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◆アフォーダンスの心理学・・・

ふらりと入った図書館で面白い本を見つけました。題して「アフォーダンスの心理学」、 エドワード・S・リード著、新曜社2000年刊。副題が“生態心理学への道”とあります。

人を悩める生き物としてメンタルな領域にのみ言及したり、そうかと思うとヒトをコンピュータや犬、チンパンジーに見立てたりといった心理学が多いなかで、この本はちょっと違う。

副題が“生態心理学への道”とあるようにこの本によるとヒトというものは・・・

・人は利用可能性(これがアフォーダンスの意味)にあふれた物や
 地形といった環境に囲まれて、その中で群れをなして生きている。
・ひとはその利用可能性の情報を嗅ぎ取り、それを加工、変形し群
 れが棲息しやすいものに変えていく。
・そのおかげでヒトは他のどの生物よりも広範囲のあらゆるところ
 (生態的ニッチ)で棲息できている。
・利用可能性の情報はマイクロスリップと称する一種の試行錯誤で
 収集し、集団の文化として蓄積されていく。
・ヒトがヒトたるゆえんはこのように環境の中にあって環境との「切り
 結び」を通じて進化するところにある・・・ということのようです。

心理学は本来、人ひとりを包括的に扱うはずのもの。
包括されるべき人ひとりの全体性・・・たとえば私なども家庭にあっては家族の一人として、会社にあっては組織の一人として、群れにまぎれて棲息している。群れているのにその中で、まるで動物が小さな縄張りを確保しようとするように、ひと一人分の我を張り自己主張したがっている奇妙な存在。

そうした中でいろんなことに悩んだり、喜んだり、執着してみたりあきらめたり・・・心の中はいろいろだとしてもその心を引っさげて心血を注いでいるのは、たとえば企業人なら知恵を働かせ環境から切り取った資源や情報を加工し、いろんな製品やサービスを生み出し世間の生活環境を変えること。

でもどんなに高邁なことを考えてはいても知識も知恵も行動力も全ては群れの中に群れと共にある。と同時に現代にあっては全てはITや機械や都市機能といった“ひと本来の能力を拡張しうる環境”の利用可能性を前提にある。

そんなふうな人ひとりの全体性のうち、喜怒哀楽の心のうちは深層心理学でもそれなりに理解の助けとなり、行動系や認知系の心理学ではヒトの生理学的なカラクリについての知見は得られるのですが・・・こうした心理学にはそうしたヒトが血道をあげている生業に関する言及が無さ過ぎる。

その点、生態心理学はどうやらアフォーダンスといったことを接点に人と物の関わりを扱う。組織とか群れを扱う。ヒトひとりとか群れ一群が生息できる場を扱い、そこでの物や組織を含めた環境活用の進化を扱う。そして結果が文化として扱われる・・・これぞ人を実態に近い形で包括的に扱う心理学なのかもしれません。(2007.9.5)
by c_mann3 | 2012-06-12 00:00 | Comments(0)
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