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◇大阪アースダイバー

【2017/2月読】 なんとも不思議な雰囲気の漂う本です。

中沢新一著、講談社、2012年の刊。5千年の昔、大阪の地はほぼ全域が河内潟の底にあり、そのほとりには縄文人が住む世界であった。以来数千年、川が押し出す土砂は洲を広げそこをめがけて色々な由来と文化を持つ渡来人たちが層をなして住み着き、大阪の地は都市と文化を形成していく・・・
この本はその5千年にわたる都市形成のプロセスを神話、考古学、人類学、歴史学、民俗学とあらゆるものを駆使して語り上げた壮大な歴史物語。

都市の形成にはいろいろなタイプがある。京都は中国由来の思想で人工的な南北軸を中心に形成されたが、東京は皇居を権力の中心として円環状に発達してきた都市。対して大阪は河内潟の縁の東西線上に自然発生的に形成されてきたことに特徴がある。それは太陽の運行、生命の生と死を基本とする自然観に基づく軸であり、軸上には太陽や生死にかかわる墳墓や社が配置されていった。
だがやがて5~6世紀の頃になると潟に突き出し南北に延びる上町大地の上に王権に纏わる南北軸が現れる。その両軸の和合を願って作られたのが四天王寺であり、そこにそびえる仏塔は両軸の交点で天に向かって伸びる垂直軸なのだと・・・

この本では漫才や浄瑠璃といった芸能、商人の町、墳墓、はては歓楽街やラブホテルの特異な集中スポットの由来といったことが次々と民俗学風の語り口で解説されていきますが、その一つの難波資本主義の由来も面白い。
古代の社会ではモノは全て贈与の形で取引され、モノと共に人格や相手への思いが重なって取引されることで深まっていく“縁”の世界であった。そこに現れたのが遅れて渡来してきた海人。当初は神社へ供え物を取り仕切っていたがやがてその余剰を市を開いてさばくようになった。このモノは神様への供え物が由来のため、人格や思いとは無縁で無機質な貨幣価値だけを持ったものとして交換されていく。これが商業、さらには資本主義の発端でありそこでは縁は断ち切られている。だが縁に変わるものとして生み出されたのが信用、暖簾であり、取り立てには厳しいが利益を社会に還元する(無縁を超える)超縁の世界なのだと。そしてこの話が現代の疲弊した資本主義にもおよび、超縁を結ぶことを忘れてただの無縁に終始しするのは本来の姿ではないと・・・

ところでこの本、読んでいてどことなくNHKの番組のブラタモリを思わせる雰囲気が漂っているのが気になり、調べているとありました。なんと「ほぼ日刊イトイ新聞」で糸井さん、タモリさん、そして著者の中沢さんがアースダイバーを話題に延々と盛り上がっている様子が掲載されていましたので、そのリンクを下記に。
    https://www.1101.com/nakazawa/2005-09-20.html
by C_MANN3 | 2016-05-10 00:00 |  ・・・風にまかせて・・・ | Comments(0)

◆ローマ街道をも思わせる、日本の古代の道

【2016.8.28記】 飛鳥時代の昔、奈良盆地の中を三本のとんでもない幅の官道が、並行して一直線に縦貫していたとの話に接して仰天。それ以来古代の道路の本を漁るようになった中で出会った幾つかを以下に・・・

◆道が語る日本古代史/◆古代道路の謎 H28/8読

まずは「道が語る日本古代史」朝日新聞出版2012年刊の「道が語る日本古代史」と、「古代道路の謎」祥伝社新書2013年刊の「古代道路の謎-奈良時代の巨大国家プロジェクト-」。
いずれも近江俊秀さんの著作なのですが、この本では古墳時代から始まり10世紀後半までの古代官道の変遷が、官道にまつわる時代背景と共に生き生きと描かれています。

まず話を聞いて仰天していた奈良盆地の三本の直線官道は奈良だけではなかった。推古天皇の時代には、大和だけではなく河内平野にも縦横に何本もの直線官道が走り、難波や住吉の港と飛鳥の宮を繋いで威容を誇り、その道は隋からの使者を迎えても恥じることのない(ことを目指した)道でもあったとのこと。
しかしこの官道は日本の官道の序章に過ぎず、国中に律令制度が浸透する天武天皇の時代にはその官道が国中に張り巡らされることに。律令国家体制では列島を五畿七道と称して都のある畿内を除く列島を七つの道と称する行政区画に分け、都を起点に各道に至る官道を総延長6千kmに渡って張り巡らせたとのこと。しかもその道は格の高い所では幅12m、ひたすら直線であることを旨として張り巡らされ16kmごとに駅舎を設けた壮大なもの。

ところがこの官道はやがて中央集権貫徹の時代から少しずつ地方へと権力が分散していく時代の変遷に呼応するかのように、まずは8世紀の後半に道幅が縮小されて整備がしやすく使い勝手の良いルートへと変更され、10世紀後半には更に幅の縮小されて直線性も失われいわゆる生活道路へと埋没していくことに・・・
そうして埋もれ文献の中に痕跡を残すのみとなっていたこれらの古代官道が現代の1960年頃になってあちらこちらからで遺構として発見されはじめたことをきっかけに、発掘と歴史地理学的な研究が両輪となって今その全容が浮かび上がってきたのだと・・・読み進めるうちに、従来の古代史とはまた趣の異なる切り口で古代日本の心意気が浮かび上がってくる感動的な著作です。

◆道路の日本史/◆完全踏査古代の道 H28/8読

続いて「道路の日本史-古代道路から高速道路へ-」武部健一著、2015年刊の中公新書2321。この本も日本の古代官道に関する話なのですが、著者が日本道路公団で高速道路の計画・建設に心血を注いでこられた方で、前掲の近江さんの本とはまた違った切り口となっています。

五畿七道の全国に張り巡らされた日本の古代官道をローマ街道や中国の古代の官道と並べて位置づけるところから話は始まり、五畿七道の時代から、江戸期の道、鉄道に追いやられた明治期の道、そして列島改造論で始まった現代の全国の高速道路網に至る日本の道の国策、設計思想、使用技術の変遷が展望されていて壮大な構成の本となっています。
著者は全国の五畿七道時代の駅路の痕跡をくまなく踏査されているのですが、調べれば調べる程、このひたすら直線を旨として全国を繋いでいった古代の官道が、現代の高速道路網のルートと重なり、駅舎の位置も現代のインターチェンジの位置に酷似していて、しかもその総延長までが(北海道を除くと)6千kmと酷似しているとのこと。

古代の官道は紆余曲折を経て10世紀の末頃には一旦やせ細り曲がりくねって埋没の憂き目にあっていたのですが、期せずして現代の列島高速道路網として甦ってきたということなのでしょうか。
なお著者が全国の五畿七道の駅路を踏査した記録は別途、武部健一著「完全踏査古代の道」、2004年吉川弘文館刊の上下2冊として出版されており、これも読みごたえのある重厚な本となっています。

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by C_MANN3 | 2016-05-08 00:00 |  ・・・風にまかせて・・・ | Comments(0)

◇平城京、そして飛鳥・・・

【2016.8月記】 古代の平城京、そして飛鳥を描いた二冊の本です。

◆古代都市平城京の世界 H28/8読

舘野和己著、山川出版社、2001年の刊。著者は長年奈良国立文化財研究所で平城宮跡の発掘に携わって来られた方。その方の二日間に渡る講義を拝聴する機会があって手にした本なのですが…

この本では発掘に基づく都の骨格と、そこの長屋王邸宅跡から出土した3万5千点にもおよぶ木簡文書や各種の文献資料を基に平城京のいきいきとした姿を復元してくれています。両側に側溝を持つ幅74mの朱雀通りが中央を貫き、その両側に位階の順に臣下、官吏の屋敷が並ぶ。物流のターミナルとしては左右2ヶ所に市をもちそこには人工の運河がつながっている。
規模としてはひとつ前の藤原京よりも一段と広大で、完全な条坊制の骨格を持ち宮殿の配置もさらに長安のそれに近づいていることが窺えますが、本書では更に官吏の日常勤務の様子、東西の市で賑わう物資の流通の様子、税や献納としてとして全国から集まる物資や労働者の様子も描かれていて・・・まさに律令体制国家の要として国家の威信をかけて造営、運用されていた平城京の様子が目に浮かぶようです。

ただ10万人とも20万人とも推定される人口を抱えるが故に既に今と同じ都市問題にも悩まされていたようで、その中でも最大の問題点が衛生面。何度となく疫病の蔓延に悩まされ、それが政情の不安も巻き起こし、最後は帰っては来るものの途中何回かのプチ遷宮や騒動もあったりと・・・あおによし奈良の都もそれなりに大変ではあったようです。
ともあれこの本、各ページの欄外の注釈も程よく親切で予備知識が乏しくても楽しめて奈良時代そのものの理解にも役立つありがたい一冊でした。


◆古代飛鳥を歩く H28/6読

千田稔著、中公新書2371、2016年の刊。仏教伝来を始め大陸の文化文明が押し寄せる中、政変を繰り返しながらも日本の形が整いつつあった時代の飛鳥、天皇が代を変える度に宮を遷しはするが飛鳥を大きく外れることはなく、やがてそれを集大成するかのように藤原宮を造営するに至った飛鳥の時代。
この本はその日本の原風景ともいえる飛鳥の地への想いをエッセイ風にまとめてくれています。場所や事変の折々を題材に76の章立てで構成されていて、各章はカラーの写真1枚を含んで2ページで完結の簡潔な構成となっており、読み進めるうちに事変や天皇名が箇条書きされただけの歴史の教科書ではつかみにくいこの時代の風景が浮かび上がってきそうな一冊です。

著者曰く。外国の文化文明を吸収し日本を形作っていく様子は、明治を含めた近代によく似た姿ではあるが、和魂洋才と称してその背景としての精神性の導入までには至らなかった近代に比して、飛鳥の時代には目に見える文化文明だけでなくその背後にある心(一つには仏教)をも吸収し、それを為政の徳や生きる指針としようとした日本人の真摯な姿が見て取れると・・・一見、飛鳥散策のガイドブックのように見えて、実は味わい深い一冊です。
by C_MANN3 | 2016-05-06 00:00 | Comments(0)

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by C_MANN3 | 2016-05-01 00:00 |  ・・・風にまかせて・・・ | Comments(0)