◆知の一網打尽

構造主義・・・本を拾い読みすること半分、沈思黙考すること半分。以下はそうした中で少しずつ胸中で結晶し始めたイメージです。当たらずといえども遠からずであればいいのですが・・・

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例えば神話。世界中からそれを集めると似ているようでいてディテールはそれぞれ異なる。そこに統一性を見出すことは難しく、だったらせめて何種類かにカテゴライズしようとしても随所に例外が発見されて山に乗り上げる。人の心を含めた森羅万象を説明しようとする種々の「知」についても状況は同じ。

結局のところ・・・ディテールにこだわっていては一歩も前には進まない。

ならばとその世界に切り込む構造主義は・・・物語や論理のディテールや文脈を一旦無視、テキストを解体し「素」に還元することで、その「素」の中に存在する共通項や対立項を抽出する。こうして抽出されたいくつかの対立項を座標軸とする空間上に、一旦は解体されたテキストを再度配置する。こうすることで全てを含めた空間を統合的に一望する視点を手に入れることができる。もっともこの統合は一体化とは異なり全てを相対化した上で眺望するといった意味での統合。

こうして、全てがある一点から始まるといった意味での一神教の世界は解体される。だったらよりどころを失った迷える子羊はばらばらに離散するか?あるいは主を失った個々のものは個を主張する新たな主となりうるか?・・・結果はそのいずれでもなく全ては相対化され、統合空間の中で、ある種の秩序の元に居並ぶメンバーとなる。

ニーチェが神の死を宣言して以降、人はそれに代わる知の神を求めてきた。そして出現した全ての源となるはずの種々の知の体系・・・だがそれらはあえなく破綻。そうした中で出現した構造主義により、全ての源となることは放棄したとしても、全てを眺望する視点が掴めそうだということは大きな希望。

◆統合心理学・・・
ケン・ウィルバーの春秋社刊「統合心理学への道」もそうした営みのひとつなのかもしれません。
この本、朝日新聞の書評欄で知って以来すごく興味を持っているのですが・・・まだ読んでいない。しかも例によって書評欄にリンクを張りたいのですが古すぎてちょっと無理。で、手元のコピーから2004年06月20日掲載の天外伺朗さんによる書評を抜粋すると・・・

>彼は、ありとあらゆる学問を四つの象限からなるマップ上にからめ取ってしまった。もう形容する言葉もない。

>四つの象限とは、個の内面(意識)と外面(物質、身体、神経生理……)、集団の内面(文化、世界観、倫理……)と外面(社会制度、コミュニケーション形式……)であり、それらが相互に関連する階層的な発達構造になっている。このすべてを配慮した学問を、彼は「統合」と呼ぶ。

>本書は、心理学に多くのページ数をさいているが、基本的には哲学、芸術論、人類学、社会学、経済学、自然科学などがすべて、ひっくり返ってしまう予兆を示した本だ。

>世界中の学問や宗教を、すべてこの四象限上に配すれば、対立するさまざまな信念の立脚点が明らかになり、宥和(ゆうわ)の方向へ向かえるかもしれない。

◆そしてもうひとつ、「哲学的世界定位」・・・

ちょっと古い本ですが、タイトルからしてこの本にも類似の匂いが漂っている。ヤスパース著、創文社から1964年の刊。
「哲学的世界定位」・・・若かりしころ、このタイトルの響きに魅せられて買い込んで以来、今だに手放せずにいるのですが・・・この本もまた、再度読み返そうとすると分厚くてちょっと腰が引けるのが情けない限りです。(2007.2.18)
by c_mann3 | 2011-11-12 00:00 | クオリアとか進化論など | Comments(0)
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