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'07/05 ▼ロシア正教会・・・輝けるロシアへの回帰

【2007.5.21】 ロシア正教会と在外ロシア正教会が80年ぶりに再統一とのニュースが流れています。しかも和解の仲介をしたのがプーチン大統領だったとかで、和解再統一の調印式にはその姿が・・・

かつて政治によって引き裂かれた教団が、いま再び政治の力によって修復を果たそうとしています。

「無神論を唱えた共産主義はもうひとつの宗教だった」と言ったのはソビエト連邦最後の大統領ゴルバチョフでしたが・・・その共産主義を捨てた今、ロシアはそれに変わる宗教を必要としているということなのでしょうか。

\'07/05 ▼ロシア正教会・・・輝けるロシアへの回帰_b0050634_0101033.jpgクレムリンの奥深くで帝政ロシアの時代のままに温存され使われ続けている、勲章の間とか謁見の間といった眩いばかりの金色の空間も、これからは少しずつその意味合いが変わってくる・・・
共産政権の時代にあっては宗教的な威厳は排除され、ただ無機質に輝くだけの空間であったこの大広間にふただび宗教的荘厳さがよみがえる・・・

宗教にはいくつもの顔があるようです。宗教は国民にとっては素朴な心のよりどころであり、寄り添う連帯のシンボルですが・・・国家にとっては確実な威厳と威圧のよりどころとなる。

だからこそ政教分離に気遣い苦しむトルコや日本・・・対して宗教との復縁に向かうロシア・・・

ロシアは一方で他を圧倒するエネルギー資源を押さえて富を蓄積し国際的な支配力を強め、もう一方では今、宗教をグリップしある種の威厳、荘厳をも手に入れようとしている。

確実に何かを目指して進んでいるかに見えるロシア。

「品格」を持った「美しい国」を目指しているどこかの国がそうなりうるのかどうかは定かではありませんが、いまロシアは輝ける国を目指し、確実にそれを手にしつつある・・・
ふとそんな感じが心をよぎるニュースですが、この変化が世界に与える影響が吉と出るか凶と出るか、それが気がかりですよね。(2007.5.21)
# by C_MANN3 | 2024-08-07 05:21 | Comments(0)

'06/08 ▼イスラム戦争の時代

【2006.8.12】 アフガニスタン、イラクと続いた戦争はどれひとつとして決着がつくことなく、今、レバノン・イスラエルへと飛び火しています。
いったん収まったかに見えたアフガニスタンではタリバンが復活しつつあり、アルカイダが動きやすくなりつつあるといったニュースが流れています。
イラクも自衛隊はかろうじて引き揚げましたが雲ゆきは怪しく再び内戦状態に戻りつつあるとか・・・

そして今、英国では航空機テロを計画していたとされる集団が逮捕され、空港は大混乱に陥っています。
今年の六月、ザルカウィの殺害に成功した米国はこれでアルカイダの組織は崩壊に向かうと胸を張りましたが、アルカイダが関与していてもいなくてもジハードの動きは沈静しそうにありません。
よく言われているように既にアルカイダは組織ではなくネット上の共有思想であり、目障りで著名なリーダー格の人たちをたとえ何人か殺害したとしても形のない組織では崩壊のしようがないのかもしれません。


航空機テロ未遂を受けてブッシュは「我が国がイスラム過激派との戦争状態にあることをはっきり思い起こさせた」と談話を発表しました。“イスラム過激派”と“過激派”の三文字がついているためなんとなく耳になじんでしまいますが・・・同じく過激派とくくっているレバノンのヒズボラやパレスチナのハマスは武器を片手にはしていても福祉や医療活動にも邁進し市民の支持を受けて政権の一翼を担う政党でもある。

ヒズボラやハマスをアルカイダと同列に拒否し続けることは“イスラム過激派との戦争”が“イスラムとの戦争”に発展しかねない危険をはらんでいるのかもしれません。


こんなニュースが続く中で一冊の本に遭遇しました。
題して「イスラーム戦争の時代」、副題が“暴力の連鎖をどう解くか”。内藤正典(一橋大)著、この四月、日本放送協会の出版です。
二十数年にわたるイスラム社会への調査研究を背景に、イスラム社会の状況、心情と苦悩といったものが親愛の情を持ってくっきりと描かれています。親愛の情を持って書かれた著作というと公平さや客観性を損なった本といった誤解を受けそうですが無論そうした本ではない。

ですが、イスラムの世界は日ごろから基礎知識にも乏しく、その分偏見に惑わされているかも知れない世界。読み終わった後の知ることの重大さと併せて感じるすっきり感は著者の視線のなせる業なのかもと思わせる一冊でした。

一つ一つの事件ががとんでもないものであることは確かですが、毎日流れる悲惨なニュースが互いの憎悪を増幅しあっていることも確か・・・憎悪増幅の連鎖を断ち切るものは、もしかしたら正確な知識に裏付けられた互いへの畏敬の念と親愛の情なのかもしれません。(2006.8.12)

 
コラム: “ほっとひと息” のコーナーより

◆陸奥の国への旅・・・


【2006.10.27~29】 仙台の空港に降り立った後は、ひたすらバスで駆け抜けた東北4県3日間の旅でしたが・・・厳美渓、角館、田沢湖、十和田湖、松川温泉、中尊寺と、さすがに見どころ満載の旅でした。
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# by C_MANN3 | 2024-08-06 08:12 | Comments(0)

'06/06 ▼会社はだれのものか・・・

【2006.6.6】 先週末から突然ニュースのトップに踊り出た村上ファンドのインサイダー取引疑惑の話は、たった数日間で一挙に逮捕まで進展してしまいました。

阪急ホールディングスによる阪神電鉄株の一方的TOBが仕掛けられたこのタイミングで村上さんに突きつけられた検察の刃・・・
小泉さんによって政治が劇場型政治になってしまったなどといわれますが、検察もまた劇場型検察になってしまったのでしょうか。それを受けてあっさりと非を認めて記者会見までしてしまった村上さんもこれまた意表をつく劇場型の反応でした。

村上さんや堀江さんによる、ニッポン放送の話を始めとする一連の矢継ぎ早の買収劇は改めて会社誰のものかという話題を提供してしまいました。

これまでの日本は法的にも教科書的にも一応の建前としては会社は株主のものと言われていながら、実態は経営者主権の色彩が濃かったような気がします。

日本ではもともと株主資本の権威や威力にはあまり重きをおいてこなかった・・・
極限状態では敵対的買収や議決権といった威力を発揮しますが、通常はそうした出番がないように神棚に祭り上げ、すだれの向こうに封じ込めておくものといった感じがあったことは否めません。

そこに現れたのが真正面から切り込んできた村上さんたち・・・

その防衛劇のなかでにわかにマスコミで言われるようになったのがステークホルダー論。
曰く、会社は従業員のもの、ファンや消費者のもの、ニッポン放送にいたっては常連タレントのものといったものまで・・・要するに会社は株主だけが自由にできるものではないということなのでしょうが、真摯な経営がなされる会社ばかりとは限らず、色々な不祥事を重ねる会社も散見されるなかで、唐突に持ち出されるステークホルダー論にはなんかご都合主義の感がなくもない。

こうした中で出版された岩井克人さん著「会社はだれのものか」、平凡社刊・・・

この本で著者は物としての会社と人としての会社、目も口もない法人としての会社に実態としての動きを与える代表取締役といった会社の持つ構図を、八百屋の主人や浄瑠璃の人形使いにたとえて巧みに説明してくれています。

株主主権論で迫る買収ファンドと、会社は物じゃないと防戦する経営陣・・・背景としては時代が物として扱かわれやすかった設備型の産業構造から、人の創意が付加価値を生む産業構造に変化している中で、会社を物として売り買いしようとしたことにも無理があったのかもしれません。

この本を読んでいると・・・ご都合主義の感がしていたステークホルダー論、実は意外に落ち着きどころなのかもしれないと思ったりもします。会社とはこうしたいろいろなステークホルダーのバランスの上にある存在。そして会社は誰のものかといえば・・・この本にも書かれている通り、会社は会社のものとしか言いようがないのかも。

ですがこんなに広範囲なステークホルダーの利害調整を図っていたら激動の時代に対応は難しいことも確か。そしてホルダー間のバランスも緊張感を伴った高次のバランスとは限らない。

だとすると定常状態の均衡点ははステークホルダー論だとしても時々はユングのいうトリックスターのような人が現れてバランスを崩し、会社や社会の進化を加速することも必要なのかもしれない。
早い話が阪神、阪急の話にしても、こんなことが無ければ私鉄の再編はできなかったといわれているのですから・・・
一旦はバランスを崩して、より進化したレベルでのステークホルダー再均衡・・・これで都心の再開発などが加速され社会的な利便性が増えるのであれば、実はトリックスターに感謝ということなのかもしれません。(2006.6.6)
# by C_MANN3 | 2024-08-06 06:06 | Comments(0)

'05/05 ▼ヨハネ・パウロ二世の時代

【2005.5.3】 ローマ法王の交代に伴い、ヨハネ・パウロ二世の時代を振り返るドキュメンタリー番組がいろいろと放映されています。

30年近い在位期間とあって、なつかしい顔ぶれやシーンが続きあらためて激動の時代であったことを認識させられます。パウロ二世はポーランド出身だということもあったのか、就任直後から、ワレサの率いる自主管理労組「連帯」を積極的に支持。しかも法王庁と米国が綿密な連携をとっていたことがうかがえますが、こうしたことがきっかけとなりやがてソ連邦は崩壊に至ることになります。

ですが印象的だったのは、これに関連してインタビューに応じたゴルバチョフのコメントです。曰く、「無神論を唱えた共産主義はもう一つの宗教だった。キリスト教と共産主義、この二つの宗教はいずれどちらが生き残るか決着を付けざるを得ない宿命にあったのだ」と・・・ソ連邦は共産主義を唱えて資本主義国を敵に回しただけでなく、無神論を主張したためにキリスト教をも敵に回してしまった。やがてこの二つの勢力の連係包囲の前に崩壊を余儀なくされたということなのでしょうか。

前掲の記事で紹介させていただいた、なだいなださんの「精神医学はもう一つの宗教だった」との話にもびっくりしましたが、共産主義帝国ソ連邦の最後を飾ったゴルバチョフから出た言葉だけに、目からウロコと納得させられるものがあります。

そして今、時代は変わり、ネオコンとキリスト教福音派原理主義の支援を得ているらしいブッシュがイスラム原理主義を旗印にしたアルカイダを壊滅させるとアフガンに侵攻、続いてイラクに自由と民主主義をとフセインを攻撃。前回の共産主義攻略とは異なり今回の米国はヨハネ・パウロ法王庁のいうことには全く耳を貸しませんでした。それに代わる拠り所は聖書無謬説を信じ戦争を聖戦と捉える福音派原理主義だったということなのかもしれません。

共産主義も含めて政治思想や宗教が原理主義に走るとき、その先にはたいてい泥沼の聖戦が待ち受けているようです。法王も後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ天寿を全うされたのかもしれません。(2005.5.3)

 
コラム: “まれに海外にも” のコーナーより

◆バリ・インドネシアの旅


【2005.3.30記】 バリ・インドネシアの旅。子どもの学業終了を記念しての家族旅行でした。
まずは神々の住む島バリ島へ・・・ヒンドゥー寺院の独特のたたずまいと、のどかでどことなく懐かしい田園風景でまさに癒しの空間です。
そしてその後、続いてジャワ島へ・・・こちらはバリの癒し空間とはうって変わりボドブドゥール、プランバナンと巨大な遺跡が圧倒的な迫力で迫ってきます。
\'05/05 ▼ヨハネ・パウロ二世の時代_b0050634_12225962.jpg

# by C_MANN3 | 2024-08-05 05:03 | Comments(0)

▼このコーナーはここまでです。


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# by C_MANN3 | 2024-08-01 00:00 | Comments(0)