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◆ソ連邦崩壊前後の経済政策・・・

【2015.12.20】 ソ連邦崩壊前後の経済政策についての資料を探していて、内閣府のサイトで発見したのが下記リンクのレポートなのですが・・・

https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11513838/www.esri.go.jp/jp/archive/e_dis/e_dis163/e_dis163.html
この論文、内閣府のサイトからは消えていたのですが、再度発見。
この要約版の中に全文pdfのリンクもあります。

「ロシアの構造改革-ゴルバチョフのペレストロイカから20年(1986〜2006)-」と題していて、ゴルバチョフからエリツィン、プーチンに至る激動のソ連邦そして新生ロシアの経済面での推移が程よいページ数で見事にまとまっています。で、どんな方がお書きになったのかと見てみると著者は井本沙織さん、そしてなんとこの方は実はロシア人。1991年、研修生として中央大学に来られ、その後帰化してそのまま日本でエコノミストとして大和総研等でご活躍されている人とのこと。益々興味津々、さらに調べると単行本もお書きになっているとのことで手にしたのが以下の本。

▼題して「ロシア人しか知らない本当のロシア」

井本沙織著、日経プレミアシリーズ、2008年の刊。この本では旧ソ連邦の時代から現代に至るまでの街の状況、人々の生活が生き生きと描かれていて、上述のレポートと併せて読むと激動の時代と、それを乗り越えていったロシアの人たちの雰囲気が更によく伝わってきます。
またソ連邦がまだ豊かで輝いていた時代の著者の子供時代、お父さんが宇宙開発の研究者だったためになんとモスクワ近郊の閉鎖都市(言葉としては聞いていたのですが、この本を読むと物々しい感じではなく、ある種特別待遇都市だったのかも)で過ごした和やかな家庭生活等も描かれていて、なかなか読みごたえのある一冊でした。

▼で、本題のソ連邦崩壊前後の経済政策とは・・・

1980年代末から1990年代にかけてロシアで実施された経済改革の推移をかいつまんで纏めると概ね以下のようなことに・・・
実はこの小文、放送大学講義「ロシアの政治と外交」受講時のレポートとしてまとめたもの。800字の字数制限があったため、内容だけでなく文体、文章まで“息苦しい”ものになっていますがご容赦のほどを。
経済成長率の鈍化、輸出資源価格の低迷等で従来通りの国民へのサービス提供が困難になり始めた状況を背景に、ゴルバチョフは経済改革に着手した。まずは1987年「国営企業法」により部分的に市場経済を導入することで経済の活性化を図ったが、効果は出ず物価の上昇を招くこととなった。続いて1990年には「500日計画」を構想したが実施されることなくソ連邦は崩壊した。

その後ロシア連邦を率いたエリツィンは1992年①小売り、卸価格の自由化、②外国との貿易、外貨交換の自由化、③国有企業の私有化を実施した。
結果として①はハイパーインフレを招き、②では国外の消費財が街に溢れはしたが、ルーブルの下落や国内製品への打撃をもたらした。③の国有企業の民有化はまず中小規模の企業から開始され、国民一人当たり一万ルーブルの民営化小切手を配布し公平な株式配布を狙ったが、大半の国民は小切手を生活費の足しにと換金してしまい、結果として一部の富裕層への譲渡となってしまった。続く大企業の民営化では競売方式、政府借金の担保としての企業権益引渡し等の方式が取られたため、さらに極端に一部の有力者や銀行への譲渡となり、価格も破格であったため不公平感が増大した。また民営化された企業の無秩序な経営は倒産や失業者を生んだ。

他方国家財政は困窮のままであり、サービスの価格上昇や縮小が低所得者層を圧迫した。さらには地方への交付金が減少したことで都市と地方の格差を生み、困窮者の都市への移住が発生した。また旧ソ連邦構成諸国からも生活困窮者が都市へと流れ込み、こちらはエスニック問題を引き起こした。

こうして極端な富裕層が生まれる一方で広がる生活困窮層、ストライキの頻発、犯罪率の増加等の混乱は1995年頃を頂点に1990年代の後半まで続き、1998年の通貨危機がその止めを刺した。
ただその翌年始まった石油価格の急上昇と、2000年に登場するプーチンの強力な政策で、経済は急速に回復することになる。
by C_MANN3 | 2016-04-27 00:00 | Comments(0)
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