◆組織の不祥事:「個」の無機質化

“組織と個”というとき、今の時代、“個”はかってのように組織の中の単なる駒ではなく、知識をベースに全人格的に組織と共生していくべき存在のはずです。ましてや専門家と呼ばれる人たちではなおさらでしょう。

知識を持ち、研鑽を積み、キャリアを重ねた専門的“個”は、「形式知」だけでなく、それを身につける課程において「暗黙知」をも身に着けているはず・・・
「形式知」が人格を離れて存在できる無機質なものであるのに対して、「暗黙知」は直感や情念をたっぷり含んだ全人格的な色彩の強いものです。

で、専門家といわれる人たちに期待されている能力は本来「形式知」プラス「暗黙知」のはずなのですが・・・ある種の場面からは「暗黙知」がどんどん消されていっている・・・「暗黙知」が消されることで、専門家としての「個」はどんどん無機質な存在になっていく・・・といった印象があります。


たとえばメーカーの不祥事、品質問題が発生した場合・・・きっとこんな会議が繰り返されています。

「どうしてこんなことになってしまったんだ!十分確認はしていたんだろ!」
「もちろんやっていました。ですが今回のような状況は、想定を超えるレアなもので、確認ができていませんでした。」
「で、どうするんだ」
「早速、こうした状況に対する確認をチェックリストに追加し、再発を防止いたします」

この会話、一回だけならもっともな感じもするのですが・・・チェックリストを追加しても、新たな事態は発生する。そのたびに、「予測できませんでした」とチェックリストを追加することを積み重ね・・・チェックリストが分厚くなるのと比例して、全人格を総動員していたはずの技術者がチェックリストや設計マニュアルに従って動くことに忙殺される無機質な存在に変質していく。ですが・・・形式知に従っている限り、一回は堂々と言い逃れができ、そして何より人格が傷つくことは無いというわけです。

チェックリストという客観化された「形式知」を肥大化させることで、「暗黙知」が後退していく・・・そして「暗黙知」の担い手である、個人の情念や直感を表に出すことがはばかられるようになっていく。膨大なチェックリストを消化した次の日にもそれをあざ笑うかのように新たな問題は発生するが、本来、それを予見し回避しうる直感的暗黙知が枯渇していることがこの状況に拍車をかける悪循環が始まる。

どこかでボタンを掛け間違っている・・・そう、一回目の会議で言うべきだったのです。

「くやしいっ!形式知も駆使はしたが、そんなことよりも全人格をかけ、直感も嗅覚も総動員して業務に取り組んでいたのに・・・これを見落としたとは・・・私としたことが無念、舌を噛み切って死んでしまいたい心境です。」
こういえば、この問題は、技術者としての全人格をさらしものにすることにはなるが・・・少なくともチェックリストを分厚くしておしまいというコースはたどらずにすむ・・・そして何より、暗黙知の不足が致命傷を生むといった志向が組織の中で強化共有されるかもしれない。

「個」の情念を消し、果てしなく膨張する「形式知」に頼る組織は危険・・・ですがとうもそういう傾向がある。だからこそ、その対極を描く「プロジェクトX」が心にしみるのかもしれません。


もっとも実際に大きな会議の席上で、「くやしいっ!・・・これを見落としたとは・・・無念、舌を噛み切って死んでしまいたい心境です。」などと言ったら、恐らく村八分ものとなるんでしょうね。ご当人はともかく、その上司も同僚までもが危険にさらされる。上司や同僚が「実は・・・私も」と同調するなんてことにはなりそうに無い。

自ら非を認めると関係者を含めて責任追及の追い討ちをかけられかねない・・・ここはひとつ、チェックリストや設計マニュアルのせいにして・・・私たちはルールにのっとり誠心誠意業務を行ったのですが・・・というのが無難な路線。
ただ、こうした風潮が蔓延すると、無念の思いを胸に秘めつつも苦渋の自己や組織の防衛策として形式知不備のせいにする人はともかくとしても・・・自分自身が本当にそう思ってしまう自省の無い人たちが一人、また一人と現れて増えそうな危険を感じてしまいます。(2005.3.5)
by c_mann3 | 2008-06-18 00:00 | 組織心理学の心象風景 | Comments(0)
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