前掲記事では「林住期」について、“本来は仕事を終え家を出て林に入り求道生活に没頭する時期ということになっていて、ここで新たに25年をかけ何かを追求する意義をみいだせるかどうか・・・”などと突き詰めた勝手な解釈の表現をし、YAHOOの掲示板に掲載していたのですが・・・
s1208さんより“ヒンドゥーでは「林住期」「聖なる生活」が大変贅沢なことであるという意識がありますよね。引退して仕方なくというよりは、「聖なる生活」に入るためには、まず世俗的な義務をはたしてからでなければならないいというニュアンスが・・・”といったコメントをいただいておりました。 そんな折、新聞のコラム欄で「四住期」に関する山折哲雄さんのコメントを見つけました。 「四住期」というのは紀元前後のころにつくられた「マヌ法典」という書物に出てくるとかで、趣旨がs1208さんがおっしゃっていたイメージ通りでした。記事を引用させていただくと・・・ -------------------------------------- 林住期には、家庭が落ち着いたあと、一時的に家を出て、やりたいことをやる。飽きたり疲れたり、路銀がつきれば、また家に帰ってくる。林住とは「林に住む」ということで、自由冥想の時間を合む・・・ (四住期のなかでも)魅力があるのは、やはり第三の林住期ではないだろうか。もっとも、わがまま勝手、中途半端で無責任な振る舞い、といわれても抗弁のしようがない。しかしそれでも、古代のインド人は何と気のきいたライフステージを考え出したものかと思わないわけにはいかない・・・ 最後の遊行期は、林住から抜け出て、こんどはたった一人の聖者の道を往く。林住期に入った人間の百人に一人、千人に一人が、そういう道を選ぶ。かつてのおシャカさん、現代のガンデイーなどがそれにあたるだろう。いってみれば、他人の魂のみとりにだけ自分の人生を捧げる。(タイトルは「洛中夢」、H14.10.21付け朝日新聞) ------------------------------------- どうやら「林住期」には、求道生活といったイメージは無く、もっと気ままなもののようですね。むしろ最後の遊行期が求道のイメージに近いのかも。それにしてもお釈迦さん、ガンジークラスのものというのではあまりにもハイレベルでびっくりといった感じです。(2005.8.21)
by c_mann3
| 2006-06-14 00:00
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