◆追記コーナー:読書の履歴◆


◆追記コーナー:読書の履歴◆

最新追記:11/3

【2015.9.8開始】 追記コーナー《読書の履歴》、一冊読むごとに何がしかの痕跡を残していければとこのコーナーを設けました。先ずはメモとして追記していきますが、いずれその中から独立した記事として仕立て直すものもあるかもしれません。
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新たな追記
暇にまかせて読書三昧の日々は続いているのですが、ここにその痕跡を残す作業が滞っています。どうやら今年も時々思い出したようにさかのぼってまとめ書きをすることになりそうです。
◆人間の限界 H30/9読

 さるお方から勧められて手にした本なのですが、題して「人間の限界」、霜山徳爾著、岩波新書917、1975年の刊です。

人にとって限界とは何なのだろうか。「頑張りましたが、もう限界です」と耐え難い苦難の中で遺書をしたためる人がいる一方で、何の起伏も無い無為な毎日に限界を感じる人もいる。
人生に意義を見つけることができるなら、あるいは達観できるならと人はいうが、それは容易ではないし、おそらくはそれで救われるものでもない。
しかもそうした限界を終わらせることができたとして、その向こうにあるのは何なのか。人の心は限界の手前で希望と絶望の間を揺れ動く。

この本はそうした人の姿を古今東西の書籍の中から抜き取ったおびただしいフレーズ、そして時には心病める人の叫びの言葉をも並び立ててしなやかな文体で紡んでいきます。
話はまず、手や足や瞳、まなざし等、身体に纏わる可能性と限界として語られていきます。人類は2足歩行を手に入れたことで大地に立ち、そのおかげで手の自由を得、まなざしは遠くをとらえられるようになった。だが重力にあがらって立ったことにより重荷を背負うことにもなった。そして足元が揺らぐとめまいを引き起こすことにもなる。自由の手はものを生み出す一方で悪に手を染め厄介を招くものでもある。そうして歩む道は限りが無いようにも見えるが、いったいその先にあるものは何なのかといった不安も引き起こす。

限界の手前の不安、そこを限界とはしたくない執着・・・そうしたことを抱えながら歩む道にもやがて人には命としての限りがあり、ついには限界を超える日を迎える。その時人は限界の前後に区別はなく、ただ切れ目のない無限の世界が広がっているだけだったのだと思い至るということなのでしょうか・・・

と勝手な要約をしてしまいましたが、この本、読んでいてどことなくフランクルを思わせると思っていたところ、本の奥付の著者欄ではフランクルの「夜と霧」の訳者と紹介されています。読み終えて何かの結論が得られるわけではないのですが、この本の流れるような文章に身を任せ、しばしの間だけでも限界の手前をさまようのもいいのかもしれません。

◆世阿弥 H30/6読

放送大学のスクーリングで「中世の宗教文化」を受講する機会があり、その講師の著作ということで手にした本なのですが、題して「世阿弥-心身変容技法の思想-」。鎌田東二著、青土社2016年の刊です。

まずはこの本の副題にある心身の変容とはいかなるものなのか。それは勝手な要約をさせて頂くと・・・
人はある種の場に身を置いたり、何かの行為に没頭することで、邪念や日常から解放され、心身のありようを整えたり、困難を乗り越える力を得たりする。
変容へのプロセスは、一人で行うこともあれば集団で行うこともある。宗教儀式の形をとりトランス状態を伴うものもあれば、果てしなく続く文武諸芸の修練の形をとることもある。そうして変容を遂げた心身を持って人は困難な事態にあっても人生に立ち向かっていくことができる・・・ということなのでしょうか。

この本では世阿弥の生涯と彼が体系づけた申楽を軸におきつつ、洋の東西の宗教儀礼や求道的な心身鍛錬の様を広範囲に俯瞰することで、心身変容の諸相、そして変容技法の共通項を浮かび上がらせてくれていますが、そのいくつかを列記すると・・・

場としての洞窟。古くは古代人が壁画をのこした洞窟、天岩戸、弘法大師が籠もった室戸の洞窟。洞窟は魂を鎮める場であるとともに新たな命を生み出す象徴の場でもあります。

静寂の中の音。縄文時代の石笛、修験者が深山で奏でるほら貝・・・静寂の中で響き渡る音は心身にしみわたり魂を揺さぶります。

集団が巻き起こす場。立体音響に包まれて果てしなく繰り広げられる踊り、スーフィーのセマー(旋回舞踏)やズィクル(唱念)、仏教の踊り念仏や声明・・・その中に身を置けば、そこはもう別次元の世界なのかもしれません。

身を限界に置く。千日回峰行や果てしない巡礼の行脚、身を限界に置いたり危険な状況に置く事もまた技法となるようです。

更には時代が変容を促すということもあるようです。時代は統合・建設(古代、近代)の時代と分裂・崩壊の時代(中世、現代)を繰り返しており、分裂・崩壊・激動の時代にこそ変容が求められるが、世阿弥が生きた中世という時代は正に激動の時代でありました。従って彼自身も人生の浮き沈みの中で変容を余儀なくされていくのですが、だからこそ彼が生涯をかけて生み出した申楽にも、鏡の間を持った舞台の構造、仮面や楽曲の活用、演者の役回り、そして演目といったところに、心身変容の神髄がたっぷりと含まれているとのこと。

この本が描く変容の世界はユングなどが描く変容とはやや雰囲気が異なりますが、心理療法においても音楽療法、演劇療法といったものがあることを思えば、通底するものがあるのでは、とも思います。
ところで著者の鎌田東二さん、丸二日間に渡る放送大学の講義では休憩時間に入ったことも気が付かずにあふれ出る中世解説の中で、突然カバンから取り出した縄文の石笛の音がするどく教室内に響き渡つたりもして・・・この講義自体もまた異次元の世界でした。

◆中動態の世界 H30/10読

“中動態”・・・斉藤環さんのtwitterで発見したこのなじみのない言葉が気になり手にした本なのですが、題して「中動態の世界」。國分功一郎著、医学書院2017年の刊で副題に“意思と責任の考古学”とあります。

この本によると中動態とは、英語などの文法に出てくる能動態、受動態に類する言葉のようであり、英語を始め現代のインド・ヨーロッパ語系の言語では使われなくなっているもの。ただスペイン語には一部その痕跡が残り、古代ギリシャ語では頻繁に活用されているとのこと。
そしてその意味するところは“(主語の)意思によってした”わけでもなく、“何者かによってされた”のでもない、“気がつくとそうなっていた”という状態を表すものなのだと。それは主語も無く、意思もなく、責任も伴わない、ただ“そうある”のみの世界であり、実は“依存症”の人が自身の状態を訴える言い回しとして頻繁に使われているものでもあると。

中動態は言語の歴史においては能動態や受動態よりも古く、原初の動詞を多用に活用せしめる用態として使われていたのだが、あるころから“人の行為には意思と責任が伴うべきもの”といった人間観の台頭により、それがあいまいな中動態はいつしか消滅し、能動か受動かを厳しく選別する言語体系が幅を利かせるようになった。
だが言語の体系は人が生きる時代を反映して形を変えるものではあるが、一方でその言語が人を拘束しはじめる。この変化によって人は何かにつけて意思や責任の念に付きまとわれ、生きるに息苦しいものとなったのだとも。
なるほど、だからこそその息苦しさからはみ出した依存症の人々には中動態を思わせる言葉があらわれるということなのでしょうか。

この本では中動態が何たるものであるかを、人の心の在りようとの関わりを含めて解説した上で、行為の主体であることやその意思、責任にはこだわらずにあるがままを表現し、それに生きた中動態の世界はどうやら本来の人の心性のマッチしたものであったと。従って原初のそれを理解し今に活用できるなら、少しは人生が生きやすいものになるのではないかと締めくくっておられます。

ところでこの本ではその中核部の大半のページが古代ギリシャ語は言うに及ばず、サンスクリット、パーリー語と広範囲な古代言語の文献に分け入り、その中で中動態が使われている様相の分析、検証が繰り広げられていて、正に言語の考古学といった趣の一冊となっています。
その分難解ですが・・・実はインド・ヨーロッパ語系の最初の言語(紀元前3000年ごろ、ウクライナの辺りで生まれたらしい、共通基語として想定されているもの)には動詞は無く、名詞だけで構成されていた。そしてその後、動詞が現れたが当初は中動態の様式で活用されていた等々、面白い話もいくつかちりばめられています。

ところで読んでいて思ったのですが、インド・ヨーロッパ語系とは異なる日本語、そしてそれを使って生きている日本人は、(例えば文章に主語が必須ではない、意思や責任をあいまいにする等々)もともと中動態の世界に近い所にいるのではないかなどと、ふと・・・

◆心がつながるのが怖い H30/3読

 意味深なタイトルに魅せられて思わず手にした本なのですが、題して「心がつながるのが怖い」。イルセ・サン著、ディスカバー21社から2017年の刊。著者はデンマークの女性で、牧師出身の心理療法家とのこと。

人はしばしば人生から目を背けるために自身の心(感情、思考、認知、願望)を鈍らせ、他者との距離を置こうとする、そしてそのためにいろんな戦略を駆使するものだと。
それをフロイトは自己防衛といい、認知療法ではコービングと称しているが、自己防衛は本来、非常事態を切り抜けるための戦略であり、一時的な措置としては役に立つし、悪いものではない。だがその戦略を無意識に採るときに問題が起こる。

自己防衛は自分の内面に対して起こるものと、他者に対して起こるものがあるが、この本の前半ではそうした自己防衛が人生の比較的早い段階で発生し定着してしまう様子が種々の弊害の事例を交えて解説されていきます。そして後半ではそれを自覚し、取り除き、本来の自分に戻っていく道筋がセラピーの場面を例示しながら紹介されていているのですが、平易な文章で語られていて読みやすい一冊です。

ところでこの本では自己防衛から離脱していく手立てとして「短期力動精神療法」と称するセラピーの場面が出てくるのですが、そこでセラピストとクライエントの間で繰り広げられている会話が衝撃的。日ごろよく聞く来談者中心療法的なものとは全く様相が異なり、クライエントの仮面を無理矢理引きはがすといった感じです。
「短期力動精神療法」・・・初めて聞く療法なのですが、もう少し詳しく調べてみる必要がありそうです。

◆心理療法の交差点1,2 H30/4読◇

前掲の本を読み気になっていた「短期力動療法」とはいかなるものかとネット検索していて出会ったのですが、絶妙な構成で種々の心理療法の違いを浮かび上がらせてくれている本でした。
正に手に取った瞬間、“アッ、もしかしたら私は以前からこんな本が欲しかったのかもしれない”と思ったのですが、題して「心理療法の交差点」、岡昌之さん他の編著で新曜社から2回に分けて発刊されたものです。

2013年刊の第1巻では、精神分析・認知行動療法・家族療法・ナラティヴセラピーが扱われ、2016年刊の第2巻では、短期力動療法・ユング派心理療法・スキーマ療法・ブリーフセラピーが取り上げられています。

両巻ともに3部構成となっていて、第1、2部はそれぞれの領域の臨床療法家が分担執筆しているのですが、まず第1部では各心理療法の概要が解説され、第2部ではいくつかの臨床ケースが取り上げてそのケースごとにそれぞれの療法家が見立てと介入が披露されています。その上でクライマックスの第3部では各心理療法家とこの本の編著者が一堂に会して見立てを披露しつつ大論戦に突入するといったドラマチックな構成となっています。

序章の中にこんなくだりがあります。
今の時代、心理療法を目指す人は大学院で諸派の療法を一通りは習い、ケースに合わせてブレンドするのが多数派とはいうものの、「諸派の統合」などと簡単に言われることには違和感がある。それぞれの流派はよって立つ認識論が異なりその違いは実に根源的なのだと・・・
確かに見立ての段階で既に相当な違いがあるのですが、それが一堂に会するとどうなるか・・・この本の編著者は、この業界は互いに争いを好まない業界だが、それをあえてスクランブル交差点で遭遇させ、激突まがいの異種格闘技になれば何かが浮かび上がってくるのではないかと企画されたとのことで、それは見事に成功しているようです。

一見和気あいあいの論議の中にも頻繁に他派への疑問提示や鋭い突込みがあり、そうした不調和の中で読者は何かを感じ取っていくことになるのですが、従来から何でこんなに種々の心理療法が乱立しているのかといぶかしく思っていた私などにとっては、読み進めるうちに妙に喉のつかえが下りた感じのする本でした。

 
読書の履歴は更に続きますが、後は区分別の別室で! 

現在の各室の収納状況は以下の通りです。

全ての部屋をスクロールで一気に見て頂くこともできます。

《心理・認知系の部屋》・・・ ◆パワハラ防止のためのアンガーマネジメント入門 ◆その島のひとたちは、ひとの話をきかない、 ◆「無境界」・・・自己成長のセラピー論、 ◆レキシコンに潜む文法とダイナミズム、 ◆オープンダイアローグとは何か、 ◆ユングの「哲学の木」、 ◆ユングの「赤の書」

《進化・生命系の部屋》・・・ ◆地球の歴史 ◆生命 最初の30億年、 ◆エピジェネティクス、 ◆破壊する創造者

《経済・経済史の部屋》・・・ ◆巨龍の苦悩 ◆なぜ豊かな国と貧しい国が生まれたのか ◆ポヒュリズムとは何か、 ◆ブレイクアウト・ネーションズ、 ◆善と悪の経済学、 ◆資本主義の終焉と歴史の危機、 ◆問題は英国ではない、EUなのだ、 ◆ウォーラーステイン、 ◆世界システム論講義

《歴史や文明史の部屋》・・・ ◆シュメルの世界、 ◆物語 チェコの歴史、 ◆大阪アースダイバー、 ◆中東から世界が崩れる、 ◆イスラム国の野望、 ◆民族という名の宗教、 ◆シルクロードと唐帝国、 ◆多神教と一神教、 ◆古代都市平城京の世界、 ◆道が語る日本古代史/古代道路の謎、 ◆道路の日本史/完全踏査古代の道、 ◆古代飛鳥を歩く、 ◆シルクロードの古代都市、 

⇒⇒ ◆ジャポンヤ --イブラヒムの明治日本探訪記--、 ◆イブン・バットゥータの世界大旅行、 ◆甦れ、わがロシアよ、 ◆ロシア人しか知らない本当のロシア、 ◆物語 ウクライナの歴史、 ◆歴史の終わり 上・下、 ◆中世シチリア王国、 ◆NHK さかのぼり日本史 ⑦~⑩

《その他、いろいろ》・・・◆職業としての小説家 


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by C_MANN3 | 2016-12-28 00:00 |  ・・・風にまかせて・・・ | Comments(0)
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