◆市場は制御できるものなのか・・・

[2008.9.30掲載]サブプライム問題に端を発して急激な展開を見せるアメリカ発の金融破たん劇はいったいどこに行き着くのでしょうか。
震源地の米国ではほんの1~2週間の間に兆単位の金が動く救済、破産、買収、吸収が毎日のように起こりあっという間に上位五社の証券会社の輪郭が一変してしまいました。

ですがそんなことでは事態は収まらず海外にも飛び火しヨーロッパでは金融機関の国有化が相次いでいます。そして今日、金融機関から不良資産を買い上げる大統領肝いりの金融法案が米下院で否決され、ついにNY株式は777ドル安と史上最大の下げを記録しました。

とにかくとんでもないニュースが毎日飛び込んできますが、そんな中でなんとも味わい深い本が出ています。
題して「ハイエク」、PHP新書543。池田信夫著で副題が“知識社会の自由主義”とあります。 


「ハイエク」はオーストリアの経済学者。
東西冷戦真っ盛りの時代に東の計画経済を非難する一方、返す刀で西側諸国の政府による財政出動や金利操作といったことをも批判。西も東もを敵に回してしまったばっかりにまっとうな経済学の世界からは抹殺されてしまったハイエクですが・・・

その心は社会や市場といったものを理論や計算で意図どおりに管理すること全般に共通して潜む思い上がりを問題にしたものであり一見「小さな政府論」にも通じるもの。
ですが大きな政府になりやすいケインズとの論争に敗れた後は数十年にわたって沈黙を余儀なくされ、サッチャー、レーガンの時代になってやっと日の目を見る。

ハイエクによると・・・工学的なシステムとは異なり、目的がはっきりせず判断に必要な情報も不完全な市場システムに対しては計算しつくしたつもりの施策も意図せざる結果を招くだけに終わることもあると。

ところが時代は今、金融工学を駆使しヘッジにヘッジを重ねて確実だったはずの金融市場がついに崩壊。これを押さえ込むべく「小さな政府」を目指していたはずの各国の政府が膨大な財政出動を余儀なくされている。

こうした各国の力任せの施策はハイエクの言うように意図せざる結果を招くだけに終わってしまうのか、あるいはそれなりの効果を発揮し、それと引き換えにハイエクの意にはそぐわない国家統制色の強い世界に回帰していくことになるのか・・・
いずれにせよこの混乱の中から多少なりとも新しい秩序が芽生えて欲しいですよね。

ところでこのハイエク、合理的経済人仮説に基づく均衡論には反対し、複雑な市場システムの中では人はもっと直感的に動くものなのだと・・・現在の行動経済学にも通じる学説を唱えていたこともあり1974年、ついにノーベル賞に輝くんですよね。
# by c_mann3 | 2015-12-16 00:00 |  ・・・風にまかせて・・・ | Comments(0)

   ・・・“風にまかせて”はさらに続きます・・・

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“風にまかせて・・・” はさらに続きます。

次は次は“ドラマや映画”の話へ⇒⇒

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# by C_MANN3 | 2015-12-01 00:00 |  ・・・風にまかせて・・・ | Comments(0)

◆映画:海賊とよばれた男・・・

【2017.1.2記】 映画「海賊とよばれた男」、正月に帰省してくる孫たちの予定の合間をぬって観に出かけたのですが、期待にたがわず感動的な一遍でした。

戦後の激動期、世界中の石油がメジャーに席巻されるのが当たり前であった時代にあって、ただ一社民族系の道を貫いた出光興産の物語。メジャーの圧力で全ての仕入れ先を絶たれて倒産寸前の中、起死回生の一発として英国メジャーに反旗を翻したイランから調達しようとして自前のタンカーを差し向ける。だが航路では英国海軍の封鎖網が立ちはだかっている・・・

正に全編緊迫感に包まれる感動の連続なのですが、その企業の経営姿勢は経済的合理性とも、保身とも、業界のなれ合い協調路線ともかけ離れて“情熱と情念に突き動かされて信念にのみ従う”世界。
そういえば戦後の復興期には出光によらず、色々な業界でこうした企業理念に突き動かされるかのように邁進する企業があったはず、そしてだからこそ今の日本が築かれたはずなのですが・・・グローバルスタンダードが席巻し合理性が勝ちすぎているかの現代、目の前のスクリーンからほとばしり出ている情念や信念の世界は一体どこに消えてしまったのか・・・などと、正月早々いろんなことを思わせてくれる暫しのひと時でした。それにしても岡田准一はよく似合う。

ところで今まさにこの会社では合併話で経営陣と創業家の間で確執とのニュースが流れています。願わくばどのような形であれ、この創業の人たちのDNAだけは残っていくことを願うばかりです。

なおこの映画の公式サイトはこちらに・・・http://kaizoku-movie.jp/

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# by C_MANN3 | 2015-08-22 00:00 |  ・・・風にまかせて・・・ | Comments(0)

◆映画「杉原千畝」そして「海難1890」・・・

【2016.1.14】 EUではますます厳しさを増すシリアからの難民が後も絶たず、あちらこちらに飛び火するテロはついにトルコのイスタンブールの観光地にまで・・・

そんな中で映画「杉原千畝」に続いて「海難1890」を観ました。いずれも物語自体が感動的であることは無論なのですが、どうしても日々のニュースが重なって見え、感動的なだけでは済まない息苦しさを覚えてしまいます。

「海難1890」では映画が終わった後に突然トルコのエルドアン大統領からのメッセージがセットされていてびっくりしましたが、映画の途中でも救難が一息ついたところでイスラム、仏教、神道(とおぼしき)の人々によりそれぞれの衣装や流儀で一体となって亡くなった方達への弔いの祈りがささげられるシーンがあり妙に印象的でした。

やはりこうした歴史は折に触れて映画やドキュメンタリーとして語り継がれ、多くの(国の)人々に再確認され共有され続けることが大事なような気がします。
さらにはこのドラマが何十年の昔の話としてだけではなく、スクリーンの中の勇気と真心ある人達による偉業が、願わくば今のこの騒乱の中にあってもあちらこちらの無名の人たちにより再現されていて、幾ばくかの人たちの救いになっていることを願わずにはいられません。 以下は2つの映画の公式サイトです。
    「杉原千畝」・・・・http://www.sugihara-chiune.jp/
    「海難1890」・・・http://www.kainan1890.jp/

 
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# by C_MANN3 | 2015-08-20 12:00 |  ・・・風にまかせて・・・ | Comments(0)

◆映画「サロゲート」・・・

[H22.2.22載]今日は222・・・と続く不思議な日付の日。お守りがわり?に今日の日付のJRの入場券でもと思ったのですが・・・あっという間に売り切れとなったらしく手に入らずじまい。

ところで映画「サロゲート」が上映されています。遠隔でイメージ通りに動かせる身代りロボットが街を闊歩するSF映画なのですが・・・

本人は自宅で遠隔操作の専用ソファに座ったままで街に出て仕事をしたり話をしたりするのは全て身代わりロボット。
しかもその身代わりは本人そっくりじゃなくて、なぜか本人の風貌に関係なく美男美女で若くて溌剌としている。そして世界を牛耳るロボットメーカーのキャッチコピーは「究極の安全」。

ですが、なんと主人公の奥さんは自室に閉じこもったままで、家の中でさえ会話をしてもらえるのは溌剌とした身代わりの奥さん。で、「できれば生身のおまえと話がしたい」などといったせりふも・・・

ありえないSFの世界のはずなのですが、見ているとついユングのペルソナを思い出したりしてそれに重ねて見ていると妙なリアリティがあるんですよね。
本来、身心とペルソナは一体のはずですが、ここでは本心は自宅に引きこもり、よくできたペルソナだけが街中で仕事や会話している。
ペルソナを本心から遠隔分離しておけば何があっても傷つくのはペルソナのみ、自我にとっては「究極の安全」ってことなんでしょうか・・・そんな風に見ているとこの風景はもう既に始まっているんじゃないか、私たちが街や職場でさらしているものは頑強な盾、ある種の様式を整えたペルソナそのもではと思ったりもします。


ところで遠隔でロボットをイメージ通りに動かせる・・・これは技術的にはもはやSFじゃなくなりつつあるんですよね。ATR研究所の川人さんの所ではこれに近い研究が進んでいるといった話もあるし・・・
http://www.honda.co.jp/news/2009/c090331.html?from=whatsnew

それにしてもSFの世界と今の現実の境界線があいまいというのは不気味な感じもしますよね。もちろん日本のロボット研究がそんな不気味な未来を目指しているとは思えませんが、進化の方向性を規制する何らかの文化的な枠組みのようなものは必要なのかもしれませんね。
なお、サイボーグや川人さんについてはこのブログでも▼別掲記事が・・・
# by c_mann3 | 2015-08-16 00:00 |  ・・・風にまかせて・・・ | Comments(0)

◆「天地人」・・・母と子、そしてユング?

[2009.1.30載]日本中を釘付けにしたNHKの大河ドラマ「篤姫」が終わり、「天地人」がスタートしましたね。
いつものように話は幼い子供の時代から始まるのですが、そこで繰り広げられる幼い与六(後の直江兼続)と母の会話には何度となく感動させられました。

▼まずは第一話・・・

たった5歳の与六が見込まれて、同じく幼い城主の養子、喜平次(後の上杉景勝)の将来の支えになればと小姓に召される話が持ち上がるのですが、それを幼い子に納得させようとする母と与六の会話がすごい。

「そんなところに行くのは嫌じゃ、父や母とずっとここで暮らしたい」と泣きじゃくる与六に向かって母は・・・
「おまえはもう母の子ではない」、「これからはこの越後の子となるのです」と・・・

これって個や我を大切にする現代にあっては聞かれなくなった会話、発想ですよね。
でも昔はこれに近いフレーズをいろんな偉人を引き合いに出しながら小さな子供のうちから親や先生に吹き込まれていたような気もします。

本来、人は「個」や「我」を持ちそれを主張する存在であると同時に、天の子であり大地の子でもある・・・
なのにこうした言い回しは一歩間違うと全体主義のにおいがし始めることもあり、一種タブー視されている感がなくもない。

天の子であり大地の子でもある・・・
その源がユング風に言うなら「我」や「意識」の底に広がっているはずの「普遍的無意識」であり、人はそこを通して天や大地と一体となり、だからこそそこに集う人々とつながることができるんですよね。


▼さらに第二話では・・・

そしてとうとうたった5歳の与六は小姓に召されて、これまた幼い喜平次とともに寺で修業の身となるのですが・・・
寂しさが募り「こんなところに来とうはなかった」と与六は寺をぬけ出し降り積もる雪の中を実家にたどり着く。ですが、母は泣きながら雨戸を閉ざして「帰るのです」と・・・

感動的な場面で見ていて胸が熱くなりますが、そういえば昔はこんな場面もいろんなところであったような気が・・・
でも時代は変わり現代は、いったん巣立ったはずの人たちがあまりにも安易に巣に戻り、母もまたそれを包み込んでしまっているのかもしれませんね。

泣きじゃくりながらも引き返す与六の姿を見ていてふと、ユングのウロボロスを思ってしまいました。ウロボロス、そして大母・・・ユングの世界ではこれらは全てを生み出し育む母体であると同時に、さまよえる人を誘い込み飲み込んでしまう闇の中の淵でもある。

もしかしたら今の日本はウロボロスが人を誘い込む吸引力が強くなっているんじゃないか・・・
いったん巣立っては見たもののやがて離婚、退職、挫折、鬱・・・事情はさまざまだとしても、行き詰るといとも簡単に母なる世界に回帰しているような気がしないでもない。
でもいったんウロボロスの世界に回帰すると再び飛び立ち羽ばたくことは難しいですよね。だからこそ昔の母性はあえて雨戸を閉ざしていたのではなかったかなどと・・・

幼くけなげな与六を見ていてウロボロスとか普遍的無意識などを連想するのも妙な話なのですが・・・こんなにかわいく、けなげな名子役の出番がたった2回で終わってしまうのはいかにも残念といった感じのする、あっという間の幼少時代でした。後は回想シーンを楽しみにするしかしようがないのかも・・・

ところで、ユングの▼普遍的無意識▼ウロボロスについては他にもいくつか記事が・・・
# by c_mann3 | 2015-08-14 00:00 |  ・・・風にまかせて・・・ | Comments(0)

◆ドラマ「ハケンの品格」・・・終わる。

 
【2007.4.10載】 少し前の話になってしまいましたが・・・テレビドラマ「ハケンの品格」が好評でしたよね。荒唐無稽なようでいて・・・妙にリアルなドラマでした。

変な気遣いや成果主義などに翻弄されて疲れ果て、モチベーションどころではなくなっている「社員族」。対してスキルもモチベーションも高いハケン・・・
なんとなく身近な風景と重ねてしまったりして・・・結局最後まで見てしまいました。


“成果主義 VS プロセス主義”、“派遣社員の正社員化 VS 好業績下の追加リストラ”・・・
今の世相は相矛盾する価値観や動きが同時に起こり・・・それがぶつからずに、すれ違ったまま渦を巻いている。
ぶつかればある程度相殺して減速しそうですが、高速を維持したまますれ違っている。当然境界面では激しい渦が巻き・・・大勢の人がそこに飲み込まれていく。とってつけたように言われるセイフティーネットも目が粗らすぎて役に立ちそうに無い。

“このままでは袋小路”という共通認識はできつつあるようですが、そこから抜け出すベクトルが見えない。

「美しい国」、「国家の品格」・・・こうした混沌の中で最近しきりに“美しい”とか“品格”といった奇妙な単語がはやり、“愛国”や“教育”に答えを見出そうという動きもあるようですが、そうした人たちが脳裏に描いている未来像が良く見えてこないことが不気味です。
どの程度のどんな類のバックボーンや未来像から発せられている言葉なのか・・・それが気がかりですよね。
# by c_mann3 | 2015-08-06 00:00 |  ・・・風にまかせて・・・ | Comments(0)

◆他にもいくつか映画の記事が・・・

  他にもいくつか映画をネタにした記事が、他のカテゴリーに中に埋もれています。


“◆「WATARIDORI」 ” 
全シーン、ただひたすら鳥が飛んでいるだけの映画です。

“◆「Oceans」”
全シーン、ただひたすら魚が泳いでいるだけの映画です。

“◆女帝・エンペラー” 
ハムレット原案の悲劇、ユングのペルソナを思わせます。

“◆アラビアのロレンス” 
この時代の列強の線引きの後遺症が今に続いています。

“◆「ユナイティド93」”
9.11の際にハイジャックされた93便の緊迫のドラマです。

“◆ダ・ビンチコード”
とある女性が実はイエス・キリストの末裔ということで・・・

“◆私の頭の中の消しゴム” 
若年性アルツハイマーをあつかった衝撃的な作品です。

“◆ビューティフル・マインド”
統合失調症に打ち勝ちノーベル賞に輝く学者の話です。

“◆「チェ、28才の革命」、「チェ、39才 別れ」”
チェ・ゲバラを描いた二部作、最後のシーンが印象的です。

# by C_MANN3 | 2015-08-04 00:00 | Comments(0)

   ・・・“風にまかせて”はさらに続きます・・・

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# by C_MANN3 | 2015-08-01 00:00 |  ・・・風にまかせて・・・ | Comments(0)

◆ご冥福をお祈り申し上げます。

[2007.7.19載]本日午後2時27分、河合隼雄さんが亡くなられたとのこと・・・
脳梗塞で倒れられたと報じられてほぼ一年。ついに意識が戻らなかったようですが、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

私が初めてユングに接したのは河合隼雄さんの「ユング心理学入門」でした。昭和42年培風館から初版が出た時点でたまたま購入。一読した第一印象は“これって心理学なの?”というとまどいでした。ですが読み進めるうちにはまり込み・・・

ですがこの本、当時は寮生活をしていたこともあり・・・誰かが持って行ってついに帰らずじまい。きっともう一人気に入った読者があったのかも。で私はその6年後、初版第八刷を再購入し今も手元に。

この本は今でも本屋に行くと当時と同じカバーデザインで並んでいる・・・40年を経た今も新しい読者が増え続けているってことなんですよね。嬉しい限りですが、私にとっては懐かしい青春の一里塚でもあります。

ところで・・・念のためにと先ほどWikipediaを覗いてみたのですが・・・何ともう亡くなったことが書き込まれている。さすがはWikipediaですが、こうして河合さんがこれからも本やネットの中で輝き続けることを願っています。
# by C_MANN3 | 2015-06-20 00:00 |  ・・・風にまかせて・・・ | Comments(0)

◆時代のスクランブル交差点・・・

[2008.12.16載]先日の朝日新聞、be on sunday の“日曜カントカ学”のコーナーに興味深い記事が掲載されていましたね。

巨大なスクランブル交差点で自然に人の流れができてなんとも効率よく人が横断していく・・・
題して“群集の動きに単純な法則”、複雑そうな群れの動きが実は単純なルールで動いているらしいといった話なのですが、このブログでも▼別掲記事で似たようなことを書いていたこともあり興味深く読ませていただきました。

ですが・・・読んでいるといつもの悪いクセで奇妙な思いに駆られてしまうんですよね。

人はスクランブルに足を踏み入れる時点で到達したい方向だけは見定めていたはずなのでしょうが、いったん歩み始めると一人一人は目の前の人と左右の人との距離だけを気にして黙々と歩いていて、もはやその先は見なくなる。

例えば先日の秋葉原の惨事のようにその流れの先にとんでもない事件が待ち受けていたとしてもきっとその直前まで気がつかずに歩き続け・・・それを目の当たりにするところまで接近してしまうと左右と後ろに迫る人並みに押されて、もはやその惨事から逃れる余裕はない。

やはり行く先に危険が立ちはだかっているかもしれない人の流れにただ乗っかって歩くのは危険と・・・流れからちょっと身をはずして先を見ようとすると、半歩歩くたびに人にぶつかり右に左によけているうちに、先を見通すどころか方向感覚さえ失ってしまいそうになるんですよね。

スクランブル交差点というのは歩いていても眺めていてもいろんなイメージが浮かんできますが・・・
今、日本の社会は巨大なスクランブル交差点の真っ只中まで足を進めてしまっているんじゃないか・・・なんてことを思ったりもします。
# by C_MANN3 | 2015-06-18 00:00 |  ・・・風にまかせて・・・ | Comments(0)

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# by C_MANN3 | 2015-06-01 00:00 |  ・・・風にまかせて・・・ | Comments(0)

◆このブログのアクセスがついに6万件に・・・

【2015.6.11記】 昨年のブログ開設10周年に続き、今日このブログのアクセスがパソコンからのユニークカウントで6万件を超えました。

ただ残念ながらブログの更新頻度は極端に低調なままの状態が続いています。
退職してもう4年になるのですが・・・毎日が日曜日ともなれば本は読み放題、ブログも書き放題となるはずが、どうもそうはならなかったようです。本を読むペースも読んで感動する度合いも昔と変わってはいないつもりなのですが、その感動をブログの記事に仕上げるもう一歩の気力がしぼんでしまった感じです。

多分緊張感が緩んだせいだとは思うのですが・・・もう少し肩の力を抜いて継続しやすいブログのスタイルを模索した方が良いのかもしれませんね。お恥ずかしい次第です。

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# by C_MANN3 | 2015-04-20 00:00 |  ・・・風にまかせて・・・ | Comments(0)

◆このブログが・・・ついに10周年に

【2014.10.23記】 今日、このブログが遂に10周年の記念日を迎えました。

と言っても実はこの1年半、体調不良の気分萎えもあったりして全く更新できていないのですが・・・それでも久しぶりに先ほど管理画面を覗いてみるとアクセス数が何と57000件超になっていました。計算するとこの10年間、毎日17件のお客様にご来訪頂いたことになります。

ほとんどは検索から入ってこられた通りすがりの方なのでしょうが、これではせっかくのお客様に申し訳ない状態です。しかも記事更新が滞っているだけでなく、画面表示上にも気になる不具合がありながら手つかずのままとなっています。

ということで、十周年を機会に早急に不具合の解消とブランクの期間の記事の穴埋めを図り、さらにこのブログを継続すべく再出発をしたいと思います。


【2014.11.5 追記】 ブログの改善が終了です。

十周年を記念して気になっていた事項を改善し、ブログの画面がすっきりしました。主な改造点は以下の通りです。
  • カテゴリーや別館を示すアイコンを作り、各々のtop画面の上端に並べました。これによりこのブログの構成が分かり易くなり、カテゴリー間の移動もしやすくなったかと・・・

  • 実は最近はやりのiPadでこのブログを見ると、目次や記事一覧といった箇条書き部が見るも無残にライン崩れを起こしていました。原因はプロポーショナルフォントを採用しているIEパソコンで記事を作っているのに、iPadのsafariが固定幅フォントで表示してしまうためのようであり、“・・・”や“スペース”で横方向の文字位置調整をしているところが全滅です。仕方がないので今回、必要か所についてはIE上でもhtml指定で固定幅フォントに変更したところ箇条書き部の縦のラインが見違えるようにすっきり・・・

  • このブログではブログ内リンクを多用しているのですが、新着記事一覧から各記事に飛ぶと、飛び先の記事の位置決めがずれていて、極端な場合はどの記事に飛んでいるのかが不明な場合さえありました。
    実はこの原因は記事の途中に自動挿入される広告が原因。よって今回ブログの契約を有料に切り替え広告を排除すると飛び先の記事のタイトルがヒタッと画面の上端に位置決めされるようになりました。

以上で画面表示はスッキリしたのですが、肝心な一年半の記事ブランクについて・・・これについては別の掲示板やfacebookに書いていた記事をこのブログにも遡及掲載しはじめましたので、それなりにブランクが埋まりつつあります。
あとはあまり間を空けずに新しい記事の掲載にも努めたいと思いますので、今後ともよろしくお付き合いの程お願い申し上げます。

【2015.1.15追記】 もう一つの不具合、切れたリンクをこつこつと・・・

このブログでは文中で引用として外部リンクを多用しているのですが…年数が経つとリンク先で記事の削除、場所替え等があり、どうしてもつながらなくなるものが続出します。今回はそれを一斉に点検し、リンク切れのところについては再度検索して記事が再発見されたものについてはリンクを修正、どうにもならないものはその旨のお断りを入れました。
なおこの現象は今後も発生しますので、気が付き次第訂正していくことといたします。

⇒⇒新着記事渡り歩き⇒⇒

# by C_MANN3 | 2015-04-18 00:00 |  ・・・風にまかせて・・・ | Comments(0)

◆ついにアクセスカウントが40000に・・・

[2012.6.19掲載]2004年にこのブログを開設して石の上にも八年、アクセスカウント(ユニークカウント)が遂に40000を超えました。
ただ最近増えているスマートフォンからのアクセスはカウントに入っていないようなので、実態はもう少し多いのかもしれません。いずれにしても感謝です。

なお、たくさんアクセスして頂いている記事についてはランキングが出るようになりました。画面右端の「記事ランキング」のコーナーをご参照ください。


【2014.11.5 追記】 ・・・
実は都合により画面右端の「記事ランキング」は廃止しています。で今回、このブログの十周年を記念してブログtopのページに 「先月の記事別アクセス数トップ3」 のコーナーを設けました。月替わりですが折に触れご参照ください。


      ⇒⇒新着記事渡り歩き⇒⇒
# by C_MANN3 | 2015-04-16 00:00 |  ・・・風にまかせて・・・ | Comments(0)

◆ついにアクセスカウントが30000に・・・

[2011.4.3載] ついに今日、このブログのアクセスがユニークカウントで30000件となりました。そして記事数もやっと347個に。

こんな地味なブログには身に余る有難い来訪者数であり感謝感激です!

開始して7年、好奇心の趣くままに書き溜めた記事は現在やっと347個。ユング、組織心理、心の哲学、進化論・・・テーマは右に左に移ろいますがそれらはどこかでつながっている。しばらくは遠ざかっていたテーマでもやがては大海をさまよう回遊魚のように回帰する。その道のりの中で出会う本とそこに広がる新たな世界、激動する世相から日々飛び込んでくるニュースとそれに接して湧き上がる思い・・・記事のネタには事欠かないはずなのですが、いざ文章にしようとすると筆が止まってしまうのが苦しいところ。

でもそんな中でなぜかグーグル検索と相性がよいのが相変わらずの心の支え。扱うキーワードはそれほどマイナーとは思えない単語なのですが、グーグルで検索するとこのブログがトップページに出てくるものが少なくない。でもこれってもしかするとニッチな世界に生息しているということなんでしょうか・・・
# by c_mann3 | 2015-04-14 00:00 |  ・・・風にまかせて・・・ | Comments(0)

◆ついにアクセスが20000件に

[2009.10.6載] ついに今日、このブログのアクセスがユニークカウントで20000件となりました。そして記事数もやっと300個に・・・こんな地味でマイナーな内容のブログなのに20000カウントとはありがたいことです。

ですが、相変わらずお見えいただくお客様は多分99%が検索サイトからの一見さん。最近のキーワードは多いものから順に
四住期、組織心理学、ハーバーマス・ルーマン論争、自在研究所、爬虫類脳、ビジネス顕微鏡、ハヴィガースト・・・といったところです。

依然としてgoogle検索との相性がよいのが頼り、さらに記事数増大を目指してがんばります。
# by c_mann3 | 2015-04-12 00:00 |  ・・・風にまかせて・・・ | Comments(0)

◆ついにアクセスが10000件に・・・

[2007.11.3載] ここ数日、仕事で家を空けていたのですが、その間の11/1にこのブログのアクセスがユニークカウントで10000件を超えていました。このブログを開始してちょうど三年、こんな地味でマイナーな内容のブログなのに10000カウントとはありがたいことです。

現在の記事数はやっと240個。最近の一年間の記事の掲載頻度は7日に1回程度のスローペース。アクセスも一日平均12~3件といったところなのですが、どうやら固定客というよりは検索サイトからのお客様が多いようです。

検索キーワードで頻度が高いのは・・・
「若年性アルツハイマー」、「四住期・林住期」「ハヴィガースト」、「自在研究所」、「ルーマン・ハーバーマス」・・・といったところ。その後には頻度が数件のちょっと固めのキーワードが百個近く続くのですが、まさしくロングテールの世界といった感じです。

ところでこのキーワード、グーグルで検索するとなんとトップページとか最初の数ページ目でこのブログが出てくるものが少なくない。ただなぜかグーグルに限ってのようで、同じものをYAHOOで検索してもまったく出てこなかったりする。
もしかしたら私のブログはグーグルと相性がいいんでしょうか?該当件数1万件とかのキーワードでトップページに出てきたりするとうれしくなってしまいますよね。そんなわけで一挙にグーグルファンになってしまいました。

実は、こんな小難しい記事を延々と書き連ねていったい何になるんだろうか?などと思うこともしばしば・・・ですがいったん漕ぎ出した舟、グーグル検索のランキングみたいなちょっとした自己満足を心の支えに、次は記事数300個を目指してがんばってみようと思います。
# by c_mann3 | 2015-04-10 00:00 |  ・・・風にまかせて・・・ | Comments(0)

      ・・・・・・・・・・・・・・・・

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これで、《・・・風にまかせて・・・》のコーナーは終了です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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# by c_mann3 | 2015-04-01 00:00 |  ・・・風にまかせて・・・ | Comments(0)

◆区分別読書の履歴・・・《心理・認知科学系》

 ◆区分別読書の履歴◆   心理・認知科学系 

区分けの境界はあいまいですが、スクロール上下で各区分も見て頂けるということでご容赦を!


◆「無境界」・・・自己成長のセラピー論 H24/10読

ケン・ウィルバー著、平川出版社、1986。太古の昔、①ヒトは宇宙とも自然とも一体の感覚の(無境界の)中で生きていた。だがやがて、②自然界と自分を(間に境界を設けて)別物と認識するようになった。だがこの時点では心身はまだしも一体であった。それがやがてさらに境界を設けて、③心と体は別物と認識するようになる。そしてさらに、④その心でさえも一つではなく無意識(影)とペルソナの間に境界を設けて今に生きている。
人は境界を増やすごとにその向こうとの交流を失い、ないがしろにした向こう側からの反撃を受け、軋轢を増やすこととなった。軋轢を力づくで乗り越えようとするヒトのエネルギーは文明進歩の源てはあったが、一方において病む原因を増やすことにもつながるものであった。
そしてあくこと無き文明の進歩の一方で広がる病みを解消しようとして、ヒトは次々とセラピーを編み出してきたが、それらは幾重にも重なり複雑に入り組む迷路のごとき状況である。

で、あまたのセラピー群を“どの境界の解消を目指したものか”で一気に整理し、それを辿っていくことで本来の無境界の世界へと回帰できることを示そうとしたのがこの本。
まずはカウンセリングや支持療法が④の“無意識とペルソナの境界”を解消する。続いて精神分析や交流分析が③の“心と体の境界”を解消し、ロゴセラピーや各種の人間性心理学が②の“自然界と自分の境界”を解消。そうしたステップを経て、ついには大乗仏教や道教を始めとする各種宗教が指し示す最後の①の“無境界で統一意識の世界”に到達することができるのだと・・・
心理学も宗教も一括した、なんとも壮大な構図の本なのですが、この本には面白いフレーズが出てきます。そんなふうに境界をなくし対立を消していくと(対立があればこそ生まれる)進歩への衝動はどうなるのかとの疑問が湧いてくるがと自問自答し、結果は衝動は無くなるだろう、だが進歩が幸せを生むという幻想に基づく不満もなくなるに違いないと言うのですが・・・

◆レキシコンに潜む文法とダイナミズム H27/10読

由本陽子著、開拓社刊。レキシコンとはヒトが心の中に持つ「心的辞書」のこと。その中核は母語に関わらず普遍的で生得的なものであり、だからこそ赤ちゃんは活用や文法の詳細を教えられるまでもなく、爆発的に語彙を膨らませながら活用し縦横無尽に言葉を操るようになる。
その動詞はいくつの項(目的語や補語)を必要とするか、名詞や動詞が互いに転用される際の規則は何か、派生語や複合語が生み出される際の制約は何か、そしてそれらは単純に割り切れる文法規則なのか語彙によってダイナミックに変化するものなのか・・・心的辞書にはそうしたことがぎっしり詰まっているとのことですが、この本ではその心的辞書が持つ構造を日本語と英語を対比しながら次々と解説してくれています。

ところでこの心的辞書の構造がほぼN.チョムスキーの「生成文法」そのものなのだと・・・
昔からチョムスキーの「生成文法」については気になっていながら本も読まずに過ごしてきたのですが、この一冊で長年の喉のつかえが下りた感じです。そしてこの本、期せずして放送大学のスクーリング授業のテキストとして遭遇したために、なんと著者の二日間にわたる熱のこもった講義付きで、感動的な出会いとなりました。

◆オープンダイアローグとは何か H27/10読

齋藤環さんがtwitterで頻繁に話題にされているのを見て手にしたのですが・・・齋藤環著+訳、医学書院発行のホットな本です。オープンダイアローグとは薬物治療で事に当たるのが常識の統合失調症を、薬に頼らず家族を含めた関係者の徹底した対話で高い治癒率を達成しているフィンランド発祥の治療体系とのこと。
本の前半では齋藤さんご自身の執筆で、強い思い入れの溢れる文章の紹介があり、その後翻訳された関連文献が三篇続く構成となっています。モノローグをダイアローグに・・・依頼があると24時間以内に患者、家族を交えたダイアローグを開始し、薬は極力使わず危機が解消するまで毎日ミーティングを繰り返す・・・
関連文献では生々しい会話の様子も紹介されていますが、この療法の背景には社会構成主義、オートポイエーシスといった深遠な哲学的基盤があり、その解説も丁寧にしてくれていて感動的な一冊です。

是非お勧めの本ですが、手に入るのが待ちきれないという方には斎藤さんの序文がこちらに・・・  http://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=87749

◆ユングの「哲学の木」 H24/2読

この本は錬金術と深くかかわるとかで、何やら神秘的な雰囲気が漂っています。心の奥に漂うイメージを自問自答の瞑想でくみ上げ(このプロセスをアクティブ・イマジネーションと言う)樹木の絵として表現すると、無意識にひそむ表象が浮かび上がってくる。
曼荼羅が心の表象の横断面を表したものに対して、木の絵は表象の縦断面を表していて、自己との遭遇と変容に至る未来への道筋を表しているとのこと。そのためか、この本ではいきなり32枚の絵とそれへのユングの解説で始まり、その上でアクティブ・イマジネーションという工程が実は錬金術師の瞑想のプロセスときわめて類似といった本文につながっていくことに・・・

なお巻末には訳者(工藤昌孝さん)が樹木のイマジネーションの変化を心理臨床に適用した事例が添付されています。カウンセリング中に書かれた「木」の絵と、その絵が進展に伴って変化していく様子がぎっしりと解説されているのですが・・・こうした話は自分自身が一度そうしたカウンセリングを受け、心的変化のプロセスを経験してみないと深い理解には繋がらないのかもしれない・・・などと思ったりもした一冊でした。

◆ユングの「赤の書」 H22年/立ち読み

この本は買って手元にあるわけではありません。なにしろ大きくて重くて、とんでもなく高価。発売当時、とある書店でたぶん発売記念か予約受付だったかで・・・とにかく仰々しく飾られたコーナーで見開きで鎮座していたこの本を、恐れ多くもパラパラと捲って仰天したことを覚えています。

なんでもユングが苦しんでいた時代に書かれた原稿が銀行の金庫にしまわれ門外不出になっていたものがやっと解禁され出版にこぎつけたとのこと。真っ赤な表紙(だから「赤の書」と)で開くと、本文はドイツ語の花文字、そして随所に神秘的な絵が挿入されていて、まるで中世の秘伝書といった趣でした。
日本語訳は巻末に一括して付けられていて、ユング研究には必須の本とのことですが・・・私などには、ちょっと触れてため息をつくだけで十分なのかも。
この本、詳しくはこのホームページで、またその中に数ページが覗き見できる“本文見本pdf”のコーナーがありますので、よろしければ閲覧を。
   http://www.sogensha.co.jp/special/TheRedBook/


      
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# by C_MANN3 | 2015-02-20 00:00 |  ・・・風にまかせて・・・ | Comments(0)

◆区分別読書の履歴・・・《進化・生命科学系》

 ◆区分別読書の履歴◆   進化・生命科学系 

区分けの境界はあいまいですが、スクロール上下で各区分も見て頂けるということでご容赦を!

◆生命 最初の30億年 H28/4読

友人に勧められて手にした本なのですが、アンドルー・H・ノース著、紀伊国屋書店、2005年刊。副題が“地球に刻まれた進化の足跡”とあり、この本は35億年前のこの地球に生命の痕跡らしきものが見え始めたころから、5億年前のカンブリア爆発までの、最初の30億年の間の生命の進化を解き明かしていくドラマチックな構成の大作です。

カンブリア紀以降に比べると格段に物的資料の乏しい空白の期間なのですが、世界の極限の地を踏査し太古の環境の名残や微化石を追い求め、層序学、放射性同位元素による年代測定、DNAやRNAのかけらに分子時計を当てはめた生命系統樹の分岐点推定、さらには太古に類似の環境で生息する太古と類似の現生微生物の分析と、あらゆる手段を組み合わせて生命進化の謎解きをしていくプロセスが克明に描かれています。
その中で地球環境が生命を生み、生命が環境を変える(例えばCO2やO2の濃度なども一例かも)、地球と生命は正に共進化してきた関係なのだといった味わい深い話も随所に出てきます。
ただこの本自体は原著が2003年に発行されたものであり、今となってはこうして解き明かされた答えは既に教科書にもまるで自明のことのように淡々と箇条書きされている事項も少なくないのですが、この本ではそれに至る大変なプロセスが今なお残されている課題や異論と共に描かれていて、机上で教科書の箇条書きを丸呑みしてしまっている自分がちょっと恥ずかしくなったりも・・・

ともあれ最も古い祖先と思っていた古細菌は実は新しくてもっとその手前がある、DNAが生まれる前にはRNAワールドがある・・・わかればわかるほど、その先が解らなくなるこの世界に分け入っていくにはこの本に描かれているようなドラマチックなプロセスが更に果てしなく必要のようです。


◆エピジェネティクス H27/12読

仲野徹著、岩波新書1484、2014年刊。ひとつ山を越えると次の山が見えてくるということでしょうか。
DNAが分かればすべてが分かる、そう願って全ゲノム解読の山を越えてみると、そのDNAは自由気ままに発現できているわけではなく、そこには発現制御機構というもう一つの山が立ちはだかっていた。その機構がエピジェネティクス、そのひとつはDNA個々の要所要所に取りつくDNAメチル化、そして長いDNAを保持しているリールのようなヒストンに加えられた数々の修飾。DNAは解読されタンパク質に翻訳されてはじめて人体を構成していくが、そのDNAにまとわりつくエピジェネティクスはまるで膨大な文字列の本に挟まった"しおり"やアンダーライン、伏字、塗りつぶしとなって解読(発現)を制御していく。
しかも細胞分裂に際してはDNAと同じくエピジェネティクスの情報も引き継がれていく。しかし突然変異以外では変わらない安定したDNAに対してエピジェネティクスは体内外の環境の影響を受けダイナミックに変化する存在でもある。

この本ではDNAメチル化、ヒストン修飾といったエピジェネティクスの機構が分かりやすく解説された上で、同じDNAを持った一卵性双生児が環境が異なるとやがて異なる発育を見せる、よく似たDNAを持った兄弟や親子でも同じ部位で発癌するかどうかは異なる・・・そういったエピジェネティクスが支配している現象が次々と紹介されていきます。
エピジェネティクスは今、時代の最先端のホットな領域であり、その分センセーショナルに扱われやすい領域でもあるとのことですが、その詳しい解説だけでなく、著者のこの領域への篤い思いと科学者としての冷静な目線が伝わってくる感動的な一冊でした。


◆破壊する創造者 H27/10読

フランク・ライアン著、早川書房2011刊。“生物の進化は突然変異と自然淘汰の積み重ねによるもの”と言われても、何か都合がよすぎる感じがしてもやもや感が払しょくしきれない中で出会ったのがこの本。

この本によるとその副題、“ウイルスが人を進化させた”が示す通り、進化の源泉はウイルスの進入と共生の積み重ねによるものだと。確かに私たちを含む動物や植物の細胞はミトコンドリアや葉緑体の進入を受け共生するようになったことで飛躍的な機能を手に入れたが、それは突然変異じゃないですよね。もちろんミトコンドリアや葉緑体はウイルスではないが、それよりもはるかに進入(感染)力の強いウイルスはもっと頻繁に進入し続けその痕跡がDNAのイントロンやLINE、SINEといった領域にはぎっしり蓄積されている。

ウイルスが侵入し宿主と共生しようとすることを攻撃的共生というらしいですが、その第一段階の攻撃を受けると宿主側は免疫力等で防御はしてみても結果的には99%以上が死滅する。そして絶滅の一歩手前で相利的関係を築いて共生関係に入る。その結果生き延びた宿主の側は新たな機能を手に入れて再度繁殖する。そういったことを繰り返して今に至っているということのようです。種の一部の個体に突然変異が発生しそれが交配によって子孫に拡がって行くとの話に比べると、ウイルスは特定の種にくまなく一斉に襲い掛かり、しかも種のDNAに直接影響を及ぼす分、特定の種の進化の説明としては納得しやすいものがあることは確かです。

とはいうもののこの本、不慣れな私などには難解なところも多く、ちょっと今の時点では消化不良の感じはぬぐえませんが・・・哺乳類が胎盤を手に入れた経緯等、ウイルス由来と思われる進化の事例等も豊富に解説されていて、読んでいて説得力があり、繰り返して読んででも理解を深める価値はありそうな一冊です。

      
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# by C_MANN3 | 2015-02-18 00:00 |  ・・・風にまかせて・・・ | Comments(0)

◆区分別読書の履歴・・・《グローバル経済・経済史系》

◆区分別読書の履歴◆  グローバル経済・経済史系 

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◆資本主義の終焉と歴史の危機 H29/1読

水野和夫著、集英社新書0732、2014年の刊。ただ事ならぬタイトルの本ですが、日々のニュースに現れる事変や相場に一喜一憂していては見えない歴史の本質を400年スパンの金利の変化でひも解いてくれていて、しかも不気味な説得力がみなぎっている本です。

この本によると・・・資本主義は(国や地域、産業分野といった)中心と周辺から構成され、中心が利潤率を高めて資本の自己増殖を推進するシステムであり、それが機能し続けるためには常に新たな周辺の確保が必要。
大航海時代にはじまり空間としての周辺を広げてはきたが、途上国が成長し新興国になれば更なる周辺が必要。だが21世紀を迎えた今、もはや地球上に新たな実空間としての周辺は見当たらない。
資本主義の始まりはフィレンツェで利子が容認されるようになった12~3世紀と見ることができるが、以来利子率の長期低迷が続くとその都度新たな周辺が切り開かれてきた。

投資先である周辺を失えば金利はおのずと下がる。そうした歴史の中でもっとも最近の1990年代の利子率低下時代を突破するために生み出された新たな空間がグローバルでバーチャルなな電子・金融空間であったが、それは必然的にバブル生成と崩壊を繰り返す性質のものであった。
そして崩壊の度にバブルをあおった側の巨大金融機関は公的資金で救済される一方で、一国の中では中間層がローン破綻やリストラにあい貧困層に転落、国家のレベルでは債務破綻国が生みだされて格差を広げていく。気が付けば遠くの地に求めるはずであった周辺が、中心であるはずの国や地域の内部に形成されつつあり、それがたとえば日本では非正規社員層の出現であり、EUではギリシャ問題である。

資本が利潤を生む空間を失えば資本主義は行き詰る。そしてそれが格差の拡大や中間層の崩壊を伴うものであれば民主主義に基づく国民国家の基盤も失う。資本主義の終焉とは近代の終わりであり、西欧史の終わりでもある。
金利の長期低下は資本主義終焉のバロメータであるが、そうした中で日本が世界に先駆けて到達したせっかくのゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレ。このアドバンテージを利用して日本は“定常状態、脱成長という成長”を模索して歴史の危機に立ち向かうべきなのだが、それにう抗い成長路線に先祖がえりしようとすることは沈没を早めるだけなのだと・・・
ではこの危機を乗り越えソフトランディングする新たな処方箋とは何か、実は著者ご自身も明確な答えは持ち合わせていないとのことなのですが、この本の構図を念頭に置いておくといま世界で巻き起こっている現象が理解しやすくなることは確かです。


◆問題は英国ではない、EUなのだ H28/12読

エマニュエル・トッド著、文春新書1093、2016年の刊。この本は英国がEU離脱を決定し、米国ではトランプ旋風が巻き起こる中で出版されたエマニュエル・トッドの新著。

EU離脱については既にそれを予見していた著者にとって当然の帰結であり、強引に推し進められるグローバリゼーションに疲弊する世界の中で巻き起こったネイションへの回帰なのだと。
今回の英国のEU離脱、そして米国のトランプ旋風・・・それは世界中をグローバリゼーションの渦に巻きこみ込んだ火元の国でさえもが、人・物・金の見境のない流動による弊害が耐え難い状況に至ったことを示している。
そうしたこともあり今回EU離脱に至った要因については移民の急増や経済格差が言われているが、実はもっと重要な動機は英国議会のEUから主権を回復することにあったことが投票の出口調査からもうかがえ、それは英国が世界に先駆けて"近代”の扉を開いた“名誉革命”へ回帰とでも呼ぶべきものであると・・・

EU離脱を決めた英国はいま戸惑っているようにも見え、次は連合王国の分裂かともいわれているが、そんなことにはならず、時間はかかるかもしれないが広大な英語圏諸国との絆を深める中で英国は再び確固たる地位を再構築するに違いない。

では一方のEUはどうなるか・・・超国家を目指して突き進んできたEUは益々構成国の国家主権の垣根を低くしEUとしての官僚組織を肥大化させる傾向にあるが、そうした中で経済政策、移民政策等で益々理想主義を貫こうとするドイツに対して、今までは仏・英が歯止めの役割を果たす微妙なパワーバランスの上に成り立っていた。
だが今後は英国の援護射撃を失ったフランスがドイツの歯止めとなることは難しく、おそらくは益々ドイツ色の強いものとなる。そこでドイツが理性的にふるまわなければあちらこちらで超保守が台頭し、構成国のネイション回帰が始まり分裂する可能性もある・・・というのがトッドさんのお見立てのようです。

ところで著者のE.トッドさんは歴史人口学者で家族人類学者。この本の後半ではご自身の血筋やキャリアの中で一連の著作を世に問うに至った思索変遷の経緯が回顧され、併せて人口学や家族の形態比較の視点から見た歴史の様相が解説されていきます。

外婚制共同体家族を基盤とする国家とかつての共産圏は分布が重なる。ベトナムは共産主義化したがとなりのタイは母方同居を伴う核家族をベースにした社会だったために共産主義には染まらなかった。その共産圏が崩壊した際も核家族型のポーランドや直径家族型のチェコはスムーズに共産主義を脱したが、中国やロシアは今後も尾を引きずると。また直系家族の社会は国家機能を内包しているがゆえにとりたてて国家を必要としないとか、核家族の社会は個人主義を発達させるが実は個人主義ではみ出したものを補完するためにかえって確固たる国家を必要とする、はたまた内婚制共同体家族のアラブではもともと国家形成が困難なのだ等々・・・

そしてこうした見方の延長線として2030年代の世界を展望する章へと続くのですが、読み進めるうちにこれからもE.トッドさんの予見が現実のものとなる場面は種々出てきそうな気がし始める貴重な一冊でした。

◆ウォーラーステイン H28/10読

川北稔著、講談社選書メチエ222、2001年の刊。経済史の本を読んでいると必ず出てくるウォーラーステイン著の「近代世界システム」。一度は読まなければとは思ったものの分厚い全4巻の大著でしかもさらに第5巻が予定されているとのことで、それを読むのは大変と手短な解説本を探していて手にしたのがこの本。

著者の川北さんは学生時代にウォーラーステインの著作に接して感動し、そのままウォーラーステインのもとへ留学し「近代世界システム」全巻を訳された方。
まずはウォーラーステインの「近代世界システム」の要点、論点を箇条書きの6項目としてたった2ページに要約してくれていて思わず納得。ですがウォーラーステインの神髄はむしろその定番の6項目に至る思索のプロセスにあると。

例えば世界システム論の特徴の一つには世界を保守と革新、先進国と後進国といった二項対立でとらえることに異を唱え、対立しているかに見える二項は実はセットで互いに役割補完のシステムを生成してしまっているというのがあるのですが・・・こうした観点は米国生まれのユダヤ人であるウォーラーステインが研究活動に入って以降のアフリカの経済開発との関わり、1968年の世界規模で巻き起こった反体制学生運動への大学側の立場での関わり、そしてその後のブローデルの「地中海」との遭遇と続く経緯の中で少しずつ確信を深めて「世界システム論」として集大成されたものなのだといったことが解説されていて、ウォーラーステインの著作を理解し納得するためには大いに参考になりそうな一冊となっています。

◆世界システム論講義 H28/10読

川北稔著、ちくま学芸文庫、2016年の刊。上掲の「ウォーラーステイン」に続いて同じく川北さんの著作ということで手にしたのがこの本。
こちらはタイトルがずばり「世界システム論」とあるように、文中にウォーラーステインの名は出てきませんが、まぎれもなく“(近代)世界システム論”そのものの全容を15章にまとめてくれています。この本はもともと2001年に放送大学の15回分の講義のテキストとして執筆されたものとのことで、凄く読みやすい構成となっている有難い一冊です。


      
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# by C_MANN3 | 2015-02-17 00:00 |  ・・・風にまかせて・・・ | Comments(0)

◆区分別読書の履歴・・・《歴史・思想系、その他》

 ◆区分別読書の履歴◆   歴史・思想系、その他 

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◆中東から世界が崩れる H29/1読

◆イスラム国の野望 H28/10読

 この2件はまとめて “イスラムの国あれこれ” のコーナーに移設ました。

 
◆民族という名の宗教 H28/10読

なだいなだ著、岩波新書204、1992年の刊。そういえば著者のなだいなださんがお亡くなりになってもう三年、そんな思いもあり手にした本なのですが・・・

この本では人類が始まって以来の、人が集い群れを成しその群れをだんだん大きくしてきた中で、人を集めて束ねる力は何だったのかといったことが、軽妙な語り口でつづられています。
まずは親族で集まり、それが氏族の集まりとなり、やがて民族の単位となり、さらには国家や国家を超えてつながる帝国、宗教圏、(社会主義や資本主義の)陣営へと人はひたすら大きくまとまることで覇を競ってきた。そしてその都度、その規模に見合った凝集力を高めるための旗印、信仰、儀式、教義を生み出してはきたが、それらはいずれも考えてみると根拠があいまいで集団幻想ともいえるものでもあったと。

例えば血縁を基にしているとはいえ氏族集団ともなると家系を辿った血縁関係はあいまい。また国民国家意識を高揚させるとは言っても構成民族は複雑で文化も入り混じり、アメリカ人とか中国人とかいった人種がいるわけでもない。従って国家や陣営といった上位概念の集団はいったんほころび始めるといとも簡単にもとの民族意識や氏族意識の世界に戻ってしまう。
この本はソ連邦が崩壊し社会主義の束ねが外れ、ユーゴスラビアに代表されるようにソ連周辺国が一挙に民族意識の世界に回帰し、紛争が多発する中で書かれたこともありその説得力には思わず引き込まれてしまいます。

ともあれ一時は世界の半分を束ねた社会主義なるものが崩壊し、その主義がもはや無用の長物、粗大ごみとして捨てられようとしている真っ最中にあって、なんとなだいなださんは"いや捨てるのはもったいない、この主義が持っていた力の何某かはリサイクルが可能”と。

このムーブメントは「万国の労働者よ団結せよ」とのスローガンの下、一時とは言え民族や国家を超えた連帯を成しとけたことは事実。このスローガンの「労働者」の三文字を何かに置き換えるならこのシステムの再利用は可能なのではないかということのようです。
さてこの三文字を何にするか・・・なだいなださんは生前「老人党」を結成しておられたのですが・・・だとすると「万国の老人達よ団結せよ」を旗印にすると、また新しい地平が見えてきたりするのかもしれません。

◆シルクロードと唐帝国 H28/9読

森安孝夫著、講談社“興亡の世界史05”、2007年の刊。1千年紀の中央ユーラシア、そこでは北の草原から次々といろいろな遊牧騎馬民族が台頭し、それが南の農耕民族と遭遇することで対決や共存を繰り返えすとともに、シルクロードを支配する商いの民もまた東西の文化の交流や文物交易を担うことで影響力を強めていく・・・この本ではそうした様子がダイナミックに描かれています。

中央ユーラシアとはバイカル湖よりさらに東の大興安嶺からアラル海、カスピ海を経て黒海北岸のウクライナ平原までを貫く領域であり、その東西を貫くように草原と砂漠のベルト地帯が続いているが、そこは遊牧地帯、農耕地帯とその交雑地帯が層をなして連なる地帯でもある。そしてこの交雑地帯こそは北の遊牧騎馬民族と南の農耕民族が出会い、衝突と融合を繰り返す中で色々な民族や文化が入り混じった隋や唐のようなグローバルで世界帝国ともいうべきものが興亡を繰り返す国家揺籃の地であった。

そしてそこではシルクロードが大きな役割を果たしていた。シルクロードとは“天山山脈の近辺を数本走る西域への道”と言った程度のものではない。中央ユーラシアのほぼ全域にわたって東西のみならず南北にも枝を広げて多様な文物や文化が行きかう面的なシルクロードネットワークとでもいうべきものであった。そしてそこで縦横無尽の活躍をしていた最大の勢力がソグディアナを故郷とするソグド人であったが、シルクロードの隅々にまでコロニーを持ち、ただ商いに長けるだけではなく高度な情報力やキャラバン自衛由来の軍隊を有し、いろんな民族との交渉力を兼ね備えた集団であった。そのため自身で国を作り覇を競うことはなかったがあらゆる勢力の奥深くに浸透して影響力を発揮し、色々な国家が興亡を繰り返してもソグド人のみは影響を持ち続ける存在であり続けた。

だがそのソグド人も1千年紀の終わりごろには姿を消していく・・・しかしそれは大河がやがてたどり着いた砂漠にしみこみ姿は消すが伏流水となって流れ続けるのに似て、滅亡ではなく中央ユーラシアの隅々に融解していった帰結である・・・一方唐帝国の方は安史の乱以降はもはやグローバル帝国の様相はなく、金で国家の輪郭と安寧を買うただの国家になりはててしまった・・・などといったことがたっぷりと描かれていて、中国視線のアジア史とは全く趣の異なる壮大で感動的な一冊でした。

◆多神教と一神教 H28/9読

本村凌二(りょうじ)著、岩波新書967、2005年の刊。太古の昔、人がまだ意識や自我を持たなかった頃、人は耳元にささやきかける神々の声に従い神々と共に生きていた。だがやがて意識や自我の芽生えと共にそのささやきは聞こえなくなり、変わりに人は自身の意識の中にその気配を探し求め言葉に載せることで人々と共有するようになった。

副題に“古代地中海世界の宗教ドラマ”とあるようにこの本では、メソポタミア、エジプト、そしてギリシャからローマへと続く人類と神々のかかわりが解説されていきます。
(以下は勝手な要約で恐縮ですが・・・)幾多の民族や部族が交流と興亡を繰り返す中で、民族により名は違えども同種の神は収斂し、統合されていく。そうした中で人々はやがて神々の背後にあってすべてを取り仕切る全能の神をイマジネーションするようになる。それは概ね太陽神とそれに寄り添う女神の形をとることになるが、全ての源で威厳はあるが親しみにくい全能の神とは異なり、それに寄り添い包容と慈愛い、そして豊穣を担う女神の存在は人に神への親しみと安らぎをもたらすものでもあったに違いない。

だがそうした中で一部のあまりにも過酷な運命を生きる民族の中から、女神の慈愛などは待てないと全能の神に“己を律して生きるなら救済してくれるか”とばかりに直談判の契約に及ぶものが現れた・・・旧約、新約の一神教はそうして生まれたものではなかったかと。言われてみるとこうした一神教では女神的なものが弱く、ともすれば慈愛や寛容よりも父性的な戦いに明け暮れてきた感はありますよね。

また著者は一神教が成立した頃がアルファベットが生まれた時代に重なることに注目し・・・幾多の事象を象形文字であらわすヒエログラフは一つ一つの文字に言霊が宿るために幾多の事象を表そうとすると数千種にも及んでしまう。対して個々の言霊は一旦切り捨てたった30個ほどのアルファベットで森羅万象を表現する全能の表音文字を生み出したプロセスは、個別具体の事象を担う神々を全能の神として抽象化していく過程と同じ心的なプロセスではなかったかとも。
この本はしなやかな文章で独特の雰囲気が漂う、まさに5千年に及ぶ壮大な心の考古学です。
 なお“多神教、一神教”については他にも一塊の記事が別コーナーに・・・ 


◆古代都市平城京の世界 H28/8読

舘野和己著、山川出版社、2001年の刊。著者は長年奈良国立文化財研究所で平城宮跡の発掘に携わって来られた方。その方の二日間に渡る講義を拝聴する機会があって手にした本なのですが…

この本では発掘に基づく都の骨格と、そこの長屋王邸宅跡から出土した3万5千点にもおよぶ木簡文書や各種の文献資料を基に平城京のいきいきとした姿を復元してくれています。両側に側溝を持つ幅74mの朱雀通りが中央を貫き、その両側に位階の順に臣下、官吏の屋敷が並ぶ。物流のターミナルとしては左右2ヶ所に市をもちそこには人工の運河がつながっている。
規模としてはひとつ前の藤原京よりも一段と広大で、完全な条坊制の骨格を持ち宮殿の配置もさらに長安のそれに近づいていることが窺えますが、本書では更に官吏の日常勤務の様子、東西の市で賑わう物資の流通の様子、税や献納としてとして全国から集まる物資や労働者の様子も描かれていて・・・まさに律令体制国家の要として国家の威信をかけて造営、運用されていた平城京の様子が目に浮かぶようです。

ただ10万人とも20万人とも推定される人口を抱えるが故に既に今と同じ都市問題にも悩まされていたようで、その中でも最大の問題点が衛生面。何度となく疫病の蔓延に悩まされ、それが政情の不安も巻き起こし、最後は帰っては来るものの途中何回かのプチ遷宮や騒動もあったりと・・・あおによし奈良の都もそれなりに大変ではあったようです。
ともあれこの本、各ページの欄外の注釈も程よく親切で予備知識が乏しくても楽しめて奈良時代そのものの理解にも役立つありがたい一冊でした。

◆道が語る日本古代史/◆古代道路の謎 H28/8読
◆道路の日本史/◆完全踏査古代の道 H28/8読
 この2件はまとめて “日本あれこれ” のコーナーに移設ました。

◆古代飛鳥を歩く H28/6読

千田稔著、中公新書2371、2016年の刊。仏教伝来を始め大陸の文化文明が押し寄せる中、政変を繰り返しながらも日本の形が整いつつあった時代の飛鳥、天皇が代を変える度に宮を遷しはするが飛鳥を大きく外れることはなく、やがてそれを集大成するかのように藤原宮を造営するに至った飛鳥の時代。
この本はその日本の原風景ともいえる飛鳥の地への想いをエッセイ風にまとめてくれています。場所や事変の折々を題材に76の章立てで構成されていて、各章はカラーの写真1枚を含んで2ページで完結の簡潔な構成となっており、読み進めるうちに事変や天皇名が箇条書きされただけの歴史の教科書ではつかみにくいこの時代の風景が浮かび上がってきそうな一冊です。

著者曰く。外国の文化文明を吸収し日本を形作っていく様子は、明治を含めた近代によく似た姿ではあるが、和魂洋才と称してその背景としての精神性の導入までには至らなかった近代に比して、飛鳥の時代には目に見える文化文明だけでなくその背後にある心(一つには仏教)をも吸収し、それを為政の徳や生きる指針としようとした日本人の真摯な姿が見て取れると・・・一見、飛鳥散策のガイドブックのように見えて、実は味わい深い一冊です。

◆シルクロードの古代都市 H28/6読

加藤九祚(きゅうぞう)著、岩波新書1444、2013年の刊。副題に“アムダリヤ遺跡の旅”とあり、この本ではネパール高原やヒマラヤ山脈に連なるアフガニスタンのヒンドゥークシュ山脈を源とし、中央アジアを西に2574kmにわたって流れてアラル海にそそぐアムダリヤ(アム川)と、その上流のバクトリアの遺跡について紹介してくれています。

まず序章としてアムダリヤとアラル海の地形や風土が紹介されるのですが、かつては世界第4位の広さを誇っていたアラル海が一大灌漑事業により1960年を境に一挙に干上がり、湖水面積が1/5まで激減してしまった経緯が紹介されています。川の上流で水量の1/4を分岐させ1100kmに及ぶ運河を作り広大なエリアを綿花畑に変える、100mも揚水して高地に運河を作り都市を潤す、だがその結果一方では湖水を干上がらせ広大な塩害の地も生み出してしまう・・・強大な計画経済国家だからこそできた、そしてしてしまった20世紀最大の大地改造、自然破壊の結果です。

で、本題のこの川の上流バクトリアの地は、ユーラシアの西とインドや中国をつなぐ要衝の地であり、それだけにアケメネス朝、アレキサンダー大王東征、クシャン朝といろいろな勢力の侵攻を受け、何重にも文化の融合を重ねてきた土地であり、その様子がうかがえる遺跡が次々と発見され調査が進んでいると。
いずれの遺跡もヘレニズムの影響は強いのですが、そのひとつ、アイハヌムはアレキサンダー大王東征の後、グレコ・バクトリア王国に入植したギリシャ人中心の都市であったらしく、街の姿は円形劇場、神殿とギリシャの街にそっくりの造りとなっているとのこと。
対してタフティ・サンギンはギリシャ人とバクトリア人が共存していた街であり、そこでの神殿の造りや推定される儀式からギリシャ神とゾロアスター教の風習が見事に融合している様子が明らかになってきたと。
そこでゾロアスター教についても1章を割いてくれていて、原ゾロアスター教、その一大改革者であるツァラトゥストラの生涯、そしてその後のゾロアスター教に続く変遷が詳しく解説してくれていて、これも読みごたえのある1章となっています。

それにしてもなじみのない地名のオンパレード。ならばと付図の地図を拡大コピーして横に置き、さらには地名の迷子になりながらもグーグル地図の衛星画像を拡大したり縮小したりしながら読み進めるうちに(一旦場所が特定できて超拡大すると遺跡の輪郭がくっきりと見えて感動です!)、あこがれの中央アジアに少しは足を踏み入れた気分がし始める、ありがたい一冊でした。
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ところでアラル海やゾロアスター教についてはこのブログでも以前に駄文を・・・
     アラル海、 ゾロアスター教
そしてこの本の著者、何と御年94才とのことなのですがその波乱万丈の経歴やご活躍のご様子を・・・
     岩波のサイト(この本の写真や地図も)、 そして新聞のインタビュー記事


▼2016.9.12追記 この本の著者、加藤九祚さんが調査の旅先のウズベキスタンでお亡くなりになったとのニュースが流れています。94歳とのこと、ご冥福をお祈り申し上げます。
    http://www.asahi.com/articles/ASJ9D6GZKJ9DPTFC01K.html

◆ジャポンヤ --イブラヒムの明治日本探訪記-- H28/3読
◆イブン・バットゥータの世界大旅行  H28/4読

 この2件はまとめて “イスラムの国あれこれ” のコーナーに移設ました。

◆甦れ、わがロシアよ H27/12読
◆ロシア人しか知らない本当のロシア H27/12読
 この2件は “ロシアあれこれ” のコーナーに移設ました。

◆物語 ウクライナの歴史 H27/6月読

黒川祐次著、中公新書1655、2002年刊。クリミアをもぎ取られ、今も東部ではロシアとの確執が続いているウクライナ、それは一体どんな国なのかということで手にした本なのですが・・・
この国はかつてはロシア(モスクワ)、ベラルーシをも包含し広大な版図を有していたルーシ公国を源に持ち、首都キエフを中心に栄えたヨーロッパの大国であった。ところがその版図の北部のモスクワ公国がルーシ(つまりロシア)の名を持って独立し、さらにはベラルーシもルーシの名を持って独立・・・。で、残された地はやむなくキエフ・ルーシー国と呼ばれるようになり、その後はモンゴルに侵攻され、さらにはリトアニア・ポーランド、ロシア、オーストリア帝国、そしてソ連邦へと、(途中コサックの栄光の時代を挟みはするが)その時代時代に勢力を持った近隣の大国に飲み込まれ続けた。
だがそうして国としての輪郭を持てなかった時代にあっても常に、豊かな大地、資源、技術力を背景に重要な地であり続けてアイデンティティを保ってきたのがウクライナ。そして迎えたソ連邦崩壊で一挙にヨーロッパの大国として躍り出た今、芸術、科学技術、軍事技術等においてソ連邦の栄光と思われていたものが実はウクライナの業績であったというものも少なくない。
だからこそロシアとの関係はぎくしゃくするということなのかもしれませんが、ウクライナからしてみればもとはと言えばロシアに対してはこちらが本家筋、ロシアから見れば勝手に飛び出したかつてのソ連邦構成共和国との思いもあるとすると、両国の軋轢は根が深いのではとの感じもします。

なおこの本自体は黒海北方の大地の、スキタイ人が闊歩していた紀元前7~8世紀ごろから始まり現代に至る壮大な通史なのですが、なんと外務省の外交官であった著者が、たまたまウクライナへの赴任命令が出たことがきっかけで、日ごろなじみのないこの地を理解してもらえればとまとめ上げたとのこと。そのエネルギーに感動するとともに、こんな外交官がもっといてくれたら我々の国際理解ももっと進むのではなどと、ふと・・・


◆歴史の終わり 上・下 H27/11再読

 この項は “経済史、文明史” のコーナーに移設ました。

◆中世シチリア王国 H27/5月読

 高山博著、講談社現代新書1470、1999年刊。10世紀の頃の地中海は新たに台頭したアラブ・イスラムとラテン・カトリック、そしてギリシア・ビザンツの3つの勢力がせめぎ合い戦いを繰り返していた。
そうした中で、元はバイキングに源を持ち北フランスのノルマンディに住み着いていた人たちの中から、多くの若者たちが傭兵として南イタリアへと渡り頭角を現していき、その中の一人がシチリアの地に築いた国がやがてノルマン・シチリア王国となる。
この国、シチリアの地は地中海交易の富と人が集まり文化が接する要衝でもあり、歴代王は遠くの勢力や異邦の地より妃を求め、宮廷にはギリシャ語やアラビア語が飛び交い3つの文化が渦巻いていた。街では多様な民族がすみ分けて混在し、政治の要職にはギリシャ人やアラブ人が登用され、地中海の楽園と称されることが益々人や知識や財を引き付けていくことになり栄華を極めていく。結果、12世紀末の王フレデリクス(フリードリッヒ)二世はシチリア王、ドイツ王、神聖ローマ皇帝、さらにはエルサレム王までを兼ねるに至る。

・・・といったことが書かれているのですが、この本の著者は放送大学の「地中海世界の歴史」の講師として、ほぼこの本の内容をあつく語っておられた方であり、読み進めるうちに先生の声が聞こえてきそうな気がするのですが、現在は既に閉講となっているのが残念です。
ところでフレデリックス二世がエルサレム王を兼ねるようになった経緯がすごい。殺戮や強奪で名高い十字軍の歴史の中で、何と彼が行った第6回十字軍では、軍隊は進めたが現地につくやいなや延々とエルサレムを支配するアイユーブ朝のスルタンと難解な学術書簡の文通を始め、互いの教養の深さに感じ入り意気投合した結果、条約を結び無血でその地が解放されたとのこと。
時を経た21世紀の今、ヨーロッパ文明とイスラム圏の軋轢は益々泥沼の様相を呈していますが・・・歴史をたどればこうした時代もあったのだと、そしてそこに流れていたものは相手世界への深い知識、そして教養と寛容ではなかったかと思わせてくれる貴重な一冊です。

NHK さかのぼり日本史 ⑦~⑩ H27/8読

実は放送大学で「日本古代中世史」の単位試験を取りこぼしてしまったこともあり手にした本なのですが・・・
全十冊の日本史“さかのぼり”のシリーズということで、⑦は戦国編、以下順次遡って⑧室町・鎌倉、⑨平安と続き⑩が奈良・飛鳥です。
放映番組を本に仕立てたもののようで、さすがNHK、各時代のターニングポイントとなった出来事が臨場感豊かな程よい文章量で解説されています。これなら老いて記憶機能が弱った私の脳にも時代のイメージがそれなりに浸み込んでいきそうです・・・ということで、多少再試験に臨む意欲が湧いてきた感じもし始めました。

      
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# by C_MANN3 | 2015-02-16 00:00 |  ・・・風にまかせて・・・ | Comments(0)

◆放送大、感動の講義:分野別収納室◆


◆放送大、感動の講義:区分別の印象記◆

区分けの境界はあいまいですが、スクロール上下で各区分も見て頂けるということでご容赦を!

心理学系科目の印象記

◆交通心理学('12)

心理学は認知科学や脳科学の発達により基盤が益々確固たるものとなる一方、それを適用する領域も益々広範囲になりつつあるようです。そうした様子は◆心理学概論('12)でも網羅的に紹介されており、教育、臨床、産業、組織、意思決定、消費者行動と広範囲な領域が扱われています。ところがもう一歩進んで個々の領域をさらに詳しく学ぼうとして科目を探すとどういう訳か臨床、教育関連の科目ばかりが目立っていて、ちょっと物足りない感じを抱いていました。
そこに現れたのがこの◆交通心理学('12)です。この科目ではテーマを交通に絞り、事故発生のメカニズム、その心的要因と交通システム側の問題、安全教育や今後の交通システムへの提案的言及へと展開されていて・・・まさにこんなところにも心理学が活躍するのか!と思わせてくれる感動の科目です。臨床だけが心理学じゃない、これからもこうしたいろんな個別領域の心理学が科目編成されるといいのですが・・・

◆認知行動療法('14)

上述の◆交通心理学('12)の話とよく似た言い回しになってしまうのですが・・・
ますます複雑化するストレス社会にあって、病める人への臨床心理学はよって立つ原理としても手法としても益々多岐にわたり発達しているようです。そうした様子は◆心理臨床の基礎('08)でも網羅的に紹介されていて、精神分析、ユング、クライエント中心、認知行動、遊戯等、多岐にわたる療法が扱われています。ところがもう一歩進んで個々の療法をさらに詳しく学ぼうとして科目を探すと、どういう訳か精神分析やユング、クライエント中心療法的な科目ばかりが目立っていて、ちょっと物足りない感じを抱いていました。
そこに現れたのがこの◆認知行動療法('14)です。深層心理を云々せず、行動主義や認知理論をベースにした即効性のある療法とのことですが、これが独立科目として出現したことで放送大学の(臨床)心理学科目群もやっとバランスが良くなったのでは!等と僭越な事を思いながら講義を楽しませて頂きました。ともあれ、こうして時代の要請や学術の進展に合わせて科目群が新陳代謝していく誠実さは放送大学の大事な魅力の一つではないかと思っております。

▼組み合せ受講:ユングとフロイト・・・

◆精神分析とユング心理学('11)と、◆心理カウンセリング序説('09閉)・・・この二つはいずれもユング派の講師とフロイト派の講師のお二人によるコラボレーション科目です。目の前で両派の流儀が展開されるのでその特徴、違いといったことがくっきりと浮かび上がってくる効果は抜群です。
私自身はユング好きだったこともありフロイトについてはあまり本も読まないままに過してきたのですが、この両科目を受講して、目の前で展開される両派の微妙な違いに触れ、理解が一歩進んだ気がします。また講義の中で用意されているご両人の座談のコーナーでは更によく両派の雰囲気が出ている感じがしました。
なお、◆心理カウンセリング序説('09)については既に閉講され、現在はほぼ類似、同題の◆心理カウンセリング序説('15#)としてリニューアルされていますが、どうやら新版では講師が更に一名増え、その方がロジャーズ派ということで、カウンセリングの世界の多様な雰囲気が更によく判りそうな雰囲気です。できれば私も復習を兼て再度聴講してみようかなと・・・

◆乳幼児心理学('12)

三ヵ月の赤ちゃんは視力が0.1で、すでに色の識別が始まっているが青の認識は遅れる。五ヶ月ぐらいから物理法則の概念を理解し始め、六ヶ月では数を認識し1:2程度の開きがあれば大小を区別する・・・えっ!どうしてそんなことが解るの?と思いますが、この講義では視線観察、脳波、光トポグラフィーといった観察手段と巧妙に仕組まれた実験法で次々と明らかにされていき、まさに感動の連続です。
ところでこうした言葉が話せない赤ちゃんの認知機能を解明していく手法は、同じく言葉がつかえない動物の認知能力を解明する領域で始まったとのこと。ならばと動物を研究対象とする ◆比較行動学('11) も追っかけて受講しましたが、確かにヒトの赤ちゃんの発達プロセスが更によく理解できた感じはしました。

▼組み合せ受講:ライフステージの臨床心理・・・

人生には各ライフステージごとに固有の課題や悩み事がある。放送大学ではそうしたステージごとに◆乳幼児・児童の心理臨床('11)◆思春期・青年期の心理臨床('13)◆中高年の心理臨床('14)とセットが揃っています。乳幼児~は孫の姿を、思春期~は自分のかつての姿を、そして中高年~はまさに今の自分を思い浮かべながら受講するとなかなか臨場感のあるシリーズとなっています。
そして各ステージの背景には生涯発達論が横たわっているのでしょうが、それは◆発達心理学概論('11)で下準備をするということで・・・
後はこのシリーズにさらに、(今の所受講を決めかねてはいるのですが・・・)◆死生学('14#)を付け加えるなら、まさに“ゆりかごから墓場まで”の心理臨床が揃うことになります。

錯覚の科学('14)

錯視だけが錯覚ではない。記憶、思考、経済行動、悪質商法への引っかかり、社会認知・・・あらゆる場面で人は思い込みによる錯覚に支配されている・・・そしてそのことにより、たまに弊害はあるが、ほとんどの場面で思考を節約し効率よく生きていけるのだと。
心理学で扱う広範囲な領域をなんと“錯覚”の2文字で説明し尽くしてしまう、ミラクルな講義なのですが、もしかしたら心理の森羅万象がたった2文字でからめ取ってしまえそうな気になることも、それ自体が見事な学術的イリュージョン(錯覚)なのかもしれません。

 社会・産業系科目の印象記 

▼建築、都市、環境デザイン論・・・

古今東西の建築空間、都市空間を味わい深い切り口で分析しながら篤く明日への展望を語って頂ける感動の講義◆環境デザイン論('09閉)があったのですが、残念ながら閉講に・・・ですがその後続に新たな講師陣も加えて◆産業とデザイン('12)が開講されています。こちらでは建築、都市空間だけでなく商業デザイン等も包含した総合的なデザイン論の科目となっていて、前作に劣らず感動的な講義となっています。
なお講師は違いますが、建築や都市空間の快適性とエネルギーの関係に的を絞った課目、◆都市・建築の環境とエネルギー('14)も今の時代の要請に即した感動の講義です。

◆エネルギーと社会('11*閉)('15)

まず最初の2011年度版“エネルギーと社会('11*閉)” はまことにお気の毒な科目となりました。テキストも配布済みでいよいよ4月から開講という直前の3.11に関東大震災、そして原発事故が勃発。原子力発電に関する事項が随所にあるこの講義はあちらこちらに“事故の前に編集されたものです”との断りテロップを入れてのスタートとなりました。
実は原発以外の部分については広範囲な事項が分かり易く解説されている興味深い講義内容だったのですが、原発事故の経緯や被害の甚大さが毎日のニュースで流れる中で、原発擁護の論客、K教授の講義を受講申請する気にはなれず、抜本改訂版を待つことに。
そして出たのが ◆エネルギーと社会('15)、今回は講師も変わり、今もなお国論の別れるエネルギーミックスの話には深入りせず、エクセルギーの概念等を駆使したエネルギーの根本的、基礎的な科目に変身しています。その分難解な熱力学の数式も出てきますが、今回は受講しようかと・・・
 自然科学・情報系科目の印象記 

◆生命分子と細胞の科学('13)

テキスト、放送映像共にわかりやすいイラストがふんだんに用意されていて最先端の生命科学の雰囲気が味わえる貴重な科目です。ただカタカナやアルファベット略号の専門用語が容赦なく連なっているため、受講に際しては事前に何冊かの関連本を読むとか、一部重複する内容のある◆生物界の変遷-進化生命科学入門-('11)を先行履修しておくといった準備をしておくことが無難です。また並行して類似内容のスクーリング授業をいくつか渡り歩くといったこともお勧めです。
手間と根気はいりますがこうして何重にもいろんな切り口の本や講義に接して専門用語になじみができ始めると、そこにはあまりにもよくできている生命メカニズム、そしてそれが微に入り細に入り解明されつつあることへの感動がたっぷり味わえる世界が広がっています。
 歴史・生命・思想等、その他の科目の印象記 

◆文化人類学('14)

レビ・ストロースをはじめ、文化人類学者の言説はいろんな場面で引用されていて接する機会が多いのに、肝心の“文化人類学”の本は読んだことがない。それはまずいんじゃないかと思っていたこともあり、新設されたこの講義を受講することに。
するとやはり勝手に想像していたこととは異なり、文化人類学はもはや未開の地だけを相手にしているわけではない。現代文明の真っただ中の経済活動、地域紛争、大災害の復旧プロセスなどが文化人類学特有の切り口で研究対象となっていることがよく判りました。
文化人類学は社会科学全般の広範な領域に影響を与えているとのことですが、その一つが歴史学。◆ヨーロッパの歴史Ⅰ('15)ではなんと歴史人類学といった切り口での歴史解明が数章を割いて講義されています。文化人類学を受講されるならぜひ合わせてご受講を・・・

ロシアの政治と外交('15)

この講義ではゴルバチョフの時代から現在までのソ連邦、連邦ロシアの政治と外交が迫力ある語り口で紹介されていきます。
ゴルバチョフ、エリツィン、プーチン、それぞれが熱い思いを持って颯爽とデビューし、突き進み、そして(プーチンはいまだ進行形の真っ最中ですが)挫折していくプロセスは正に壮絶な社会実験ドラマといった感じがします。
この講義はこれから受講するのですが、待ちきれずにwebで予習中。マスコミをにぎわしてきたクリミア併合やウクライナ問題に思いをはせながら受講すると立体音響が鳴り響いているかのような臨場感があります。

▼組み合せ受講:ユーラシアの歴史・・・

◆ヨーロッパの歴史と文化('09*閉)◆地中海世界の歴史('09*閉) イスラーム世界の歴史的展開('11)歴史から見る中国('13)、そして◆日本古代中世史('11)・・・相前後して一連の科目をセットで履修すると、広大なユーラシア大陸の数千年の歴史が浮かび上がってきます。歴代幾多の民族や帝国が、時代により西から東へ、中央から両ウイングへ、そして東から西へと怒涛のごとく版図を拡大し、それに加えて気候の変動に乗じて西でも東でも北方の民族が南下を繰り返す。互いにせめぎ合いながら版図を塗り替えていく様はまさに複雑に色と形を変える万華鏡の世界です。
ただ、あまりにも多くの節目の年代や帝国、民族の名称が渦巻いているため、一度や二度目を通したぐらいでは老いた頭には浸み込んでこない。ならば程よい粗さのユーラシア年代表を自分なりに書いたり消したりしながら読むと良いのではなどと試みてはみましたが、これがそう簡単にはいかない・・・ですが、一旦首を突っ込むと抜けられなくなる魅力的な世界です。

▼組み合せ受講:宗教、芸術、経済・・・もうひとつの歴史

ひたすら通史を追っかけるだけではなく、宗教史、芸術史、経済史などの側面史を合わせて受講すると歴史が更に彩り鮮やかで理解しやすいものになるような気がします。
ある時期から教会の姿がやたら天に向かって尖塔を伸ばし始めるのはなぜか、禅宗はなぜ鎌倉で隆盛を迎えるのか、そして江戸時代の藩の行政能力や民間活力(富や経営力)の蓄積がなければ、明治の西洋文明の導入の成功はおぼつかなかったのではないか等・・・もう一つの歴史が通史と互いに影響し合っていたことが解り始めると歴史はさらに面白くなる。
◆仏教と儒教('13)◆芸術史と芸術理論('10閉) ◆日本経済史('12) ・・・こうした科目はそれ自体が面白いだけでなく、そんな歴史との絡みを思わせてくれる楽しみもありそうです。

      
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# by C_MANN3 | 2015-01-20 00:00 |  ・・・風にまかせて・・・ | Comments(0)

◆◆クオリアとか進化論など◆◆

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このカテゴリーではクオリアとか進化論といった切り口の雑感をならべていきたいと思います。 (2004.10.23開始)
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このカテゴリーの現在の構成は以下の通りであり、()内の数字は該当記事の件数を表しています。ここでクリックしますと飛び先では一連の記事をスクロール操作のみで一気に見て頂くことができます。
ブログ管理会社のシステム変更の影響で、現在以下をクリックすると、該当記事ではなくそれを掲載しているブロックの記事一覧が出ます。
お手数ですがその一覧ではクリックせず、そのまま下にスクロールして該当記事をご参照ください。

(飛び先の記事一覧でクリック選択すると以降スクロールの一気読みができません。)

《このカテゴリーの主要な記事》


 
      ◆クオリア雑感、科学思想の系譜・・(6件)
      ◆進化する“学”・・・・・・・・・・(8件)
      ◆人類や文明の進化・・・・・・・・(9件)
      ◆心の哲学やアフォーダンス・・・・(8件)
      ◆人間の本姓や脳科学・・・・・・・(9件)
      ◆脳の続、オートポイエーシス・・・(7件)
      ◆粘菌ロボットの不思議・・・・・・(2件)
      ◆構造主義、知の一網打尽・・・・・(3件)
      ◆質的研究法・・・・・・・・・・・(4件)



# by C_MANN3 | 2012-12-30 00:00 | クオリアとか進化論など | Comments(0)

★クオリアの風景

今日はじめて、ブログとやら言うものに接しました。
で、早速参加。よろしくお願いいたします。

タイトルは“クオリアの風景”・・・
クオリアは、とりあえず、「心象風景」と言った程度の意味合いで使わせていただきます。

日常、フッと心に浮かんだことをそのまま書き連ねることになるものと思います。
できれば、“心理学風エッセイ”もどきの雰囲気が、かもし出せればいいんですが・・・

(2004.10.23記)・・・これがこのブログの記念すべき第1ページでした。
 
# by C_MANN3 | 2012-12-20 00:00 | クオリアとか進化論など | Comments(0)

★“クオリア”との出会い

不思議な響きを持った言葉、“クオリア”・・・
実は、茂木健一郎さんのちくま新書“意識とはなにか―「私」を生成する脳 ”で、初めて出会いました。

この本によると・・・

機能主義の立場ではつかみ難い“主観的な意識というもの”があるのかないのか、あるとすればそれはどこにあり、一体どんなものなのか・・・

それは、どうやら脳内の前頭葉の辺りにあり、脳の中にある1000億個の神経細胞のそれぞれのシナプスが結び合う関係性の中で浮かび上がってくるクオリア(質感)の集合体が意識の実態・・・これは環境や他者との関係性の中でダイナミックに変化し続ける脳の働きそのものということのようです。

b0050634_2114040.jpgそしてそのクオリアとは、木の葉の隙間からこぼれる木漏れ日のキラキラとした質感、磨かれたガラス容器のクリスタルな質感・・・そうした色彩や形といった情報をベースにはしているがそれを超えてその一瞬に感じる質感を表した言葉なのだと。

多少これを拡大解釈させて頂くと、さっと風が吹き落ち葉が舞う瞬間に“胸中に浮かぶ情感”、テレビで台風や地震のニュースに接して“ふぁっ、と沸きあがる思い”・・・多分こういった外的な刺激を受けた時に付随して巻き起こる情感のひとつひとつもクオリアなのだと思いますが、いまではクオリアという単語自体が私の胸中にひとつの“質感”を持つようになってしまいました。

日々の生活の中で、風が吹いても、雨が降っても、感動しても、うんざりしても・・・その瞬間に「おっ、クオリア」とつぶやいている毎日といったところです。
それにしても、今年は台風、地震と規模の大きい災害が続きますよね・・・(2004.10.23)
# by C_MANN3 | 2012-12-18 00:00 | クオリアとか進化論など | Comments(2)

★クオリアから仮想へ・・・

クオリアに初めて接したのは茂木健一郎さんの本でしたが、その茂木さんに新著が出ました。
題して「脳と仮想」、新潮社、2004年9月25日発行。


クオリアは胸中に浮かんでは消える断片的なもの・・・対して仮想はもう少しストーリー性を持った思い。著者は冒頭で、女の子が信じている“サンタさんの存在”を引き合いに出すことから話を始めます。
クオリアが想起消滅を繰り返すスチール写真のワンショットだとすると、仮想は長編のビデオのようなものかもしれません。

仮想は二つに大別される。そのひとつは幾多のクオリアが連なって仮想となり、それが現実の世界とつき合わされ確認されることでどんどん確信として成長していくもの・・・事例としては数理モデルや物理学の世界。そう、こうした自然科学も実は現実世界の写像であり、現実そのものではない仮想というわけです。

で、もう一方の仮想は、現実世界と照合すると破綻する、現実にはあり得ないもの・・・でもそうした仮想を持たずして生きていくことは困難とか、持つことが救済になるといった、現実世界への希望や願望といったもの・・・前述のサンタさんもこの類ですが、これはいわば現実世界の逆写像であり、これももうひとつの仮想ということのようです。

随所に含蓄のある表現が見られますが、そのひとつ・・・

ある体験から心に傷を受ける・・・その体験によって脳内の神経細胞は大規模な再編成(言い換えるとクオリアや仮想の再編成)を余儀なくされる。それは既存の脳内認知システムでは取り込めない状況に直面して新たな認知ネットワークが編成されるということでもあるが・・・こうした再編成の結果、新しいものが生み出されるプロセスを人は“創造”と呼ぶ。要するに・・・脳は傷つけられることがなければ創造することもできない。   ・・・なんていうフレーズもあり、とにかく読んでいて面白い。

ですが・・・脳科学をベースにした論理とは言うものの、クオリアに接したとき以上に、科学というよりは更に哲学に近くなっている感じがします。もっとも科学も哲学も宗教も全ては仮想なんだと思えば、どうということもないのかも。(2004.10.24)
# by C_MANN3 | 2012-12-16 00:00 | クオリアとか進化論など | Comments(0)

★科学を五感で味わう・・・

先日、NHKの番組で茂木健一郎さんが「脳科学」の紹介をされていました。十人ほどの高校生を前に“最先端の科学を味わってもらう”ことを目指した番組でしたが、なかなか味わい深いものでした。

もちろんクオリアを中心に話が進められ・・・内容自体は先生が何冊かの本に書いておられる範囲のものですし、先生のお顔も先生のホームページを覗くとやたら顔写真が出ているので既になじみの顔ってことなんですが・・・

映像が伝えるものってやっぱり別物なんでしょうね。先生の表情、声の質、抑揚・・・思っていたよりも若い。話しているときは表情があまり動かない・・・そして早口。

あらためて、私の中で「茂木健一郎」というお名前に反応して生起するクオリアや、「クオリア」というキーワードに触発されて胸中でうごめくクオリアが変化した感じがします。

ところでこの番組、ノーベル賞の小柴先生がコーディネイトして先端科学の紹介を集めた4回もののシリーズで、他にも「言語学」といった興味深いーテーマが並んでいました。
この番組の毎回の冒頭で小柴さんがおっしゃっていたこと・・・それが「科学は五感を総動員して味わっていただきたいもの」ということでした。

ともすると私たちは科学を心(意識)の表層部で“間違わないように理解しなければならない(外部の)知識”としてのみ受け止めるのがやっと・・・五感と絡めて吸収するとか、日常の生活の中で日々巻き起こる森羅万象を納得する際にいつも思い出して反芻するってことはまずないですよね。

でもそれでは新しい発見は生まれない、心の中でも新しいクオリアは生まれない・・・そんな人たちが集まった国からノーベル賞が頻発することもありえない・・・ということで若い高校生を前にして第一人者が思い入れをこめて科学を語ったってことなんだと思います。

目を輝かせて聞き入る高校生の中から、将来こうした分野に単なる知識としての理解を超え、五感、六感を総動員して科学に立ち向かう人たちが現れることを期待したいですよね。(2004.10.31)
# by C_MANN3 | 2012-12-14 00:00 | クオリアとか進化論など | Comments(2)

◆科学思想の系譜:現代科学は魔法の末裔

前掲の小柴先生の「科学を五感で味わう」ということに関連しそうな雑感です。

“愛読書はもっぱら新聞の書評欄”なんてことを言うと、じっくり本を読み込んでおられる方からはヒンシュクを買うのかもしれませんが・・・

2003/7/20付け、朝日新聞の“「磁力と重力の発見」山本義隆著、みすず書房刊”の書評はなかなかのものでした。この本の副題は“現代科学は魔法直系の末裔だった!” ・・・端折りながら、何ヶ所か引用しますと・・・

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>多くの人は、昔の人たちは迷信深い非科学的な連中だと思っている。その非科学的な部分、魔法だの錬金術だのを切り捨てることで現代科学が成立したのだ、と。
>だが、科学は魔法を切り捨てたのではない。むしろ科学は魔法の直系なのだ。極端に言えば万有引力というニュートン力学の根幹こそ、魔法の最大の遺産。

>太陽も、りんごも、あなたもぼくも、みんな「万有引力」とやらで結ばれている、だって?合理的な機械論者たちはそんなキモチワルイものは認めなかった。
>一方、ニュートンは魔法も錬金術も研究していた。だからこそ「万有引力」という異様な概念を平気で導入できた。

>物理は一つの世界観で、各種の数式はその世界での因果律の表現・・・ハリーポッターに夢中になっている子供に本書を見せて教えてやろう。魔法の世界は今君の目の前にあるんだよ、と。
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考えてみますと魔法や錬金術の世界から生まれた物理法則なら、それを血となり肉となるほどに身に着けるには、ロジカルにのみ理解していたのでは無理なのかも・・・
心の奥深く、無意識の世界に根を張るまで吸収しようとすると、ロジカルなままの状態では、無意識の入り口で拒絶反応が起きてしまう。ロジカルなものにどろどろしたメンタルなものをコーティングし、融合させなければ無意識の世界には沈み込んでいかない。

せっかく身につけた知識もロジカルなままでは計算で展開できるところまでしか発展できないが、無意識の世界に根を張った知識はいざ活用しようとするとき、本来の知識だけでなく、それにまつわるいろんなものを無意識の世界から引っさげてくみ上げることとなり、時として思わぬ発展が期待できなくもない。

硬っくるしいだけのロジカルな知識が、無意識の中に潜む英知をくみ上げるポンプの役目を果たす・・・なんてことを書いているとまたしても“▼能動夢(能動的想像)と創造性”なんて話しに飛び火しそうなのでこの辺で・・・

おっと、肝心なことを書いておかねば・・・この書評の評者は山形浩生さん。なんでもこの本の著者が元東大全共闘議長だったとかで、研究者の道を歩めず、予備校で気合の入った物理の授業をしていたらしく、山形さんはそこで感銘を受けた教え子とのことです。そういえば林道義さんも東大でブント派全学連の常任中央執行委員だったとか・・・闘士なお随所で健在、ということでしょうか。(2005.3.1)
# by c_mann3 | 2012-12-12 00:00 | クオリアとか進化論など | Comments(0)