDNAの姿なのかも。

企業の日常でも似たような現象は起こりえる・・・会議室でじっくり方針や施策を練りこんではいても、突発的な事態が続くと全く別の付け焼刃の行動戦略が作動する。

だとすると、種としての人類が持つ性癖をよく見極め、それを御する算段をすることが必要、なんてことを思わせる示唆に富んだ本なのですが・・・上、中、下と分かれた大作で読むのが大変なのが玉にキズ。

そういえばピンカーさんの著作にはほかにも感動的な本「こころの仕組み」、「言語を生み出す本能」等があるのですが・・・いずれも上、中、下とか上、下に分かれた大作なんですよね。(2006.11.28)
by C_MANN3 | 2012-04-20 00:00 | クオリアとか進化論など | Comments(0)

◆中沢新一さんの「対称性人類学」

前掲の記事(ひとつ上にスクロール)でスティーブン・ピンカーの本「人間の本性を考える」を読んでいると書いていたのですが・・・上、中と読んだところで途中下車し、急に以前から気になっていた中沢新一さんの「対称性人類学」を読み始めてしまいました。
どうやらこの寄り道は正解だったようで・・・二人の本を同時進行で読むことで何かくっきりとしたものがつかめそうな感じがしてきました。


◆「対称性人類学」・・・
この本は宗教学者である中沢新一さんが自身の講義録を基に編集した5冊のシリーズの最終冊です。すごく読みやすい本なのですが、この本によると・・・

旧人類の時代、人の脳は視覚、聴覚といった機能別の具象的な情報処理をするニューロンしか持っていなかった。ところが数万年前に、こうした個別機能に横串を刺すニューロンを持った人類が出現。こうして横串ニューロンが生み出す無意識の世界を獲得したのが現生人類であり、その後の人類の文化や文明の発達は全てこの無意識の世界から生み出されたもの。

世界中で伝承されてきた「神話」と「近代科学」・・・両極にあり決して両立しないと思われているこの二つも、実は人類が持つ無意識の中で渦巻く流動的知性を言語化したものという意味では同根。

無意識の世界では過去と未来といった時制の垣根がなく、生と死、人と自然といった対概念の中に同質性(対称性)を認め、その間を自由に相互乗り入れする流動的知性が渦巻く世界であるが、これをそのまま言語化すると神話や多神教の世界が出現する。

対して言語化する際に流動性を抑圧し、区分化した物事の違い(非対称性)に注目し、時間軸を導入して論理を組み立てたのが科学や一神教の世界。西欧の文化や文明はそれを極限まで磨き上げて今日に至っているが・・・実は抑圧されたものも大きい。

ですが注目すべきは、科学や一神教もそれを生み出すプロセスでは対称性を重視した流動的知性が不可欠であったこと・・・

出来上がってしまった科学や技術を受身で習得し活用するだけなら一神教的な非対称性思考が効率がよいが、それを乗り越え新しいものを生み出していくためには対称性思考を取り入れたバイロジックの発想が是非とも必要ということのようです。


◆ところで・・・
科学はその生い立ちに一見、科学とは相容れない世界とつながるものを持っているといった話は、別掲の記事▼《現代科学は魔法の末裔・・・》と相通ずるものがあり、人の創造性の根幹に関わるものを感じてしまいます。

また科学や一神教を徹底的に磨き上げてしまったことが人類をある種の袋小路に追い込んでおり、そこから脱却する手立てとして仏教をはじめとする東洋思想に注目するといった論調は、これまた別掲の記事で紹介の▼《西垣通さんの「情報学的転回」》を連想させるものがあります。
片や人類学、他方は情報学。論者や出発点が異なっても同じ結論に至る・・・どうやらこのあたりが閉塞した現代から脱出する“人の英知”の時代潮流、ファイナルアンサーなのかもしれませんね。(2006.12.28)
by c_mann3 | 2012-04-18 00:00 | クオリアとか進化論など | Comments(0)

◆立花隆さんの「脳科学」シリーズ

NHKで立花隆さんの「脳科学」をテーマにしたドキュメンタリー番組が続いています。感動的な番組ですが、なんとこれに立花さんの研究室のホームページが連動していて、あわせてみて行くと・・・今、脳科学が本当にとんでもないところまで来てしまっていることを実感させられます。

◆脳深部刺激療法(DBS)

昨年、脳深部刺激療法(DBS)とかいって脳の特定部位に電極を差し入れて刺激レベルを直接操作する手術が紹介されていました。番組の中では局部麻酔で患者さんと話ができる状態で電気刺激を調整し痙攣を止めるシーンがありましたが・・・他にも色んなスポットが発見されつつあって悲しみのような感情を調整する場所も特定できたとか。

こんなシーンを目の当たりにすると心脳問題は、いよいよ脳サイドに軍配が上がるのかと思いきや、手術をされていた先生が、「いろんなスポットが特定され、まるで心が操作できるような印象を与えていることは遺憾。こころはこうした刺激調整で操作できる脳と外界との関係性の中に存在するもの・・・この技術を進めて行っても心が操作できるわけではない」といった意味のことをおっしゃっていたのが印象的でした。

◆サイボーグ

先月も“サイボーグ”と題した続編が放送されていました。
両手を失った人に義手をつけ、それをご自身の脳から発信される神経信号を電気信号に変換したもので動かすことで、ほとんど意図どおりに指やひじを動かすことができるとか・・・そうかと思うと目を失った人がCCDの信号を脳に直接伝えることで目の前の風景が見えている感覚がよみがえるとか・・・

脳や筋肉の神経の信号をコンピュータで解釈しそれで外界の人工的なもを操作することが実際に行われ始めている話は衝撃的ですよね。
サイボーグは脳自体は生身の人間のものを使う。脳そのものをコンピュータで代用しようとするソニーやホンダのロボットとはまったく異質の世界ですが・・・脳をコンピュータで再現することの困難さを思うと、ロボット以上に遠いSFの世界と思っていたサイボーグが一挙に近未来に迫ってきている感じがします。

ただ、従来の脳神経が直接使われているわけではなさそう・・・義手にしてもよく見ていると、今まで表情豊かに指先を動かしていた神経信号が、そのまま新たな義手に流れ込んでいるというわけではなく・・・大味な神経網を一旦胸の筋肉に導入し、筋肉の動きを電気信号として義手に導入。そのからくりを前提に新たに訓練して手や指を動かしているようで、従来からの脳のメッセージというよりは義手を前提に新たに獲得された別の神経網で動いている感じです。

でもこんなことを積み重ねていって少しずつ精緻化していく可能性は十分秘めていますよね。


◆実はこの番組、ほかにも気になることが・・・

立花さんのこの回のドキュメンタリーではサイボーグSFの映画監督押井守さん、脳科学者の川人光男さん、ユング心理学者の河合隼雄さんへのインタビューが挿入されていて・・・
立花さんの「こんなことを進めていくと人間の本質が変わってしまうとか、脳が異質なものに変化していくってことはありませんか」との質問に対する反応がそれぞれで印象的でした。

脳科学者の川人さんは何と20万年前に人類が言語を獲得した時点を引き合いにだし、そのとき人類の脳はとんでもない神経網の再編を余儀なくされたことと引き換えに新たな時代を手に入れた・・・今回のサイボーグ化で再び脳の再編があったとしてもそれは人類が何回となく繰り返してきたことなのだと・・・

SF映画の監督はさらにあっさりと・・・サイボーグ化はすでに進行している。現代の都市機能はすでに巨大な義体。人々はこの義体を前提に脳を再チューニングして生きていくサイボーグ化の時代に入ってしまっているのだと・・・

意表をつく二人のコメントに比べると、ユング派の重鎮のコメントは「主観は脳科学では扱えない」とか「人格の統合が確保されるか」などとやや歯切れが悪い・・・

たしかにサイボーグや脳科学の話はいまのところ自己や自我と言った心の領域には遠く、意識のうちでも身体機能や感覚入力といった領域に限られて入るようですが・・・
三者のコメントを比較していると心のプラットホームとしての意識の外延がこれほど変化を見せ始めている今・・・深層心理の話だけでは心の行く末についての説明力、展望力に欠けるのではないか?などと思ったり、おもしろくはあるがなんとなく跡付け理論といった感じがしていた「進化心理学」って言葉が急に気になり始めたりもした次第です。(2006.5.30)


なお、立花さんの番組連動ホームページはWebサイト“SCI(サイ)”の中で「NHKスペシャル補遺」http://sci.gr.jp/project/nhksp/としてまとめられています。
by c_mann3 | 2012-04-16 00:00 | クオリアとか進化論など | Comments(0)

◆「サブリミナル・インパクト」・・・

脳と心について面白い本が出ています。

題して「サブリミナル・インパクト」、下條信輔著、ちくま新書757です。副題が“情動と潜在認知の時代”とあり、著者は知覚心理学、認知神経科学がご専門のカリフォルニア工科大教授。

著者が統括する「潜在脳機能プロジェクト」の成果をふんだんに織り交ぜながら、CMやニュースに刷り込まれ自覚の無いままに踊らされていることの多い世相と、そうなってしまう脳(こころ)のメカニズムが余すことなく解説されています。
こころの構造を「意識」、「前意識」、「無意識」の三層構造ととらえていて、ますます過剰になる環境からの刺激の殆どは「意識」ではなく自覚の無い「前意識」に忍び込み意識を越えた動きをするということなのですが、なるほどと思ったトピックスをいくつか紹介させていただくと・・・

▼心が先か、体が先か
眼球運動を観測しながら顔写真を見てどちらか好きなほうを決めてもらうといった実験をすると、意識が結論を出す前に体が答えを出してしまっていることが解るとか・・・眼球の動きでわかる意識下の選択は最初はゆっくりと、そしてやがて雪崩を起こすかのように一挙に結論が絞り込まれ、その後で意識のレベルに報告書が上がるといった感じなのだとか。
意識はその報告をまるで自分が意図的に選択したかのように感じるため、意識がそれとは異なる選択をすることは難しいとのこと。

▼当初の報酬目当てから糸の切れた凧へ
人は進化の歴史の中で、最初はパブロフの犬よろしく外的な報酬を求めて脳機能をチューニングしてきたが、その反射プロセスの効率を追求していく中で、外的な報酬を待たずに脳内に内的な報酬機能を持つようになった。いったんそうなると後は糸の切れた凧のように内的な快を追及しはじめるとのこと。

▼意外と手抜きな記憶機能
一度行ったことがある場所でも道順を説明しようとすると具体的には説明できないことがある。にもかかわらず実際に現場に向かうと次々現れる風景に見覚えがあり迷うことも無い。現場では全て覚えていたかのような錯覚を起こすが、実は人はいろんな場面をパソコンが写真を取り込むかのごとくディテールの隅々まて覚えているわけではない。
人が持つ記憶はシーンの特徴、ランドマークといった形で保存されていてそれに合致する風景を見た瞬間にそのすべてを記憶していたかのように錯覚するようにできているのだと。人の記憶の特徴はすばやい外部記憶へのアクセスにあり、記憶のほとんどは実は外部の環境そのものなのだとも。

意識が自覚していないところで前意識はこうした種々の仕組みを持ち、意に反してそうなってしまうといった不都合の原因となるのだが、一方においてそれを乗りこえて生きていく上で不可欠な創造性の源泉もまた前意識の機能によるもの。
ということでこの本の最終章は創造性に割り当てられているのですが詳細はこのブログの創造性コーナーで▼稿をあらためてということで・・・(2009.2.21)
by c_mann3 | 2012-04-14 00:00 | クオリアとか進化論など | Comments(0)

◆赤ちゃんの言語野??

日立の技術紹介誌をパラパラめくっていて、面白い記事を見つけました。

なんでも日立が近赤外線を使って脳の局所的な血流変化を観測できる「光トポグラフィ」とやらを開発。fMRIなんかと違って、動き回る赤ちゃんなんかにも装着可能とか・・・

で、それを使って生後2~5日目の新生児に母国語の言葉を聞かせると左側頭葉の言語野にはっきりした反応が見られたそうです。
しかもこの言葉をテープにとって逆再生した音なんかには反応しない。ということで生まれたはかりの新生児がすでに言語野で言語処理をし始めていることが世界で始めて明らかになったとあるのですが・・・

この時点でなぜ母国語なのか、生まれたばかりの子に母国語も外国語もないんじゃないか?
それとも胎盤内にいるころからすでに母親の言葉を聞いていて言語野ではすでに母国語が特別なものとして蓄積され始めていたんだろうか?

それ以前の話として、言語野と称される部位が言語野として機能し始めるきっかけは、遺伝子の指示によるものなんだろうか・・・
チョムスキーの生成文法(ここでこれを持ち出すのはまずいか・・・だったら“生成文法的な機能”という意味で使うとして)は胎盤内ですでに出来上がっているんだろうか・・・

素人には・・・というか、素人だからなのか・・・ちょっとした紹介記事なんですが読むとワッと疑問が沸き起こってしまいます。なんか参考になるお話を聞かせていただけるとありがたいのですが・・・この紹介誌の記事は、下記のホームページにも載っていました。(2005.2.12)

http://www.hitachi.co.jp/Sp/TJ/2004/hrn0401/highlight15.html
by c_mann3 | 2012-04-12 00:00 | クオリアとか進化論など | Comments(0)

◆赤ちゃんの言語野・・・《続》

(2006/10/26記) 前掲の記事を書いて以来、ずっと赤ちゃんの言語野については気になっていたのですが・・・先日放映されたNHKスペシャル「あかちゃん、成長の不思議な道のり」を見て納得度が一歩前進しました。
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2006/1022/

前回の日立の技術誌ではイタリアの研究機関との共同研究による成果の紹介でしたが、今回は信州大学での話。前回と同じく母国語(今回は日本語)とそのテープの逆回しで比較すると結果は同じで母国語にのみ反応。ところが今回はさらに韓国語の母音識別の実験が追加され、なんと赤ちゃんはそれもバッチリ識別している模様・・・
どうやら生まれたばかりの赤ちゃんは母国語かどうかではなく、自然な言語なら何語によらず反応しているということのようです。

あわせて紹介されていたのですが・・・突然現れたなじみがある無し二人の人の顔に対する反応を調査した英国の実験では、赤ちゃんは大人と同じように初めて見る顔に強く反応するだけでなく、二匹のお猿さんの顔を見せても初めて見る顔には強く反応。対しておとなは、サルに対しては所詮サルということで、新顔もなじみの顔も識別できない。

ですが、こうした赤ちゃんの驚異的な識別能力は生後数ヶ月で急速に失われ、大人と同じような能力に退化していきます。

解説によると・・・生まれたばかりでこれから何語をしゃべり、どの人の庇護の下に生きていくのかが定かでない時点ではどう転んでもいいように広範囲な情報に反応し吸収していく。だがやがて親が特定され言語が決まってくると今度は一転、選択と集中の情報収集に転換。それまで念のために過剰に集めた情報(シナプスの結合)をどんどん廃却し始める。
プラスマイナスの結果として赤ちゃんのシナプスの量は生後8ヵ月あたりで生涯のピークを迎えた後、減少に転ずるということだとか。

光トポグラフィーの怪しげな帽子をつけさせられて無邪気にはしゃいでいるとしか見えない赤ちゃんが、実は脳内でとんでもない生存戦略を実行しているということのようです。
この戦略は様子のわからない市場に新規参入するときは全方位に向けて資源を分散させるが、やがて分かってくると選択と集中などと称してなりふりかまわぬリストラで資源効率を上げて一挙に勝負に出る企業の戦略と同じじゃないか・・・などと思ってしまいます。

そういえば個人のレベルでも、初めての土地に引っ越した当初は八方美人で周りの様子を窺い、気心の知れた仲間ができると逆に八方美人はよく思われないと仲間内第一主義にふるまいだす・・・なんて風景をよく見かけますよね。

どうやら社会や企業の構図に似たものが個人の生き様にも、そして人の脳のメカニズムにもある・・・まるでフラクタル図形を見ているような風景ですが・・・同じ構図がいろいろな場面で現れるのは、それを生み出すのが人間で、その人の脳の中にある原図がどんどん外界に向かって転写されるからなのかも・・・などと妄想を掻き立ててくれる赤ちゃんの不思議な脳の話でした。(2006.10.26)
by c_mann3 | 2012-04-10 00:00 | クオリアとか進化論など | Comments(0)

◆デカルトのあかちゃん・・・

いくつか上(にスクロールしたところ)の記事、「あかちゃんの言語野」から始まる赤ちゃんシリーズの第三弾、今回は図書館で出合った面白い本の紹介です。

ポール・ブルーム著、題して「あかちゃんはどこまで人間なのか」。原題を直訳すると“デカルトのあかちゃん”ってことなのですが・・・

脳科学などといったものが発達し身体と心の境界がますます怪しくなってきていますが、現代の科学や文明はデカルトが二元論を唱えて心と物を分離したからこそ、ここまで発達することができたことも確か・・・

そんなこともあり二元論は“大人の人間の高度な理性だからこそ生み出せた発想、論理”のように思われがちですが実は・・・
どうやら人間の脳は進化の過程で物事を二元論で考えてしまう癖を身につけてしまっているらしい。その証拠に赤ちゃんや幼児を観察しているとその証が見られると・・・そうだとすると、確かに“デカルトのあかちゃん”ですよね。

よく似た話として森羅万象をすぐカテゴライズし、一つ一つのカテゴリーに本質的な特徴が潜んでいるといったまるで構造主義を思わせるような発想も同じく進化の過程で染み付いた人間の思考癖、これも幼児の段階から見られる発想らしい・・・

さらには森羅万象の存在になぜか目的性を感じ、その背後にある意図を持って森羅万象をつくり賜うた「神」の存在を感じるなどという高度?な発想もまたしかり・・・ なんて話が次々と書かれていて・・・

どうやら幼い子供は教育を受ける以前の段階から意外に本質主義者で現実主義者、道徳主義者で二元論者。そしてその元は進化の過程でつかんだ脳内の組織構造ないし思考癖にあるということのようです。

もしかすると人はみんな等しくデカルトを彷彿とさせるあかちゃんとして生まれ、数十年をかけてゆっくりとただの大人に育っていく。そうした中で一握りの人たちが赤ちゃんの持つ資質を素直に成長させることでデカルトクラスの偉人となるということなのか・・・などと妙に納得させられてしまう本でした。

ただあえて付け加えると、現代のデカルトが悩ましいのはDNAとして脳内に引き継いだ資質を素直に開花させた上に、さらに絶妙に取捨選択した文化的遺伝子ミームを加味し、そこからもう一歩前進しなければならないってことなのかもしれませんね。(2008.1.10)
by c_mann3 | 2012-04-08 00:00 | クオリアとか進化論など | Comments(0)

◆職場を求めて移動する神経細胞?

前掲の《赤ちゃんの言語野》を書いた後、気になっていたこともあり・・・フロイド・E・ブルームの「新・脳の探検」上、下(ブルーバックス)を拾い読みし始めました。カラーのイラストが多くて、脳の仕組みが微にいり細にいり・・・難しいですが、面白い本ですね。

赤ちゃんの言語野がどうしてその場所で言語野となるのか?なんてわけのわからないことを書きましたが、この本によると何と・・・
ある程度まで増殖した神経細胞は自身の役割に応じた場所に自身で移動していく、そしてその場所で増殖をやめてニューロンとなり、後は絡まりあって成長していく・・・そして間違った場所にたどり着いてしまった細胞はおおむねアポトーシスとか言って周りの邪魔にならないように自滅していくとのこと。

これを“会社組織などの人の集団と個人”に重ねてみますと・・・何とも身につまされる恐ろしい話です。
ですが、なるほど・・・言語をつかさどるべくプログラムされた細胞はおのずと言語野に集合し、似たもの同士が絡まりあって威力を発揮し始める。それになじめない場違い者は消滅し、結果としてヒュアな言語野が誕生するということか・・・なんとも不思議な、よくできた話ですよね。(2005.2.12)
by c_mann3 | 2012-04-06 00:00 | クオリアとか進化論など | Comments(0)

◆爬虫類脳の奇妙なリアリティ

「脳幹」・・・少し前のことですが、“ジュラシック・コード”と題したテレビの番組で脳幹について面白い解説がありました。

脳幹は地球上の生命体が進化の過程で恐竜等の爬虫類まで進化した時点で手に入れた脳とのこと。
そのあと発生した哺乳類も霊長類も爬虫類時代の脳を機能も形もそのまま継承していてそれが脳幹とのことでした。で、つけられた別名がなんと「爬虫類脳」。

人類の脳はその脳幹の周りを大脳辺縁系とか新皮質でオーバーレイして成り立っている。
番組によると爬虫類脳(脳幹)は本能をつかさどり生命の源であるが何をしでかすかわからないところもあり、大脳の意識作用によるコントロールとの勢力バランスが大事とのこと・・・

ところで・・・意識が大脳の働きだとすると脳幹が担うものは無意識ということになるのでしょうか。
意識作用との勢力バランスが大事というのもなんとなく無意識を感じさせます。

無意識が太古を継承した脳幹の作用だとすると・・・“ユングの普遍的無意識”に太古に通じるものがたっぷり含まれているのも無理からぬことなのかも・・・などと冗談めいたことを思ったりもするのですが。
もっともユングの元型に出てくる太古はせいぜい神々の棲む神話の時代・・・爬虫類が闊歩するジュラ期まで遡るとなると・・・ちょっと古代過ぎますよね。

それにしても「爬虫類脳」、これって面白いネーミングですよね。中身も面白くて、いろいろと話を聞いていると、どんどん引き込まれていきます。心が荒れ狂い意識とのバランスを失いかけたとき・・・人の表情は口元も目元も釣りあがり・・・なんとなく爬虫類そっくりに見え始めるのも不思議です。


ところで最近、脳科学とかいったジャンルに興味を持ち始め、いろいろと本を眺めたりしているのですが・・・・前掲のブルームの本のように、カラフルな図説入りの脳科学の本を読んでいると奇妙な感覚に襲われます。

目の前のイラストに出ている脳細胞やもつれきったシナプスが実は自分の脳の中にある。で、目の前のイラストを理解しているのがその図そっくりの構造をした自分自身の脳・・・
まるで四方が鏡の部屋に紛れ込み、自身の姿を何重にも見ているような不思議な感覚です。

ついで、決まっておぼえる不安が・・・やがて自身の脳が壊れ始める日が来ると、目の前の脳のイラストも理解できなくなる・・・・
せめて脳の本だけは、まだ脳がそれなりにしっかりしている間に読んで脳裏に焼き付けておかなければ・・・なんていうほとんど意味不明の妄想にかられたりするのは私だけなんでしょうか?(2005.10.15)

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(2007.7.4追記)どうやらこの爬虫類脳の話は「ポール・マクリーンの脳の三層構造説」の中の一層ということのようです。詳しくは下記のサイトに・・・
http://charm.at.webry.info/200506/article_5.html
by c_mann3 | 2012-04-04 00:00 | クオリアとか進化論など | Comments(0)

   ・・・次は・・・

      ◆次は「脳」の続き、そして「オートポイエーシス」等について・・・⇒⇒


by C_MANN3 | 2012-04-01 00:00 | クオリアとか進化論など | Comments(0)