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◆区分別読書の履歴・・・《心理・認知科学系》

 ◆区分別読書の履歴◆   心理・認知科学系 

区分けの境界はあいまいですが、スクロール上下で各区分も見て頂けるということでご容赦を!


◆「無境界」・・・自己成長のセラピー論 H24/10読

ケン・ウィルバー著、平川出版社、1986。太古の昔、①ヒトは宇宙とも自然とも一体の感覚の(無境界の)中で生きていた。だがやがて、②自然界と自分を(間に境界を設けて)別物と認識するようになった。だがこの時点では心身はまだしも一体であった。それがやがてさらに境界を設けて、③心と体は別物と認識するようになる。そしてさらに、④その心でさえも一つではなく無意識(影)とペルソナの間に境界を設けて今に生きている。
人は境界を増やすごとにその向こうとの交流を失い、ないがしろにした向こう側からの反撃を受け、軋轢を増やすこととなった。軋轢を力づくで乗り越えようとするヒトのエネルギーは文明進歩の源てはあったが、一方において病む原因を増やすことにもつながるものであった。
そしてあくこと無き文明の進歩の一方で広がる病みを解消しようとして、ヒトは次々とセラピーを編み出してきたが、それらは幾重にも重なり複雑に入り組む迷路のごとき状況である。

で、あまたのセラピー群を“どの境界の解消を目指したものか”で一気に整理し、それを辿っていくことで本来の無境界の世界へと回帰できることを示そうとしたのがこの本。
まずはカウンセリングや支持療法が④の“無意識とペルソナの境界”を解消する。続いて精神分析や交流分析が③の“心と体の境界”を解消し、ロゴセラピーや各種の人間性心理学が②の“自然界と自分の境界”を解消。そうしたステップを経て、ついには大乗仏教や道教を始めとする各種宗教が指し示す最後の①の“無境界で統一意識の世界”に到達することができるのだと・・・
心理学も宗教も一括した、なんとも壮大な構図の本なのですが、この本には面白いフレーズが出てきます。そんなふうに境界をなくし対立を消していくと(対立があればこそ生まれる)進歩への衝動はどうなるのかとの疑問が湧いてくるがと自問自答し、結果は衝動は無くなるだろう、だが進歩が幸せを生むという幻想に基づく不満もなくなるに違いないと言うのですが・・・

◆レキシコンに潜む文法とダイナミズム H27/10読

由本陽子著、開拓社刊。レキシコンとはヒトが心の中に持つ「心的辞書」のこと。その中核は母語に関わらず普遍的で生得的なものであり、だからこそ赤ちゃんは活用や文法の詳細を教えられるまでもなく、爆発的に語彙を膨らませながら活用し縦横無尽に言葉を操るようになる。
その動詞はいくつの項(目的語や補語)を必要とするか、名詞や動詞が互いに転用される際の規則は何か、派生語や複合語が生み出される際の制約は何か、そしてそれらは単純に割り切れる文法規則なのか語彙によってダイナミックに変化するものなのか・・・心的辞書にはそうしたことがぎっしり詰まっているとのことですが、この本ではその心的辞書が持つ構造を日本語と英語を対比しながら次々と解説してくれています。

ところでこの心的辞書の構造がほぼN.チョムスキーの「生成文法」そのものなのだと・・・
昔からチョムスキーの「生成文法」については気になっていながら本も読まずに過ごしてきたのですが、この一冊で長年の喉のつかえが下りた感じです。そしてこの本、期せずして放送大学のスクーリング授業のテキストとして遭遇したために、なんと著者の二日間にわたる熱のこもった講義付きで、感動的な出会いとなりました。

◆オープンダイアローグとは何か H27/10読

齋藤環さんがtwitterで頻繁に話題にされているのを見て手にしたのですが・・・齋藤環著+訳、医学書院発行のホットな本です。オープンダイアローグとは薬物治療で事に当たるのが常識の統合失調症を、薬に頼らず家族を含めた関係者の徹底した対話で高い治癒率を達成しているフィンランド発祥の治療体系とのこと。
本の前半では齋藤さんご自身の執筆で、強い思い入れの溢れる文章の紹介があり、その後翻訳された関連文献が三篇続く構成となっています。モノローグをダイアローグに・・・依頼があると24時間以内に患者、家族を交えたダイアローグを開始し、薬は極力使わず危機が解消するまで毎日ミーティングを繰り返す・・・
関連文献では生々しい会話の様子も紹介されていますが、この療法の背景には社会構成主義、オートポイエーシスといった深遠な哲学的基盤があり、その解説も丁寧にしてくれていて感動的な一冊です。

是非お勧めの本ですが、手に入るのが待ちきれないという方には斎藤さんの序文がこちらに・・・  http://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=87749

◆ユングの「哲学の木」 H24/2読

この本は錬金術と深くかかわるとかで、何やら神秘的な雰囲気が漂っています。心の奥に漂うイメージを自問自答の瞑想でくみ上げ(このプロセスをアクティブ・イマジネーションと言う)樹木の絵として表現すると、無意識にひそむ表象が浮かび上がってくる。
曼荼羅が心の表象の横断面を表したものに対して、木の絵は表象の縦断面を表していて、自己との遭遇と変容に至る未来への道筋を表しているとのこと。そのためか、この本ではいきなり32枚の絵とそれへのユングの解説で始まり、その上でアクティブ・イマジネーションという工程が実は錬金術師の瞑想のプロセスときわめて類似といった本文につながっていくことに・・・

なお巻末には訳者(工藤昌孝さん)が樹木のイマジネーションの変化を心理臨床に適用した事例が添付されています。カウンセリング中に書かれた「木」の絵と、その絵が進展に伴って変化していく様子がぎっしりと解説されているのですが・・・こうした話は自分自身が一度そうしたカウンセリングを受け、心的変化のプロセスを経験してみないと深い理解には繋がらないのかもしれない・・・などと思ったりもした一冊でした。

◆ユングの「赤の書」 H22年/立ち読み

この本は買って手元にあるわけではありません。なにしろ大きくて重くて、とんでもなく高価。発売当時、とある書店でたぶん発売記念か予約受付だったかで・・・とにかく仰々しく飾られたコーナーで見開きで鎮座していたこの本を、恐れ多くもパラパラと捲って仰天したことを覚えています。

なんでもユングが苦しんでいた時代に書かれた原稿が銀行の金庫にしまわれ門外不出になっていたものがやっと解禁され出版にこぎつけたとのこと。真っ赤な表紙(だから「赤の書」と)で開くと、本文はドイツ語の花文字、そして随所に神秘的な絵が挿入されていて、まるで中世の秘伝書といった趣でした。
日本語訳は巻末に一括して付けられていて、ユング研究には必須の本とのことですが・・・私などには、ちょっと触れてため息をつくだけで十分なのかも。
この本、詳しくはこのホームページで、またその中に数ページが覗き見できる“本文見本pdf”のコーナーがありますので、よろしければ閲覧を。
   http://www.sogensha.co.jp/special/TheRedBook/


      
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by C_MANN3 | 2015-02-20 00:00 |  ・・・風にまかせて・・・ | Comments(0)

◆区分別読書の履歴・・・《進化・生命科学系》

 ◆区分別読書の履歴◆   進化・生命科学系 

区分けの境界はあいまいですが、スクロール上下で各区分も見て頂けるということでご容赦を!

◆生命 最初の30億年 H28/4読

友人に勧められて手にした本なのですが、アンドルー・H・ノース著、紀伊国屋書店、2005年刊。副題が“地球に刻まれた進化の足跡”とあり、この本は35億年前のこの地球に生命の痕跡らしきものが見え始めたころから、5億年前のカンブリア爆発までの、最初の30億年の間の生命の進化を解き明かしていくドラマチックな構成の大作です。

カンブリア紀以降に比べると格段に物的資料の乏しい空白の期間なのですが、世界の極限の地を踏査し太古の環境の名残や微化石を追い求め、層序学、放射性同位元素による年代測定、DNAやRNAのかけらに分子時計を当てはめた生命系統樹の分岐点推定、さらには太古に類似の環境で生息する太古と類似の現生微生物の分析と、あらゆる手段を組み合わせて生命進化の謎解きをしていくプロセスが克明に描かれています。
その中で地球環境が生命を生み、生命が環境を変える(例えばCO2やO2の濃度なども一例かも)、地球と生命は正に共進化してきた関係なのだといった味わい深い話も随所に出てきます。
ただこの本自体は原著が2003年に発行されたものであり、今となってはこうして解き明かされた答えは既に教科書にもまるで自明のことのように淡々と箇条書きされている事項も少なくないのですが、この本ではそれに至る大変なプロセスが今なお残されている課題や異論と共に描かれていて、机上で教科書の箇条書きを丸呑みしてしまっている自分がちょっと恥ずかしくなったりも・・・

ともあれ最も古い祖先と思っていた古細菌は実は新しくてもっとその手前がある、DNAが生まれる前にはRNAワールドがある・・・わかればわかるほど、その先が解らなくなるこの世界に分け入っていくにはこの本に描かれているようなドラマチックなプロセスが更に果てしなく必要のようです。


◆エピジェネティクス H27/12読

仲野徹著、岩波新書1484、2014年刊。ひとつ山を越えると次の山が見えてくるということでしょうか。
DNAが分かればすべてが分かる、そう願って全ゲノム解読の山を越えてみると、そのDNAは自由気ままに発現できているわけではなく、そこには発現制御機構というもう一つの山が立ちはだかっていた。その機構がエピジェネティクス、そのひとつはDNA個々の要所要所に取りつくDNAメチル化、そして長いDNAを保持しているリールのようなヒストンに加えられた数々の修飾。DNAは解読されタンパク質に翻訳されてはじめて人体を構成していくが、そのDNAにまとわりつくエピジェネティクスはまるで膨大な文字列の本に挟まった"しおり"やアンダーライン、伏字、塗りつぶしとなって解読(発現)を制御していく。
しかも細胞分裂に際してはDNAと同じくエピジェネティクスの情報も引き継がれていく。しかし突然変異以外では変わらない安定したDNAに対してエピジェネティクスは体内外の環境の影響を受けダイナミックに変化する存在でもある。

この本ではDNAメチル化、ヒストン修飾といったエピジェネティクスの機構が分かりやすく解説された上で、同じDNAを持った一卵性双生児が環境が異なるとやがて異なる発育を見せる、よく似たDNAを持った兄弟や親子でも同じ部位で発癌するかどうかは異なる・・・そういったエピジェネティクスが支配している現象が次々と紹介されていきます。
エピジェネティクスは今、時代の最先端のホットな領域であり、その分センセーショナルに扱われやすい領域でもあるとのことですが、その詳しい解説だけでなく、著者のこの領域への篤い思いと科学者としての冷静な目線が伝わってくる感動的な一冊でした。


◆破壊する創造者 H27/10読

フランク・ライアン著、早川書房2011刊。“生物の進化は突然変異と自然淘汰の積み重ねによるもの”と言われても、何か都合がよすぎる感じがしてもやもや感が払しょくしきれない中で出会ったのがこの本。

この本によるとその副題、“ウイルスが人を進化させた”が示す通り、進化の源泉はウイルスの進入と共生の積み重ねによるものだと。確かに私たちを含む動物や植物の細胞はミトコンドリアや葉緑体の進入を受け共生するようになったことで飛躍的な機能を手に入れたが、それは突然変異じゃないですよね。もちろんミトコンドリアや葉緑体はウイルスではないが、それよりもはるかに進入(感染)力の強いウイルスはもっと頻繁に進入し続けその痕跡がDNAのイントロンやLINE、SINEといった領域にはぎっしり蓄積されている。

ウイルスが侵入し宿主と共生しようとすることを攻撃的共生というらしいですが、その第一段階の攻撃を受けると宿主側は免疫力等で防御はしてみても結果的には99%以上が死滅する。そして絶滅の一歩手前で相利的関係を築いて共生関係に入る。その結果生き延びた宿主の側は新たな機能を手に入れて再度繁殖する。そういったことを繰り返して今に至っているということのようです。種の一部の個体に突然変異が発生しそれが交配によって子孫に拡がって行くとの話に比べると、ウイルスは特定の種にくまなく一斉に襲い掛かり、しかも種のDNAに直接影響を及ぼす分、特定の種の進化の説明としては納得しやすいものがあることは確かです。

とはいうもののこの本、不慣れな私などには難解なところも多く、ちょっと今の時点では消化不良の感じはぬぐえませんが・・・哺乳類が胎盤を手に入れた経緯等、ウイルス由来と思われる進化の事例等も豊富に解説されていて、読んでいて説得力があり、繰り返して読んででも理解を深める価値はありそうな一冊です。

      
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by C_MANN3 | 2015-02-18 00:00 |  ・・・風にまかせて・・・ | Comments(0)

◆区分別読書の履歴・・・《グローバル経済・経済史系》

◆区分別読書の履歴◆  グローバル経済・経済史系 

区分けの境界はあいまいですが、スクロール上下で各区分も見て頂けるということでご容赦を!

◆資本主義の終焉と歴史の危機 H29/1読

水野和夫著、集英社新書0732、2014年の刊。ただ事ならぬタイトルの本ですが、日々のニュースに現れる事変や相場に一喜一憂していては見えない歴史の本質を400年スパンの金利の変化でひも解いてくれていて、しかも不気味な説得力がみなぎっている本です。

この本によると・・・資本主義は(国や地域、産業分野といった)中心と周辺から構成され、中心が利潤率を高めて資本の自己増殖を推進するシステムであり、それが機能し続けるためには常に新たな周辺の確保が必要。
大航海時代にはじまり空間としての周辺を広げてはきたが、途上国が成長し新興国になれば更なる周辺が必要。だが21世紀を迎えた今、もはや地球上に新たな実空間としての周辺は見当たらない。
資本主義の始まりはフィレンツェで利子が容認されるようになった12~3世紀と見ることができるが、以来利子率の長期低迷が続くとその都度新たな周辺が切り開かれてきた。

投資先である周辺を失えば金利はおのずと下がる。そうした歴史の中でもっとも最近の1990年代の利子率低下時代を突破するために生み出された新たな空間がグローバルでバーチャルなな電子・金融空間であったが、それは必然的にバブル生成と崩壊を繰り返す性質のものであった。
そして崩壊の度にバブルをあおった側の巨大金融機関は公的資金で救済される一方で、一国の中では中間層がローン破綻やリストラにあい貧困層に転落、国家のレベルでは債務破綻国が生みだされて格差を広げていく。気が付けば遠くの地に求めるはずであった周辺が、中心であるはずの国や地域の内部に形成されつつあり、それがたとえば日本では非正規社員層の出現であり、EUではギリシャ問題である。

資本が利潤を生む空間を失えば資本主義は行き詰る。そしてそれが格差の拡大や中間層の崩壊を伴うものであれば民主主義に基づく国民国家の基盤も失う。資本主義の終焉とは近代の終わりであり、西欧史の終わりでもある。
金利の長期低下は資本主義終焉のバロメータであるが、そうした中で日本が世界に先駆けて到達したせっかくのゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレ。このアドバンテージを利用して日本は“定常状態、脱成長という成長”を模索して歴史の危機に立ち向かうべきなのだが、それにう抗い成長路線に先祖がえりしようとすることは沈没を早めるだけなのだと・・・
ではこの危機を乗り越えソフトランディングする新たな処方箋とは何か、実は著者ご自身も明確な答えは持ち合わせていないとのことなのですが、この本の構図を念頭に置いておくといま世界で巻き起こっている現象が理解しやすくなることは確かです。


◆問題は英国ではない、EUなのだ H28/12読

エマニュエル・トッド著、文春新書1093、2016年の刊。この本は英国がEU離脱を決定し、米国ではトランプ旋風が巻き起こる中で出版されたエマニュエル・トッドの新著。

EU離脱については既にそれを予見していた著者にとって当然の帰結であり、強引に推し進められるグローバリゼーションに疲弊する世界の中で巻き起こったネイションへの回帰なのだと。
今回の英国のEU離脱、そして米国のトランプ旋風・・・それは世界中をグローバリゼーションの渦に巻きこみ込んだ火元の国でさえもが、人・物・金の見境のない流動による弊害が耐え難い状況に至ったことを示している。
そうしたこともあり今回EU離脱に至った要因については移民の急増や経済格差が言われているが、実はもっと重要な動機は英国議会のEUから主権を回復することにあったことが投票の出口調査からもうかがえ、それは英国が世界に先駆けて"近代”の扉を開いた“名誉革命”へ回帰とでも呼ぶべきものであると・・・

EU離脱を決めた英国はいま戸惑っているようにも見え、次は連合王国の分裂かともいわれているが、そんなことにはならず、時間はかかるかもしれないが広大な英語圏諸国との絆を深める中で英国は再び確固たる地位を再構築するに違いない。

では一方のEUはどうなるか・・・超国家を目指して突き進んできたEUは益々構成国の国家主権の垣根を低くしEUとしての官僚組織を肥大化させる傾向にあるが、そうした中で経済政策、移民政策等で益々理想主義を貫こうとするドイツに対して、今までは仏・英が歯止めの役割を果たす微妙なパワーバランスの上に成り立っていた。
だが今後は英国の援護射撃を失ったフランスがドイツの歯止めとなることは難しく、おそらくは益々ドイツ色の強いものとなる。そこでドイツが理性的にふるまわなければあちらこちらで超保守が台頭し、構成国のネイション回帰が始まり分裂する可能性もある・・・というのがトッドさんのお見立てのようです。

ところで著者のE.トッドさんは歴史人口学者で家族人類学者。この本の後半ではご自身の血筋やキャリアの中で一連の著作を世に問うに至った思索変遷の経緯が回顧され、併せて人口学や家族の形態比較の視点から見た歴史の様相が解説されていきます。

外婚制共同体家族を基盤とする国家とかつての共産圏は分布が重なる。ベトナムは共産主義化したがとなりのタイは母方同居を伴う核家族をベースにした社会だったために共産主義には染まらなかった。その共産圏が崩壊した際も核家族型のポーランドや直径家族型のチェコはスムーズに共産主義を脱したが、中国やロシアは今後も尾を引きずると。また直系家族の社会は国家機能を内包しているがゆえにとりたてて国家を必要としないとか、核家族の社会は個人主義を発達させるが実は個人主義ではみ出したものを補完するためにかえって確固たる国家を必要とする、はたまた内婚制共同体家族のアラブではもともと国家形成が困難なのだ等々・・・

そしてこうした見方の延長線として2030年代の世界を展望する章へと続くのですが、読み進めるうちにこれからもE.トッドさんの予見が現実のものとなる場面は種々出てきそうな気がし始める貴重な一冊でした。

◆ウォーラーステイン H28/10読

川北稔著、講談社選書メチエ222、2001年の刊。経済史の本を読んでいると必ず出てくるウォーラーステイン著の「近代世界システム」。一度は読まなければとは思ったものの分厚い全4巻の大著でしかもさらに第5巻が予定されているとのことで、それを読むのは大変と手短な解説本を探していて手にしたのがこの本。

著者の川北さんは学生時代にウォーラーステインの著作に接して感動し、そのままウォーラーステインのもとへ留学し「近代世界システム」全巻を訳された方。
まずはウォーラーステインの「近代世界システム」の要点、論点を箇条書きの6項目としてたった2ページに要約してくれていて思わず納得。ですがウォーラーステインの神髄はむしろその定番の6項目に至る思索のプロセスにあると。

例えば世界システム論の特徴の一つには世界を保守と革新、先進国と後進国といった二項対立でとらえることに異を唱え、対立しているかに見える二項は実はセットで互いに役割補完のシステムを生成してしまっているというのがあるのですが・・・こうした観点は米国生まれのユダヤ人であるウォーラーステインが研究活動に入って以降のアフリカの経済開発との関わり、1968年の世界規模で巻き起こった反体制学生運動への大学側の立場での関わり、そしてその後のブローデルの「地中海」との遭遇と続く経緯の中で少しずつ確信を深めて「世界システム論」として集大成されたものなのだといったことが解説されていて、ウォーラーステインの著作を理解し納得するためには大いに参考になりそうな一冊となっています。

◆世界システム論講義 H28/10読

川北稔著、ちくま学芸文庫、2016年の刊。上掲の「ウォーラーステイン」に続いて同じく川北さんの著作ということで手にしたのがこの本。
こちらはタイトルがずばり「世界システム論」とあるように、文中にウォーラーステインの名は出てきませんが、まぎれもなく“(近代)世界システム論”そのものの全容を15章にまとめてくれています。この本はもともと2001年に放送大学の15回分の講義のテキストとして執筆されたものとのことで、凄く読みやすい構成となっている有難い一冊です。


      
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by C_MANN3 | 2015-02-17 00:00 |  ・・・風にまかせて・・・ | Comments(0)

◆区分別読書の履歴・・・《歴史・思想系、その他》

 ◆区分別読書の履歴◆   歴史・思想系、その他 

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◆大阪アースダイバー H29/2読

中沢新一著、講談社、2012年の刊。5千年の昔、大阪の地はほぼ全域が河内潟の底にあり、そのほとりには縄文人が住む世界であった。以来数千年、川が押し出す土砂は洲を広げそこをめがけて色々な由来と文化を持つ渡来人たちが層をなして住み着き、大阪の地は都市と文化を形成していく・・・
この本はその5千年にわたる都市形成のプロセスを神話、考古学、人類学、歴史学、民俗学とあらゆるものを駆使して語り上げた壮大な歴史物語です。

都市の形成にはいろいろなタイプがある。京都は中国由来の思想で人工的な南北軸を中心に形成されたが、東京は皇居を権力の中心として円環状に発達してきた都市。対して大阪は河内潟の縁の東西線上に自然発生的に形成されてきたことに特徴がある。それは太陽の運行、生命の生と死を基本とする自然観に基づく軸であり、軸上には太陽や生死にかかわる墳墓や社が配置されていった。
だがやがて5~6世紀の頃になると潟に突き出し南北に延びる上町大地の上に王権に纏わる南北軸が現れる。その両軸の和合を願って作られたのが四天王寺であり、そこにそびえる仏塔は両軸の交点で天に向かって伸びる垂直軸なのだと・・・

この本では漫才や浄瑠璃といった芸能、商人の町、墳墓、はては歓楽街やラブホテルの特異な集中スポットの由来といったことが次々と民俗学風の語り口で解説されていきますが、その一つの難波資本主義の由来も面白い。
古代の社会ではモノは全て贈与の形で取引され、モノと共に人格や相手への思いが重なって取引されることで深まっていく“縁”の世界であった。そこに現れたのが遅れて渡来してきた海人。当初は神社へ供え物を取り仕切っていたがやがてその余剰を市を開いてさばくようになった。このモノは神様への供え物が由来のため、人格や思いとは無縁で無機質な貨幣価値だけを持ったものとして交換されていく。これが商業、さらには資本主義の発端でありそこでは縁は断ち切られている。だが縁に変わるものとして生み出されたのが信用、暖簾であり、取り立てには厳しいが利益を社会に還元する(無縁を超える)超縁の世界なのだと。そしてこの話が現代の疲弊した資本主義にもおよび、超縁を結ぶことを忘れてただの無縁に終始しするのは本来の姿ではないと・・・

ところでこの本、読んでいてどことなくNHKの番組のブラタモリを思わせる雰囲気が漂っているのが気になり、調べているとありました。なんと「ほぼ日刊イトイ新聞」で糸井さん、タモリさん、そして著者の中沢さんがアースダイバーを話題に延々と盛り上がっている様子が掲載されていましたので、そのリンクを下記に。
    https://www.1101.com/nakazawa/2005-09-20.html

◆中東から世界が崩れる H29/1読

◆イスラム国の野望 H28/10読

 この2件はまとめて “イスラムの国あれこれ” のコーナーに移設ました。

 
◆民族という名の宗教 H28/10読

なだいなだ著、岩波新書204、1992年の刊。そういえば著者のなだいなださんがお亡くなりになってもう三年、そんな思いもあり手にした本なのですが・・・

この本では人類が始まって以来の、人が集い群れを成しその群れをだんだん大きくしてきた中で、人を集めて束ねる力は何だったのかといったことが、軽妙な語り口でつづられています。
まずは親族で集まり、それが氏族の集まりとなり、やがて民族の単位となり、さらには国家や国家を超えてつながる帝国、宗教圏、(社会主義や資本主義の)陣営へと人はひたすら大きくまとまることで覇を競ってきた。そしてその都度、その規模に見合った凝集力を高めるための旗印、信仰、儀式、教義を生み出してはきたが、それらはいずれも考えてみると根拠があいまいで集団幻想ともいえるものでもあったと。

例えば血縁を基にしているとはいえ氏族集団ともなると家系を辿った血縁関係はあいまい。また国民国家意識を高揚させるとは言っても構成民族は複雑で文化も入り混じり、アメリカ人とか中国人とかいった人種がいるわけでもない。従って国家や陣営といった上位概念の集団はいったんほころび始めるといとも簡単にもとの民族意識や氏族意識の世界に戻ってしまう。
この本はソ連邦が崩壊し社会主義の束ねが外れ、ユーゴスラビアに代表されるようにソ連周辺国が一挙に民族意識の世界に回帰し、紛争が多発する中で書かれたこともありその説得力には思わず引き込まれてしまいます。

ともあれ一時は世界の半分を束ねた社会主義なるものが崩壊し、その主義がもはや無用の長物、粗大ごみとして捨てられようとしている真っ最中にあって、なんとなだいなださんは"いや捨てるのはもったいない、この主義が持っていた力の何某かはリサイクルが可能”と。

このムーブメントは「万国の労働者よ団結せよ」とのスローガンの下、一時とは言え民族や国家を超えた連帯を成しとけたことは事実。このスローガンの「労働者」の三文字を何かに置き換えるならこのシステムの再利用は可能なのではないかということのようです。
さてこの三文字を何にするか・・・なだいなださんは生前「老人党」を結成しておられたのですが・・・だとすると「万国の老人達よ団結せよ」を旗印にすると、また新しい地平が見えてきたりするのかもしれません。

◆シルクロードと唐帝国 H28/9読

森安孝夫著、講談社“興亡の世界史05”、2007年の刊。1千年紀の中央ユーラシア、そこでは北の草原から次々といろいろな遊牧騎馬民族が台頭し、それが南の農耕民族と遭遇することで対決や共存を繰り返えすとともに、シルクロードを支配する商いの民もまた東西の文化の交流や文物交易を担うことで影響力を強めていく・・・この本ではそうした様子がダイナミックに描かれています。

中央ユーラシアとはバイカル湖よりさらに東の大興安嶺からアラル海、カスピ海を経て黒海北岸のウクライナ平原までを貫く領域であり、その東西を貫くように草原と砂漠のベルト地帯が続いているが、そこは遊牧地帯、農耕地帯とその交雑地帯が層をなして連なる地帯でもある。そしてこの交雑地帯こそは北の遊牧騎馬民族と南の農耕民族が出会い、衝突と融合を繰り返す中で色々な民族や文化が入り混じった隋や唐のようなグローバルで世界帝国ともいうべきものが興亡を繰り返す国家揺籃の地であった。

そしてそこではシルクロードが大きな役割を果たしていた。シルクロードとは“天山山脈の近辺を数本走る西域への道”と言った程度のものではない。中央ユーラシアのほぼ全域にわたって東西のみならず南北にも枝を広げて多様な文物や文化が行きかう面的なシルクロードネットワークとでもいうべきものであった。そしてそこで縦横無尽の活躍をしていた最大の勢力がソグディアナを故郷とするソグド人であったが、シルクロードの隅々にまでコロニーを持ち、ただ商いに長けるだけではなく高度な情報力やキャラバン自衛由来の軍隊を有し、いろんな民族との交渉力を兼ね備えた集団であった。そのため自身で国を作り覇を競うことはなかったがあらゆる勢力の奥深くに浸透して影響力を発揮し、色々な国家が興亡を繰り返してもソグド人のみは影響を持ち続ける存在であり続けた。

だがそのソグド人も1千年紀の終わりごろには姿を消していく・・・しかしそれは大河がやがてたどり着いた砂漠にしみこみ姿は消すが伏流水となって流れ続けるのに似て、滅亡ではなく中央ユーラシアの隅々に融解していった帰結である・・・一方唐帝国の方は安史の乱以降はもはやグローバル帝国の様相はなく、金で国家の輪郭と安寧を買うただの国家になりはててしまった・・・などといったことがたっぷりと描かれていて、中国視線のアジア史とは全く趣の異なる壮大で感動的な一冊でした。

◆多神教と一神教 H28/9読

本村凌二(りょうじ)著、岩波新書967、2005年の刊。太古の昔、人がまだ意識や自我を持たなかった頃、人は耳元にささやきかける神々の声に従い神々と共に生きていた。だがやがて意識や自我の芽生えと共にそのささやきは聞こえなくなり、変わりに人は自身の意識の中にその気配を探し求め言葉に載せることで人々と共有するようになった。

副題に“古代地中海世界の宗教ドラマ”とあるようにこの本では、メソポタミア、エジプト、そしてギリシャからローマへと続く人類と神々のかかわりが解説されていきます。
(以下は勝手な要約で恐縮ですが・・・)幾多の民族や部族が交流と興亡を繰り返す中で、民族により名は違えども同種の神は収斂し、統合されていく。そうした中で人々はやがて神々の背後にあってすべてを取り仕切る全能の神をイマジネーションするようになる。それは概ね太陽神とそれに寄り添う女神の形をとることになるが、全ての源で威厳はあるが親しみにくい全能の神とは異なり、それに寄り添い包容と慈愛い、そして豊穣を担う女神の存在は人に神への親しみと安らぎをもたらすものでもあったに違いない。

だがそうした中で一部のあまりにも過酷な運命を生きる民族の中から、女神の慈愛などは待てないと全能の神に“己を律して生きるなら救済してくれるか”とばかりに直談判の契約に及ぶものが現れた・・・旧約、新約の一神教はそうして生まれたものではなかったかと。言われてみるとこうした一神教では女神的なものが弱く、ともすれば慈愛や寛容よりも父性的な戦いに明け暮れてきた感はありますよね。

また著者は一神教が成立した頃がアルファベットが生まれた時代に重なることに注目し・・・幾多の事象を象形文字であらわすヒエログラフは一つ一つの文字に言霊が宿るために幾多の事象を表そうとすると数千種にも及んでしまう。対して個々の言霊は一旦切り捨てたった30個ほどのアルファベットで森羅万象を表現する全能の表音文字を生み出したプロセスは、個別具体の事象を担う神々を全能の神として抽象化していく過程と同じ心的なプロセスではなかったかとも。
この本はしなやかな文章で独特の雰囲気が漂う、まさに5千年に及ぶ壮大な心の考古学です。
 なお“多神教、一神教”については他にも一塊の記事が別コーナーに・・・ 


◆古代都市平城京の世界 H28/8読
◆道が語る日本古代史/◆古代道路の謎 H28/8読
◆道路の日本史/◆完全踏査古代の道 H28/8読
 この3件はまとめて “日本の昔、あれこれ” のコーナーに移設ました。

◆古代飛鳥を歩く H28/6読

千田稔著、中公新書2371、2016年の刊。仏教伝来を始め大陸の文化文明が押し寄せる中、政変を繰り返しながらも日本の形が整いつつあった時代の飛鳥、天皇が代を変える度に宮を遷しはするが飛鳥を大きく外れることはなく、やがてそれを集大成するかのように藤原宮を造営するに至った飛鳥の時代。
この本はその日本の原風景ともいえる飛鳥の地への想いをエッセイ風にまとめてくれています。場所や事変の折々を題材に76の章立てで構成されていて、各章はカラーの写真1枚を含んで2ページで完結の簡潔な構成となっており、読み進めるうちに事変や天皇名が箇条書きされただけの歴史の教科書ではつかみにくいこの時代の風景が浮かび上がってきそうな一冊です。

著者曰く。外国の文化文明を吸収し日本を形作っていく様子は、明治を含めた近代によく似た姿ではあるが、和魂洋才と称してその背景としての精神性の導入までには至らなかった近代に比して、飛鳥の時代には目に見える文化文明だけでなくその背後にある心(一つには仏教)をも吸収し、それを為政の徳や生きる指針としようとした日本人の真摯な姿が見て取れると・・・一見、飛鳥散策のガイドブックのように見えて、実は味わい深い一冊です。

◆シルクロードの古代都市 H28/6読

加藤九祚(きゅうぞう)著、岩波新書1444、2013年の刊。副題に“アムダリヤ遺跡の旅”とあり、この本ではネパール高原やヒマラヤ山脈に連なるアフガニスタンのヒンドゥークシュ山脈を源とし、中央アジアを西に2574kmにわたって流れてアラル海にそそぐアムダリヤ(アム川)と、その上流のバクトリアの遺跡について紹介してくれています。

まず序章としてアムダリヤとアラル海の地形や風土が紹介されるのですが、かつては世界第4位の広さを誇っていたアラル海が一大灌漑事業により1960年を境に一挙に干上がり、湖水面積が1/5まで激減してしまった経緯が紹介されています。川の上流で水量の1/4を分岐させ1100kmに及ぶ運河を作り広大なエリアを綿花畑に変える、100mも揚水して高地に運河を作り都市を潤す、だがその結果一方では湖水を干上がらせ広大な塩害の地も生み出してしまう・・・強大な計画経済国家だからこそできた、そしてしてしまった20世紀最大の大地改造、自然破壊の結果です。

で、本題のこの川の上流バクトリアの地は、ユーラシアの西とインドや中国をつなぐ要衝の地であり、それだけにアケメネス朝、アレキサンダー大王東征、クシャン朝といろいろな勢力の侵攻を受け、何重にも文化の融合を重ねてきた土地であり、その様子がうかがえる遺跡が次々と発見され調査が進んでいると。
いずれの遺跡もヘレニズムの影響は強いのですが、そのひとつ、アイハヌムはアレキサンダー大王東征の後、グレコ・バクトリア王国に入植したギリシャ人中心の都市であったらしく、街の姿は円形劇場、神殿とギリシャの街にそっくりの造りとなっているとのこと。
対してタフティ・サンギンはギリシャ人とバクトリア人が共存していた街であり、そこでの神殿の造りや推定される儀式からギリシャ神とゾロアスター教の風習が見事に融合している様子が明らかになってきたと。
そこでゾロアスター教についても1章を割いてくれていて、原ゾロアスター教、その一大改革者であるツァラトゥストラの生涯、そしてその後のゾロアスター教に続く変遷が詳しく解説してくれていて、これも読みごたえのある1章となっています。

それにしてもなじみのない地名のオンパレード。ならばと付図の地図を拡大コピーして横に置き、さらには地名の迷子になりながらもグーグル地図の衛星画像を拡大したり縮小したりしながら読み進めるうちに(一旦場所が特定できて超拡大すると遺跡の輪郭がくっきりと見えて感動です!)、あこがれの中央アジアに少しは足を踏み入れた気分がし始める、ありがたい一冊でした。
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ところでアラル海やゾロアスター教についてはこのブログでも以前に駄文を・・・
     アラル海、 ゾロアスター教
そしてこの本の著者、何と御年94才とのことなのですがその波乱万丈の経歴やご活躍のご様子を・・・
     岩波のサイト(この本の写真や地図も)、 そして新聞のインタビュー記事


▼2016.9.12追記 この本の著者、加藤九祚さんが調査の旅先のウズベキスタンでお亡くなりになったとのニュースが流れています。94歳とのこと、ご冥福をお祈り申し上げます。
    http://www.asahi.com/articles/ASJ9D6GZKJ9DPTFC01K.html

◆ジャポンヤ --イブラヒムの明治日本探訪記-- H28/3読
◆イブン・バットゥータの世界大旅行  H28/4読

 この2件はまとめて “イスラムの国あれこれ” のコーナーに移設ました。

◆甦れ、わがロシアよ H27/12読
◆ロシア人しか知らない本当のロシア H27/12読
 この2件は “ロシアあれこれ” のコーナーに移設ました。

◆物語 ウクライナの歴史 H27/6月読

黒川祐次著、中公新書1655、2002年刊。クリミアをもぎ取られ、今も東部ではロシアとの確執が続いているウクライナ、それは一体どんな国なのかということで手にした本なのですが・・・
この国はかつてはロシア(モスクワ)、ベラルーシをも包含し広大な版図を有していたルーシ公国を源に持ち、首都キエフを中心に栄えたヨーロッパの大国であった。ところがその版図の北部のモスクワ公国がルーシ(つまりロシア)の名を持って独立し、さらにはベラルーシもルーシの名を持って独立・・・。で、残された地はやむなくキエフ・ルーシー国と呼ばれるようになり、その後はモンゴルに侵攻され、さらにはリトアニア・ポーランド、ロシア、オーストリア帝国、そしてソ連邦へと、(途中コサックの栄光の時代を挟みはするが)その時代時代に勢力を持った近隣の大国に飲み込まれ続けた。
だがそうして国としての輪郭を持てなかった時代にあっても常に、豊かな大地、資源、技術力を背景に重要な地であり続けてアイデンティティを保ってきたのがウクライナ。そして迎えたソ連邦崩壊で一挙にヨーロッパの大国として躍り出た今、芸術、科学技術、軍事技術等においてソ連邦の栄光と思われていたものが実はウクライナの業績であったというものも少なくない。
だからこそロシアとの関係はぎくしゃくするということなのかもしれませんが、ウクライナからしてみればもとはと言えばロシアに対してはこちらが本家筋、ロシアから見れば勝手に飛び出したかつてのソ連邦構成共和国との思いもあるとすると、両国の軋轢は根が深いのではとの感じもします。

なおこの本自体は黒海北方の大地の、スキタイ人が闊歩していた紀元前7~8世紀ごろから始まり現代に至る壮大な通史なのですが、なんと外務省の外交官であった著者が、たまたまウクライナへの赴任命令が出たことがきっかけで、日ごろなじみのないこの地を理解してもらえればとまとめ上げたとのこと。そのエネルギーに感動するとともに、こんな外交官がもっといてくれたら我々の国際理解ももっと進むのではなどと、ふと・・・


◆歴史の終わり 上・下 H27/11再読

 この項は “経済史、文明史” のコーナーに移設ました。

◆中世シチリア王国 H27/5月読

 高山博著、講談社現代新書1470、1999年刊。10世紀の頃の地中海は新たに台頭したアラブ・イスラムとラテン・カトリック、そしてギリシア・ビザンツの3つの勢力がせめぎ合い戦いを繰り返していた。
そうした中で、元はバイキングに源を持ち北フランスのノルマンディに住み着いていた人たちの中から、多くの若者たちが傭兵として南イタリアへと渡り頭角を現していき、その中の一人がシチリアの地に築いた国がやがてノルマン・シチリア王国となる。
この国、シチリアの地は地中海交易の富と人が集まり文化が接する要衝でもあり、歴代王は遠くの勢力や異邦の地より妃を求め、宮廷にはギリシャ語やアラビア語が飛び交い3つの文化が渦巻いていた。街では多様な民族がすみ分けて混在し、政治の要職にはギリシャ人やアラブ人が登用され、地中海の楽園と称されることが益々人や知識や財を引き付けていくことになり栄華を極めていく。結果、12世紀末の王フレデリクス(フリードリッヒ)二世はシチリア王、ドイツ王、神聖ローマ皇帝、さらにはエルサレム王までを兼ねるに至る。

・・・といったことが書かれているのですが、この本の著者は放送大学の「地中海世界の歴史」の講師として、ほぼこの本の内容をあつく語っておられた方であり、読み進めるうちに先生の声が聞こえてきそうな気がするのですが、現在は既に閉講となっているのが残念です。
ところでフレデリックス二世がエルサレム王を兼ねるようになった経緯がすごい。殺戮や強奪で名高い十字軍の歴史の中で、何と彼が行った第6回十字軍では、軍隊は進めたが現地につくやいなや延々とエルサレムを支配するアイユーブ朝のスルタンと難解な学術書簡の文通を始め、互いの教養の深さに感じ入り意気投合した結果、条約を結び無血でその地が解放されたとのこと。
時を経た21世紀の今、ヨーロッパ文明とイスラム圏の軋轢は益々泥沼の様相を呈していますが・・・歴史をたどればこうした時代もあったのだと、そしてそこに流れていたものは相手世界への深い知識、そして教養と寛容ではなかったかと思わせてくれる貴重な一冊です。

NHK さかのぼり日本史 ⑦~⑩ H27/8読

実は放送大学で「日本古代中世史」の単位試験を取りこぼしてしまったこともあり手にした本なのですが・・・
全十冊の日本史“さかのぼり”のシリーズということで、⑦は戦国編、以下順次遡って⑧室町・鎌倉、⑨平安と続き⑩が奈良・飛鳥です。
放映番組を本に仕立てたもののようで、さすがNHK、各時代のターニングポイントとなった出来事が臨場感豊かな程よい文章量で解説されています。これなら老いて記憶機能が弱った私の脳にも時代のイメージがそれなりに浸み込んでいきそうです・・・ということで、多少再試験に臨む意欲が湧いてきた感じもし始めました。

      
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by C_MANN3 | 2015-02-16 00:00 |  ・・・風にまかせて・・・ | Comments(0)