実はこのブログに検索から入ってこられるお客様のキーワードで常に上位を占めているのが「ルーマン、ハーバーマス」。なのに記事はこの上(にスクロールしたところ)のほんの数件のみで、それでは申し訳ないと改めて読み始めたのがこの解説本。
題して「ルーマン・社会システム理論」。ゲオルク・クニール他著、新泉社刊。 難解な本ですが職場や社会の身近な風景に重ねながら何回か読み返しているうちに少しずつ霧が晴れ、よくできているような気もしつつ疑問もなお・・・ すっきりするにはもう少し時間がかかりそうですが、ルーマンは生命システムや人的なシステムにオートポイエース概念を導入した上で、 ・こうしたシステムはシステムそれ自体とそれを取り巻く環境としてとらえることができるが・・・ ・システムは環境からは何もインプットせず、それ自身で自己参照的に自己を再創出する閉鎖系・・・ ・ただ環境を観察はしているし環境との間で構造的にカップリングはしているとも・・・ ▼まずは閉鎖系と観察・・・ オートポイエーシスなシステムは環境からは何もインプットしないが、環境を観察し構造的なカップリングをしている・・・これって分かりにくいですよね。 ですがこれを勝手なイメージで例えると・・・街のうわさを観察して独自の文面を編集する新聞社のようなものなのかも? 紙面を埋め尽くす文章の源は自分自身が持っている過去記事や文脈を再生産したものであり、特定の情報源とリンクした記事では無い。うわさを参照しきっかけにはしているが鵜呑みではなく裏をとり、そしてなにより自身の文脈との整合性が前提。こうして文章を自己創出的に再生産するうちに文脈も変化し、結果として世相を反映したものとなるがそれが構造的カップリングということになるんでしょうか。 ほかにも読んでいるといろんなことが脳裏を横切ります。 ▼脳と心・・・ ルーマンのオートポイエーシスでは脳神経システムと心的システムについても言及されていますが・・・この二つのシステムの関係を“▼心の哲学の心脳問題”に置換えると・・・両システムの間での因果関係は認めないとなるといわゆる「並行説」?あるいは相関的なカップリングはあるとすると「トークン同一説」?? でも心的システムは一方で社会システムともカップリングしているとなると、いつも脳神経と並行や同一というわけにもいかない・・・となると話は「心の外在説」にも波及する? ▼そしてコミュニケーション・・・ 社会システムはいろんなコミュニケーションからなっていて、個々のコミュニケーションは環境にいくつかの心的システムが存在していることを前提としてはいるが、心的システム(意識)同士はコミュニケートしない。コミュニケーションのみがコミュニケートし社会システムを自己創出的に再構成するとのこと。 ここに「ルーマン・ハーバーマス論争」が出てくるのでしょうね・・・ ハーバーマスは心的システムと心的システムが間主観の会話で合意したものが社会システムの秩序となっていくと。これではルーマンとは折り合いがつきそうに無いですよね。 でもこの「ルーマン・ハーバーマス論争」、自分自身の日常に重ねてみるとおもしろい。私の中には何かを求めて執拗に会話を重ねたがるハーバーマスがいる。でも決して実らない会話に疲れ果て、やはり心的(意識)システム同士がコミュニケートするのは無理なのかと思った時ふとルーマンが脳裏をよぎるんですよね。 そしてこの話は会社の中でのA部門のaさんとB部門のbさんの会話を想定するとますますリアルになる。 aさんとbさんの心的(意識)システムがどんなに折り合いをつけようとも、それがAやBで構成される社会(業務)システムに関わるものである限りは「採否は別途あらためて」ということになるんですよね。(2010.2.24)
by c_mann3
| 2009-12-16 00:00
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