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◆創造性:錬金術と創造性

さて、創造性のメカニズムは客観的、分析的に見ていくと「創造的認知」で解明されつつあるロジカルな世界となるのでしょうが、四苦八苦して創造性を搾り出す当事者の側から見るとまた違った風景となるような気がします。

“捉われない自由な観点の確立”、これについて自在研究所の森先生は「唯識」を引き合いに出していますが、同じく重要なポイントである“集中、のめり込み”に思いをはせたとき、わたしは「錬金術」とか「能動夢」といったユングの世界を思い浮かべてしまいます。
“捉われない自由な観点”と“集中し、のめり込み、こだわる”ことは一見、相反する概念のようでいて、創造性を構成する車の両輪のような対概念といった感じを持っています。強いて言うと“集中し、のめりこんで捉われる状態”の極限を経て、ある瞬間に弾けたように広がる“捉われから解放された自由”の世界・・・これが創造の瞬間なのではないか。

質的な変化をもたらす創造は化学反応に擬えることができ、化学反応では自由で平穏な常温常圧下よりも、高温高圧下でよりドラスチックな反応がおこりますが、“集中し、のめり込みむこと”は自身を高温高圧化に追い込むことと同様の作用をするようです。

錬金術の世界・・・ただただ黒いだけの素材をすりつぶし坩堝に入れて火加減をし、とろりとろりとかき混ぜて突如現れる「真っ白な状態」、さらに続けると極めてまれにではあるがたどり着く「金色ないし赤い物質」、これを金に見立てて錬金術というようですが・・・

勿論、冶金学、化学としての錬金術は近代科学を持ち出すまでもなく破綻をしていますが、錬金術師が持っていた精神世界は今も有効・・・ユングはそこに自己実現、個性化のプロセスを見ましたが、私はそこに創造性のプロセスを感じてしまいます。
そっくりな風景としてマダム・キューリーが来る日も来る日も鉱石をすり潰し分析しては捨て夜中に至る日々の中で、今日もだめだったと疲れ果てて帰ろうとし研究室の灯りを消したとたん闇夜に鈍く光るバナジュームの輝きを発見・・・これぞまさしく錬金術師が追い求めていた情念の世界なのではないか。手先は無心に作業を続けていますが、意識がそこに集中している隙に意識という名の覆いが薄れた無意識の世界から何かが沸きあがってくる。この湧き上がってくるものに導かれてきらりと輝く瞬間にたどり着く・・・創造性は意識と無意識の境界領域で起こる精神活動なんだと思います。

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この創造性談議というか雑感、「創造的認知」と言った一見科学的なアプローチからスタートし、唯識、錬金術といった怪しげな話に持ち込んでしまいましたが・・・前掲のFinke著「創造的認知」でも最後の数章はここで述べた創造性の持つエモーショナルな側面を扱っています。勿論表現は異なります。いわく“洞察、固着、孵化、直感、メタ認知”・・・そうしてこうした領域もうまく考察と認知実験を組み立てていくことで認知科学的に解明していくことができると・・・

認知科学の今後の成果については興味津々ですが、成果が出たからといって自分の想像性が急に向上するわけでもないし、その日まで待つこともできません。唯識であれ、錬金術であれ、創造性を刺激できそうなものがあるならその言葉のシャワーで自身の心身を暖め続け、一種のイメージトレーニングで体内にあるかもしれない創造性を搾り出すのも一法!と言ったところでしょうか。(2005.2.6)


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★なお《ユング・・・》コーナーにも「錬金術」「能動夢」についての関連記事があります。
by C_MANN3 | 2009-10-06 00:00 | Comments(0)
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