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◆「心の哲学」・・・人間篇

ひとつ上に(スクロールしたところに)掲載している「シリーズ心の哲学」Ⅱの“ロボット篇”が面白かったこともあり、引き続いてⅠの“人間篇”を読み始めてはみたのですがロボット篇以上に哲学的で難解。
結果、ちょっとした感想文さえまとまらずついに1年が経過してしまいましたが、このブログでは避けては通れないテーマです。

この本は・・・
>心に関するわれわれの理解は多くの錯誤に満ちている。心の哲学はそのような錯誤を根本的に正そうとする試みである。

などという書き出しで始まり、二十世紀後半に始まった認知科学や脳科学の進展を俯瞰、整理し方向付ける形で心の何たるかを哲学したものであり、“こころと脳”の関係、“こころと環境”のかかわり、“意識とクオリア”といったテーマが扱われています。

まずは1950年代の「心脳同一説」からスタートし心を物理的な脳に対応付けようとするのですが、・・・いろいろな無理や矛盾が指摘され時代を追うごとにトークンレベルの同一説から「タイプ同一説」へ、そして「機能説」,「解釈説」、「日常的実在論」へと話は展開。
そうした中で心を脳の中で閉じ込めて取り扱うことには限界があるとして「外在主義」が現れ,意識の源とは何かといった観点からは「クオリア」の話が現れる。

それにしてもこんなに次々と論や説が出てくるとその違い追っかけるのも大変ですよね。ですがこうした流れに沿って読み進めると確かに心の全体性に迫りつつある感じはします。ただ一方において、論が進むにつれて脳との直接的な対応からは遠のいていくといった気がしないでもない。

どうやらこの哲学のミソは、すでに語りつくされたギリシャ哲学や東洋思想はいったん横におき、認知科学や脳科学といった科学をベースにして心に迫る説や論とその対立点を整理していくと、その先には何が見え、心をどこまで語ることができるのかといったことにあるようです。

脳や心について基礎的な新しい知見が得られつつある今、このアプローチは魅力的ですが、一方で時代を追うごとに脳との直接的な対応をあきらめたような説や論が出てくると、それではギリシャ哲学や東洋思想と変わらなくなってしまいそう・・・
脳科学や認知科学との連動性にこだわらずに心の動きを語ろうとするならギリシャ哲学や東洋思想にのっとったほうが手っ取り早くて説得力も圧倒的ですよね。

さらに思うことですが・・・
こうしたアプローチで心とは何かということが明確になったとしても、その心の中でうごめいている葛藤や希望や絶望の中身についてまで説明することにはならないような気もします。

そういう意味では認知科学や脳科学は“心のひだ”というよりは“プラットホームとしての心”を追求する際によりどころとするもの。心の確証のすべてを脳科学などにゆだねるのは無理なのかもしれませんよね。(2009.1.8)
by c_mann3 | 2012-06-16 00:00 | Comments(0)
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