前掲(ひとつ上にスクロール)の本、友野典男さんの「行動経済学」では最後の第9章で行動経済学最前線と銘打って、脳科学や進化論との関わりがすごく分かりやすく解説されています。
この本に限らず進化心理学とか進化経済学といったように進化論を踏まえた本が目につきますが、こうした諸科学の入門書をあちらこちら拾い読みしていると不思議な感じがしてきます。 認知科学的な説明で終わってもよさそうなのに、なんでこんなところに脳科学が出てくるのか、しかもそれで事足りずに進化論まで出てくるのはなぜなのか・・・不思議ですよね。 「行動経済学」を読みながらなんとなく思い始めたことなのですが・・・ 認知科学ではボックスモデルとかいっていろいろなモジュールを想定することで認知プロセスを構造化し、巧妙に仕組まれた実験やコンピュータシミュレーションでモジュールの存在を確かめていきますよね。ですが所詮心の中の出来事であり、心にメスを入れても物としてのモジュール自体を切り出すことはできない。ですから存在の証明と言ってもなんとなく状況証拠って感じは否めない。 そんな時、脳科学のfMRIやPETを使って脳の活性部位を特定することができると一個一個のモジュールがここにあるって感じでリアリティが増すことは確か・・・逆に脳の活性部位と対応しないモジュールはただの仮説、空想の産物ってことになるのかもしれませんね。 では、さらに進化論が出てくるのはなぜか・・・ それは脳科学を使って存在にリアリティが出てきた認知構造体だとしても、何かが足りない! これはどうやら犯罪捜査で物的証拠がそろっているのに「だが動機がわからない、なんかおかしい、不自然だ」などといって動機、目的を探し出して初めて納得することと似ているんじゃないか・・・ 科学に目的や動機が必要というのも変な話なのですが・・・進化論は脳科学で裏付けられた構造体の存在目的、存在の動機を説明するのにぴったりなのかもしれません。 でもなにも進化論などというものを持ち出さなくても、状況適応を目的にした状況適応論としてしまってもいいような気もするのですが、進化論自体が一種の適応理論なんだからどちらでも同じことで・・・聞こえのいい、おしゃれなものを採用ってことなのでしょうか。 とは言うものの・・・状況適応論は自身を変化させて今の状況に適応する、コントローラブルな最適化理論の一種といった感じもします。対して進化論は自身を変えるのではなく変異と淘汰で残ったもの、しかも適応の対象が果てしなく遠い昔。 話としては面白いのですが、“それは石器時代の進化適応のなごり”・・・などと言われてしまうと論拠を手の届かない遠~い彼方に持っていかれてしまった感じで、ただただ「なるほど!」と感心するしかしようがないって感じがすることも確かなんですよね。(2006.10.16)
by c_mann3
| 2012-10-12 00:00
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