先週末から突然ニュースのトップに踊り出た村上ファンドのインサイダー取引疑惑の話は、たった数日間で一挙に逮捕まで進展してしまいました。
阪急ホールディングスによる阪神電鉄株の一方的TOBが仕掛けられたこのタイミングで村上さんに突きつけられた検察の刃・・・ 小泉さんによって政治が劇場型政治になってしまったなどといわれますが、検察もまた劇場型検察になってしまったのでしょうか。それを受けてあっさりと非を認めて記者会見までしてしまった村上さんもこれまた意表をつく劇場型の反応でした。 村上さんや堀江さんによる、ニッポン放送の話を始めとする一連の矢継ぎ早の買収劇は改めて会社誰のものかという話題を提供してしまいました。 これまでの日本は法的にも教科書的にも一応の建前としては会社は株主のものと言われていながら、実態は経営者主権の色彩が濃かったような気がします。 日本ではもともと株主資本の権威や威力にはあまり重きをおいてこなかった・・・ 極限状態では敵対的買収や議決権といった威力を発揮しますが、通常はそうした出番がないように神棚に祭り上げ、すだれの向こうに封じ込めておくものといった感じがあったことは否めません。 そこに現れたのが真正面から切り込んできた村上さんたち・・・ その防衛劇のなかでにわかにマスコミで言われるようになったのがステークホルダー論。 曰く、会社は従業員のもの、ファンや消費者のもの、ニッポン放送にいたっては常連タレントのものといったものまで・・・要するに会社は株主だけが自由にできるものではないということなのでしょうが、真摯な経営がなされる会社ばかりとは限らず、色々な不祥事を重ねる会社も散見されるなかで、唐突に持ち出されるステークホルダー論にはなんかご都合主義の感がなくもない。 こうした中で出版された岩井克人さん著「会社はだれのものか」、平凡社刊・・・ この本で著者は物としての会社と人としての会社、目も口もない法人としての会社に実態としての動きを与える代表取締役といった会社の持つ構図を、八百屋の主人や浄瑠璃の人形使いにたとえて巧みに説明してくれています。 株主主権論で迫る買収ファンドと、会社は物じゃないと防戦する経営陣・・・背景としては時代が物として扱かわれやすかった設備型の産業構造から、人の創意が付加価値を生む産業構造に変化している中で、会社を物として売り買いしようとしたことにも無理があったのかもしれません。 この本を読んでいると・・・ご都合主義の感がしていたステークホルダー論、実は意外に落ち着きどころなのかもしれないと思ったりもします。会社とはこうしたいろいろなステークホルダーのバランスの上にある存在。そして会社は誰のものかといえば・・・この本にも書かれている通り、会社は会社のものとしか言いようがないのかも。 ですがこんなに広範囲なステークホルダーの利害調整を図っていたら激動の時代に対応は難しいことも確か。そしてホルダー間のバランスも緊張感を伴った高次のバランスとは限らない。 だとすると定常状態の均衡点ははステークホルダー論だとしても時々はユングのいうトリックスターのような人が現れてバランスを崩し、会社や社会の進化を加速することも必要なのかもしれない。 早い話が阪神、阪急の話にしても、こんなことが無ければ私鉄の再編はできなかったといわれているのですから・・・ 一旦はバランスを崩して、より進化したレベルでのステークホルダー再均衡・・・これで都心の再開発などが加速され社会的な利便性が増えるのであれば、実はトリックスターに感謝ということなのかもしれません。(2006.6.6)
by c_mann3
| 2010-09-20 00:00
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