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◆主義主張や知識素の球面配置

“知識素の球面配置”・・・何やら怪しげなタイトルですが、実は以前からこのタイトルで記事を書きたくて・・・でもあまりにも荒唐無稽な思いなので躊躇していました。
ところが前掲の本「はじめての構造主義」を読んでいると・・・言語学では「音素」、神話論では「神話素」などと「素」という表現が頻繁に出てくることもあり、だったら私も思い切って書いてみるか、ということで以下は妄想にも似た雑感です。

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「知識素」、こんな言葉があるのかどうか・・・自然界に存在する物質をどんどん分解していくと「元素」となり、逆にその組合わせでいろんな物質が出来ていますよね。そしてこの元素を巧妙に配置したものが高校物理の教科書に出てくる「周期表」。これとのアナロジーで人間が想起しうる知識をどんどん整理、分解していくと最後は「知識素」ということになるんじゃないか・・・

古今東西、幾多の賢人たちがおびただしい数の理論、教義の体系を生み出し、それを継承して現代にいたっているわけですが、そうしたものを全て並べてその論理を要素に分解していくと恐らく知識素といったものにたどり着く。

その上でこうした「素」をどう配置するか。例えば資本主義と社会主義・・・普通は右翼から左翼に向かう一直線上の両極に配置されるのでしょうが、真の社会主義は高度に発達した資本主義の向こうでしか花開かないなんていう言い回しがあることを思うと、直線状ではなく円環上に配置したくなってしまいます。
そしてこれを東西軸だとすると、民族や宗教が絡んだ今風のイラク問題等は、また次元の違う南北軸・・・こうして東西にも南北にも円環があるとすると主義主張を配置した空間はもはや円ではなく球。

またものを考える際によりどころとする論理にも・・・因果律、相関律、因果性の無い相関、意味のある偶然、共時性、排中率、中庸、両具性・・・いろんな概念がありますが、これらの概念の内あるものは類似性があり、あるものは対立的。
古代のギリシャ、インド、中国から始まり、人類の思索の中でおびただしい「知識素」が想起されてきたわけですが、これを整理し配置していくと円環を通り越してきっと球形になる。

物理の世界で元素をある種の規則で配列すると縦横に意味のある類似性が見えてくる・・・それがメンデレーエフの「周期表」ですが・・・「知識素」もまたある種の配列をすると何かが見えてくる可能性がある。そしてその「知識の周期表」は、種としての人間の体内に潜む「知の構造」をあらわしたものになるのかも・・・と思うのですが、これってやっぱり妄想に近いのかも・・・(2007.2.14)
by c_mann3 | 2011-11-14 00:00 | Comments(0)
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